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負い目
「香雅里が渡英する3日前、僕は、颯真が香雅里に送ったメールを削除した」
颯真の表情が変わるのがわかった。
「あの日、香雅里のノートPCで、香雅里が通う大学の近くにどんな店があるのか一緒に見ていた」
柊真さんは、その時のことを思い出すかのように、どこか遠くを見ていた。
「香雅里が席を外した時に、颯真からのメールを知らせるポップアップがきた。クリックすると、メールには『明日 3時に時計台の所で待ってる 大切な話がある』そう書かれていた。颯真が香雅里に何を言おうとしているのかすぐにピンときた。だから……僕は、そのメールを削除した」
「それで、香雅里はあの日来なかったのか……」
「知ってたんだ。あの頃……香雅里も……」
初めて、柊真さんが颯真の方を見た。
「香雅里も、颯真を好きだった」
これが、柊真さんの負い目……
颯真が無言で席を立ったので、追いかけてその手を掴んだ。
咄嗟に立ち上がっていた柊真さんも、そのまま話を続けた。
「香雅里が渡航する日、2人で見送りに行ったけれど、颯真は何も言わなかった」
「それで……人のメールを削除しといてどうしたんだよ?」
「何も……」
「何も?」
柊真さんがそこで、香雅里さんに自分の想いを伝えていたら、柊真さんにされたことなんてどうでもよくなって、きっと颯真は許したはず。
でも、柊真さんは何も言わなかった。
そして、時間だけが過ぎてしまった。
「私……あの頃……颯真のことを好きだった。でも、私がイギリスに行ってから、颯真は一度も連絡をくれなくて……そのうち、彼女ができたって話が耳に入って……忘れないといけないって思ったから……日本に帰ることができなくなってしまった」
香雅里さんの告白に、颯真は何か言おうとして言葉を呑んだ。
「柊真は、何度も、時間を見つけてはイギリスまで来てくれた。何も言わずに私と一緒にいてくれた。だから……いつの間にか……でも、颯真に失恋したから、今度は柊真とか、そんなの虫が良すぎるって思って……それに3人のこの関係を壊したらいけないって……」
颯真が、香雅里さんの泣く姿を見たくないと思っているのが、手に取るようにわかる。
それでも、颯真は何も言わないでいる。
だから、掴んでいた颯真の手をぎゅっと握って、柊真さんに向かって言った。
「柊真さん、遠慮なんかしないで香雅里さんに本当の気持ちを伝えてください。昔は、そうだったかもしれませんけど、颯真が今好きなのは、わたしです」
柊真さんは少しだけ笑ったように見えた。
そして、香雅里さんに向き合った。
「香雅里、僕は、ずるいやつだ。だけど、子供の頃からずっと香雅里だけを想ってた。香雅里のことが好きだ。それだけは信じて欲しい」
柊真さんのその言葉に、香雅里さんの顔が、ぱあっと明るくなった。
泣いているのに、幸せそうに見えた。
それを見て、すぐに香雅里さんの元へ駆け寄って、立ち上がった彼女を抱きしめる柊真さんを、颯真はずっと見ていた。
「あの! わたしたち、今日は大切な記念日なんです。だからふたりきりで過ごしたいから。ね、颯真?」
「そんな昔のこと今更言われてもどうでもいいし、お前らには付き合ってられない。オレら行くんで、後は勝手にやって」
「失礼します」
颯真の手を握ったまま、部屋を出た。
この、わたしの学芸会並みの芝居を、ふたりが気が付かないわけがない。
それでも、彼らは、颯真のことを想って、きっとこれを真実にしてくれるはず。
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