花火の照らす最後の夜に。

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「葉月ちゃん、あと一日、どこか行きたいところはある?」 「……風雅くんが連れていってくれるなら、どこへでも」  無計画に連れ出した彼女と、しばらくいろんな場所を転々とした。  生き残るため世界の果てを目指すなんて名目で、自由になった身でいろんな世界を見せたかったのだ。  綺麗な青い海と白い波間の奏でる、心地よい旋律と潮風。  青々とした葉をつけた木々の作り出す、美しい木漏れ日。  街明かりの届かない高台から見える、満点の星空と月。  暗闇に飲み込まれそうな先の見えないトンネルの果ての、現実とは思えない雅な町並み。  行ったことのない町の、見知らぬ景色に出会う度、僕たちはひどく狭い世界で葛藤していたのだと気付いた。  僕たちは、世界の終わりにおいて初めて、世界を知ったのだ。  早く大人になりたかった僕は、最初学校に行かなくて済む平日に高揚した。皆が制服に身を包み学校に向かうのを、葉月ちゃんの手を引いて逆方向に進むだけで、自由になれた気がした。  何のしがらみもなく、二人だけの最後の自由を謳歌する僕たちは、この絶望に満ちた世界の終わりにおいてきっと幸せな部類なのだろう。  この逃避行は、あの家に居て最期を迎えるより確実に幸せで、この日々は、僕たちにとって大きなプラスになったはずだった。  けれどそんな前向きな気持ちだけで居られたのは最初だけで、そのうち行く宛のない不安に苛まれた。  傷を気にしてか部活もせず家と学校以外あまり行き来しなかった葉月ちゃんと、ろくにバイトも受験勉強もせず休みは友達と遊んでばかりだった僕。  そんな世間知らずの子供二人では、遠くに逃げる手段も限られていた。  お金は二人の貯金を合わせて何とか食費と交通費にして、葉月ちゃんを守るためだと言い訳をして、お金のために盗みを働いたこともある。どうせ世界は滅びるのだ、構っていられなかった。  それに、僕たちだけじゃない。それまで日常を繰り広げていたはずの世界は、終焉に近付くにつれ次第にパニックに陥り、あちこちで治安の悪化が目立っていた。  そんな日々の中、新しい世界を歩む喜びと、どうしても燻る不安の狭間で、僕は最後まで旅人になりきれない迷子だった。  それでも、葉月ちゃんにだけはその不安を悟らせてはいけない。僕は、彼女には最後まで幸せでいて欲しかった。  ふと、終末までのカウントダウンのように夜ごとに上がる花火に、僕たちは行き先も不明瞭なまま進む足を止めて、空を見上げる。 「綺麗……これが、最後の花火なのね」 「明日には、本物の隕石が落ちてくるからね」 「……あっという間だったわ」 「本当にね……あ、最後の日、本当に行きたい場所ないの? 今までの行き先、全部僕が行きたいところだったし」  僕の問い掛けに、最後の花火を目に焼き付けるように空を見上げていた葉月ちゃんが、視線を逸らさぬままぽつりと呟く。 「……強いて言うなら、死にたいわ」 「えっ」  隕石が落ちてきても、彼女には生きていて欲しい。そんな無謀な願いの元に続けてきた旅の終わりに告げられた、衝撃的な言葉。  思わず目を見開き固まった僕に気付いて、葉月ちゃんはようやくこちらに顔を向けて慌てて言葉を重ねる。 「ああ、勘違いしないで。私ね、今がとっても幸せなの。私は、風雅くんとこうして外の世界を見て回れて嬉しかった……連れ出してくれた風雅くんのおかげで、綺麗なものも幸せなことも知れたもの」 「なら、どうして死にたいなんて……」 「あのね、もしも……もしもよ。明日隕石が落ちなかったら……私たちのこの逃避行は、正解じゃなかったってことになる……人生がこれからも続くのだとしたら、きっとすぐにでも日常に戻されてしまう。そんなの、嫌なの……」  彼女を連れ出したことは、確かに彼女の幸せに繋がった。独り善がりの自己満足でなかったことに安心する。けれど同時に、考えても居なかった可能性を提示されて、気持ちが揺らいだ。  世界が滅びる前提で始めた逃避行。もしも滅びず続くとしたら、一度自由を知った分、元の生活に戻されれば前よりも地獄だろう。 「だからね、あと一日あるかもしれないけど…もしもの可能性があるなら、そんなの知りたくない。幸せなうちに、自由なまま、私たちの旅を終わりにしたいの」  彼女を死なせたくないと世界の果てを探していたけれど、生き延びた先のことまで考えていなかったことに気付いて、今更ながら苦笑が溢れる。  やっぱり僕は、最後まで彼女を守れる大人にはなれなかった。 「……そう、だね。自分の意思で、最高の気持ちで終われるなら、それが一番かもしれない」 「わかってくれてありがとう……ごめんね、風雅くん」 「謝らなくていいよ。君が幸せだと言ってくれるなら、それ以上願うことなんてない」  これは絶望ではない、余命一日の僕たちが最後に出来る、幸せの選択だ。  最後の花火を見終わって、やけに静かになった世界を僕たちは手を繋いで歩く。  明日の夜には世界を覆い尽くすかもしれない終わりの光を、僕たちは見ない。  行く宛のない不安も、今はなかった。ただこうして寄り添って、幸せの中で終われることが嬉しい。 「葉月ちゃん、大好きだよ」 「ええ、私も……あなたに出会えてよかったわ」  孤独、暴力、パニック、様々な痛みや絶望が蔓延る世界の片隅で、僕たちは手を取り合って、穏やかに笑い合う。  やがて来る美しかった世界の終焉を想いながら、皆より少しだけ早く、幸福の中眠りについた。
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