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僕と、君と。
なんだかんだで親しくなった、大学内の有名人。
一応、礼儀上から僕も名乗ったが、結局、若菜からは「貴方」と呼ばれたので、僕も「君」と呼ぶことにした。
「若菜君ではなくてよかったです」
わかなのきみ。
そう、誰かに言われたことがあるのだろうか。
君、と僕が呼ぶと、彼は真底嬉しげに笑っていた。
若菜。源氏物語からかな。
不得手な古文。共通第一次学力試験のために、有名な作品の概略だけは頭に叩き込んだから、覚えていた。
確か、光源氏が主役の話のなかでは、最後の巻。
当時としては老年に入り、最上の位を得、樺桜の君と称えられた、最愛の人、紫の上を失う巻。
正妻である紫の上に、義理の母への思いをのせていた日々。
それでも、最愛の人との別れのときには自らの思いに気づけたであろう、光源氏。
果たして、彼は不幸だったのだろうか。
そう言えば、もう一人の正妻、女三の宮と柏木の密会を助けたのは、猫だったよな。
「どうかしましたか」
「いや、なんでもないよ」
若菜君から、源氏物語を思い出していた、なんて説明しても、な。
それと、あまりにも整った顔が近くにあると、同性とは言え、戸惑うものなのだな。
僕は、へんなことに感心した自分自身に、おかしさを感じた。
親しくなってから分かったことだが、研究のために大学に泊まり込みをして無精ひげが生えてしまっていても、彼の顔は、たいへんにきれいだった。
※共通第一次学力試験……現在の大学入学共通テスト、その前の大学入試センター試験以前に存在していた試験のこと。
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