ポセイドンの槍〜その7

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ポセイドンの槍〜その7

上地(かみじ)典一(のりかず) それが、朝比奈(あさひな)(めぐみ)の元彼の名だった。 我々は今、その上地のいる庶務課に足を運んでいた。 昨夜の出来事から一夜明け、木陰から覗いていた不審者がレイニーマウスを所持していたことから、その所在を確認しようという事になったのだ。 大学側がマウスを撤去したなら、恐らく庶務の部屋に保管されているはずである。 柏木千鶴はあの後、噴水の中を探すのを止め帰って行った。 何かあれば連絡し合うという事で、一応メール交換はしてある。 「やっぱ、どう考えても、その上地って人が怪しいよ」 K大の職員棟に向かう途上、ドイルがしたり顔で言い放つ。 「だって、彼が柏木さんに言ったのと同じ事が、彼女宛の手紙に書かれてたんだぜ。自分の非を他人のせいにするための偽装工作だよ。きっと!」 そう言って、ドイルは肩をすくめた。 「それに今、レイニーマウスは庶務にあるんだろ。上地がいるのも庶務だから、彼が持ち出す事も可能だし……絶対、彼がポセイドンさ!」 「まあ……そうね。今の状況から見れば、彼が関わっている可能性はかなり高いと言えるわね」 最後尾から持論を繰り広げるドイルに、クイーンが前を向いたまま同意する。 「……でも、なんで……レイニーマウスを……連れてたんでしょうか?」 クリスが、遠慮がちに話に加わる。 眼鏡の奥の瞳が、不思議そうに揺れる。 「じ、実は、相当な【レイニーマウス・オタク】だったりして。常に手元に無いと落ち着かないとか……」 一瞬、ウッと言葉を詰まらせた後、ドイルが苦しい説明を試みる。 「まさか!アナタじゃあるまいし」 「し、失礼な!ボクは、ぬいぐるみに興味なんか無いよ!」 自分の見解をクイーンに真っ向否定され、ドイルは慌てて言い返す。 「あれが上地だったかどうかは別にして、誰かがあの場で覗き見していた事は確かだ。そして、その対象が柏木千鶴であるのも間違いない。我々と彼女との接触は、にとっては想定外の出来事だったんだろう」 先頭を歩きながら私は言った。 「レイニーマウスを『ポセイドンの槍』に張り付けたのは、あのメモ書きが柏木千鶴へのメッセージだと気付かせるためだ。つまり、マウスを張り付けたヤツは、彼女と朝比奈恵の関係をかなり詳しく知っている者という事になる」 私は今一度、整理した要点を説明する。 「やっぱり、昨夜覗き見してた人が、ポセイドンなのかしら?」 「……さあな。まだ、何とも言えない」 眉をひそめ尋ねるクイーンに、私はぶっきら棒に言い捨てた。 かき消すように消えた黒い影の残像が、脳裏に蘇る。 「アナタも、上地典一って人が怪しいと思う?」 クイーンの問いに、私は足を止め振り返った。 「分からない……だが、そうだな。本人に会う前に、事実確認しておいた方が良さそうだな……ドイル、頼めるか?」 私の呼びかけに、ドイルの目がキラリと光る。 「オーケー。まかせて」 ドイルは器用にウインクすると、ポケットから何やら取り出した。 ストラップが山のように付いた携帯だ。 そのまま鮮やかな指捌(ゆびさば)きで操作し、待つ事数分── 「お。キタキタ」 嬉しそうに携帯画面を見せるドイル。 そこには、(おびただ)しい数のメールが並んでいた。 「学内の友人は勿論、庶務の職員にも知り合いがいるので聞いてみたよ」 軽やかな口調で言ってのけるドイル。 何を隠そう、この情報網の広さこそ、彼の最大の武器だった。 コミュ強の彼は、膨大なメル友を保有していた。 超がつくほど明るく、人懐っこい性格のため、誰とでもすぐ打ち解ける。 そして必ずメール交換を行い、これが貴重な情報源となっているのだ。 「えーと、役に立ちそうなのは……と……」 そう呟きながら、ドイルは凄まじい速さでメールをチェックした。 これも彼の特技──【速読】だ。 読書技法であるこの技を使って、とんでもない速さでメールを読破してしまうのだ。 「上地(かみじ)典一(のりかず)。二十三歳、独身。元々彼もK大生だね。卒業後、庶務課に就職したのが去年……」 ドイルは、幾つかのメールから要点を抜粋し始める。 「職場での様子はどうだ?」 「勤勉でまじめ。上司からの信頼も厚く、同僚からの評価も良い……まあ一応は、好青年ぽいけど」 私の質問に、不服そうに答えるドイル。 自分の想像していた人物像と違う事が、気に入らない様子だった。 「例の朝比奈恵や柏木千鶴との関係は、何か分かるか?」 「ちょっと待ってね……」 そう言うと、ドイルはメールの閲覧速度を上げた。 「……朝比奈恵と上地典一が付き合ってたのは、本当みたいだね。文学科の僕のも、二人がデートしている場面を何度か見ているらしい……ただ、二人が別れた理由を知ってる者はいないようだね。その時にはすでに、朝比奈恵は大学に来なくなってたみたいだから……」 ドイルは、メールを手速(てばや)く繰り越しながら説明した。 「朝比奈恵から、唯一最後のメールを受け取った柏木さんは、毎日のように『メグミ、どうしちゃったんだろ』って、他の子にこぼしてたらしい……あと、彼女が上地に会うため庶務課に押しかけたってのも事実だよ。庶務課の僕のが目撃してる」 そこまで話し終え、ドイルは皆の顔を見回した。 他愛もない会話文を要約してみせるその能力は驚嘆に値する。 「アナタ、本当にどこにでもがいるのね。別の意味で尊敬するわ」 「フフン!人類みな兄弟さっ!」 クイーンの皮肉を賞賛と受け取ったドイルが、鼻を鳴らして自慢する。 今のドイルの報告で、柏木千鶴の話がおおよそ真実であると判明した。 あとは、一つ一つの疑問を解明していくだけだ。 「了解だ。では、柏木千鶴の話の裏付けが取れたところで、いよいよ渦中の人物とのご対面といこう」 私は芝居じみた口調で言い放った。 白い外壁の職員棟は、もう目前だ。
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