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セイレーンはじっと見つめてくる。「続けて」と言わんばかりに。
「顔がいいわけじゃない。運動ができるわけでもない。成績がいいわけでもない。でも……ピアノと歌だけは誰にも負けなかった」
ピアノ歴十一年。沙綾にとって、それが唯一自分の中で誇れることだった。ピアノ以外の習い事をしたこともあったが、どれも長続きしないまま辞めてしまった。
歌を習ったことはこれまでになかった。だが、周りの人にはなぜか評価された。恐らく長年音に触れてきた影響だろう、絶対音感には自信があったのだ。試しに一人でカラオケに行き点数をつけてみたときには高得点だった。
学校という狭い世界の中では何かに秀でている者とそうでない者との差を目のあたりにさせられる。それは、やがて他人への比較や劣等感となって心にのしかかる。平々凡々な沙綾がそうならなかったのはピアノと歌のおかげと言っても過言ではない。
音楽に携わる仕事をしたいとぼんやり思い始めたのは高校に入ってからだった。担任に『できるだけ早く、やりたいことや将来の夢を見つけろ』と言われたのがきっかけだった。
「なのに……音楽を仕事にしたいって言ったら、先生も親も口を揃えてなんて言ったと思う? 『そんなのは趣味でやるものだ』って!」
つらつらと、口からあふれて零れる。
止めたくても止められない。
「やりたいことなんて他に見つけられる気がしなかった。だから実力を示そうと思ったの。そんなときに見つけたのが、あのオーディションだった」
信濃川廉プロデュース・歌手発掘オーディション。『歌手のなり方』で検索をかけたら一番上に出てきたのがそれだった。
数々のアイドルやシンガーソングライターを生み出し、数多の有名曲を手がけた敏腕プロデューサー。そんな彼が主催のオーディションに合格するのは、彼に認めてもらえたことと同義だーー教師や両親を黙らせるには充分な材料だった。
「私には、これしかないの。だからーー」
「そんなことを聞きたいんじゃない」
ぴしゃりと言い放たれ、沙綾は硬直した。
また否定された。質問されたから、ここまで語ったのに。
「だったらなんて答えてほしかったわけ?」
声を絞り出すと、セイレーンは浅く息をつく。
「質問を変えるわね。あなたは歌を通して何を表現したいの?」
「は……?」
「伝えたいことがあるから歌い続けてきたんじゃないの?」
「いい加減にして! さっきから心とか表現とか、抽象的な根性論ばっかり! 海の魔物に人間の心の何がわかるのよ!」
勢いに任せて捲し立ててから、まずいと悟った。差別をするつもりはなかったが、そう捉えられても仕方がない。
やばい、セイレーンの逆鱗に触れてしまうーー。
「海の魔物だからこそ『心』を教えたいのよ」
覚悟を決めてギュッと目を閉じたが、降ってきたのは静かな声だった。
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