セイレーン先生

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「私も歌に絶対の自信があった。歌えば誰もを魅了することができたわ。『心』なんて概念もなかった。  でもね……それはあくまでセイレーンとしての能力でしかなかったの。ある出来事が起きて、歌で人を魅了する能力を失ったときに思い知らされたわ。  誰も私の歌で魅了されない。聞いてさえくれないーーそんなの、セイレーンとしての存在価値がなくなったも同然よ。  そんな私を拾ってくれた人がいた。その人は私に『心』を教えてくれたの。最初は何を言われてるのか分からなかったわ。だけど、その人の(もと)で歌い続けているうちにーー能力なしに聴いている人を魅了できたとき、セイレーン以外の一存在になれた気がした。  だから、沙綾。誰かにとっての何者かになりなさい。歌以外に何もないと思うなら尚更。真心を込めて歌っていれば、いつか聴いている人の中にあなたの存在が残るから」  長々と続いた話はそう締めくくられた。やはり綺麗事に聞こえてしまうのは、沙綾の心が反発してしまうからかーーだが。 「さぁ、休憩は終わり。レッスンを再開しましょうか!」  誰かにとっての何者かにはなってみたいかなと、それだけは素直に思えた。    *   *   * 「みんなーっ! ありがとー!」  ステージの上から手を振る。決して広くはない会場、暗闇の中でまばらに光るペンライト。それでも、返ってきた観客の雄叫びが空気を揺らす。  歌手デビューを果たしてから二年が経った。当然すぐにテレビに出演()られるわけはなく、小さなイベントを重ねて地道に活動している。 「さっきのライブ、感動しました! これからも頑張ってください!」  目を爛々(らんらん)と輝かせる男性の手を握り、沙綾は「ありがとうございます」と微笑んだ。十秒ほどするとスタッフが「時間です」と告げて男性を出口へと連れていく。そして次の人が入ってきて握手、を繰り返していく。短時間で終わってしまう握手会だが、先ほどまで自分の歌を聴いてくれた観客の反応を目のあたりにする度に、心が満ちていくのを感じた。 『誰かにとっての何者かになりなさい』  不意にセイレーン先生の言葉を思い出す。  当初は何を言っているのか分からなかったが、今なら理解できる気がする。  歌なんて上手ければいいと思っていた。所詮『心』なんて熱血漢が語る綺麗事だと。  だがーー歌を通して伝えた心が、誰かの心を揺るがしている。観客ひとりひとりの中に沙綾の存在が刻まれている。それをステージに立つたびに実感している。 (ありがとう。セイレーン先生)  胸の内でつぶやく。デビュー後もレッスンで会うことはあるが、彼女の前では素直になれず直接は言えていない。  いつかーー公共の電波で歌を披露できるようになった頃に、きっと伝えよう。
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