2 ほんの一握りの…

1/1

8人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

2 ほんの一握りの…

 あれは、叶絵が高校生になりたての頃、乗り換えで使っている大きな駅にある、イベントスペースの前での事だった。とある絵が叶絵の目に飛び込んできたのである。  最初に感じたのは、風だ。  縁側で親子が座っている…そんな絵だったのだが、描かれている軒下の風鈴を鳴らし、親子の間を吹き抜ける風。そして、暑い夏の気温。子供の笑い声。そんなものを、叶絵は一枚の絵から感じたのだ。  その時に、絵はただ綺麗なだけではなく、音や温度、感覚…そういうものまで伝えられるものなのだと知って、叶絵は感動したのを覚えている。  前から、絵を描くのは好きではあったけれど、自分もこんな絵が描いてみたい!そう強く思った叶絵は、本格的に絵の勉強を始めたのである。  真剣に純粋に、何かを追い求める時間というものは、楽しいものだ。  叶絵は、あっという間に夢中になる。  そして、努力の甲斐もあってとある美術大学に合格する事が出来た。  しかし…そこに行ってみると、楽しい…それだけではやっていかれない世界だったのだ。  そもそも、才能を見込まれて入学した者達が集う場所。  絵を描く技術はもちろん必要だが、それだけではない、。  それを持っている人間はほんの一握りしかいないのだ、ということを、叶絵は痛感してしまう。    技術を磨き、周りと比べ、比べられて…叶絵は段々とわからなくなってしまう。  自分には才能があるのだろうか?  何のために、絵を描いているのだろうか?  私は、どうして、絵を描きたいと思っていたのだろうか…?  とてもではないが、描くのが楽しい…なんて、思えなくなってしまった。  それどころか、自分はもしかして、大したことない人間なんじゃないだろうか…とまで、思ってしまう。  そんな時、自分が見た絵…夏を描いたあの絵が、毎年大手化粧品メーカーが主催しているコンクールで大賞を受賞した作品だったと知る。  そのコンクールは、若手の登竜門的な位置付けになっていることも…。    それを知ったところで、もうすでに、叶絵にはそれに応募をしてみよう…なんて、思うことすら出来なくなっていた。  知れば知るほど。描けば描くほど…現実が、重い。  それならば、いっそのこと。    叶絵は、大手の画材を扱っている会社の事務職員、という職を選んだ。  絵は、趣味。  描きたいときに、描きたいものを描く。  誰と比べられることも無いし…傷つくこともない。  例のコンクールも、応募なんてしなかった。  すれば、もしかしたら賞を取れるかも知れないと、そう思っていたかったのだ。  応募してしまえば、結果が出てしまう。逆にそれが怖い。  だったら、しないでいた方がいい。  自分の描く絵が認められ、それがきっかけで人生が変わる…そんな奇跡みたいな事、そうそう起こらない。起こらないから、奇跡というのだ。  そう思って生きていく方が、穏やかに、平穏に生きていかれる…今の叶絵は、そう思う…いや、思っていたいのだ。  臆病なのはわかっているけれど…。  
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加