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3 月に歌えば
「奇跡なんて、そうそう起こらない…」
ミチルは、先程とは打って変わって、真顔でつぶやいた。
叶絵は、話をしたことを後悔した。
いくら何でも、まだ夢も希望も持っている年頃の子に話すことではなかったと…だが、もう遅い。
「あ!えっと、な、なんかごめんね。こんな話しちゃって…」
「ウサギさん」
「…何?」
ミチルは、背負っていたリュックを下ろして立ち上がる。
そして、叶絵を見ると、にこっと笑った。
「今日は満月だし。奇跡、起こそっか?」
「……え??」
ミチルは、踊るような軽い足取りで、広場へと歩き始める。
「私の家族わね、昔から不思議な力があるの。私には満月が力を貸してくれる」
広場で、ミチルがくるっと、叶絵に向く。
満月を背負い、ミチルはすぅーと大きく息を吸い込む。
そして、ミチルが紡ぎ出したそれが、歌だとわかるのに少し、時間がかかった。あまりにも、きれいで。
ミチルの歌声は、高すぎも、低すぎもせず、あたりに響き渡り、そっと叶絵を包み込む。
その歌声は歌詞の意味を理解するよりも早く、叶絵にそっと入り込み、揉みほぐし、心の器を、暖かく、柔らかいもので満たしてゆく…。
「……えっ?」
歌う旋律に合わせて、色とりどりの光の粒が何処からともなく現れ、ミチルに集まるように円を描く。
やがて、歌うミチルの掌に集まった光の粒は、透明感のあるまろやかな花弁を持つ大輪の赤い花へと変化する。ミチルはそれをふわっと地面に送り出す…。
「うわぁ……」
地面に花が着地した瞬間、ミチルの立つ広場いっぱいに、赤、白、紫、青…光輝く色とりどりの花が一斉に咲き誇った。
彼女の歌は、優しく心を満たし、そっと心の横に寄り添ってくれるような暖かさに満ちていて…目の前で繰り広げられている光景が、感動を運んでくる…。
叶絵は、気がつくと泣いていた。
頬を伝う雫が、あごを伝い、手の甲に落ちる…。
そんな叶絵の姿に、歌いながら、ミチルが微笑む。
地面に咲き誇った花々が風に揺れ、花弁がひらりひらりと舞い上がり、今度は、ぽより…また、ぽよりと、透明な水の球体が花弁と一緒に踊り始める。
ミチルが歌う曲のテンポが少し変わる。
ぽんぽんと跳ね、今度は弾むような。
聞くものが、思わず踊り出したくなるような旋律。
ミチルが、歌いながら、軽やかに叶絵へと走り寄ってくると、花々と浮き上がった雫が一斉に舞い上がる。
思わず、その綺麗さに、ぽか…っと口を開けていた叶絵の前に来たミチルは、叶絵の手を引いた。
ミチルの歌は誘っている。
一緒に踊ろう!!
叶絵は腰を上げると、舞い上がる花々と、雫の中へとミチルと一緒に入ってゆく。
「…すごい、綺麗…」
ミチルの歌声に合わせて花々は舞踊り、浮かぶ雫は、弾むように、楽しそうに宙を転がる…。
ミチルは歌いながら、思うままに踊り出した。
それを見ていたら叶絵も思わず楽しくなって、一緒になって踊り出す。
光の花々は、触れると弾けるように光の粒に戻り、また新たな花を咲かせ、雫は、大きく小さくなったりを繰り返しながらミチルと叶絵の周りを彩る。
叶絵は、心の赴くまま、歌うミチルと共に踊った。
そして、ミチルが正面から叶絵の両手を取り、二人はくるくると回ると、花々と雫も共に円を描く。
緩やかに回転を止めたミチルの歌声は、囁くような、密やかな歌声に変わる。重ね合わせて上を向けた二人の手のひらに光の花が咲き、ふわりと浮き上がる。二人の頭上まで行くと、弾けるように消え、光の花々も雫も全て弾け、光の雨となって、二人に降り注ぐ…。
そして、ミチルの歌い終わりと共に、跡形もなく消え去る。
今までの出来事が幻だったかのように……。
「………すごい…すごすぎる!!」
叶絵は、興奮気味にミチルの手を取った。
「ミチルちゃん!歌手になった方が良いよ!!絶対!!」
そんな叶絵を、少し申し訳なさそうに見たミチルは、
「残念だけど、私のこの歌は録音も録画もできないんだ」
そう言った。
「それに…私がこの歌を歌ってあげられるのは、私が聞かせたいって思った、その人の一生に一度だけなの」
「……あ…じゃあ、私はもう二度と見ることも、聞くことも、出来ないんだね…」
少し寂しい…と思った叶絵に、ミチルはにこっと笑った。
「でもさ、奇跡は起こったでしょ?」
「ん。すごいの起きちゃったね」
「これ見たらさ、なんか何でも出来そうな気してこない?」
いたずらっ子のようにニンマリ笑ったミチルに、叶絵は思わず笑ってしまった。
「うん。そうだね。何でも出来そうな気がするね!」
だって、仕方がないじゃないか。
こんなものを見せられたら。
そう思えてしまう。
「えへへ。良かった!」
ミチルは屈託なく笑う。が、次の瞬間。
「あーーーー!やっばい!!ウサギさん!今何時?」
「え?…ええと」
叶絵がスマホを取り出し、時間を告げると。
「きゃーーー!もうそんな時間!ママに怒られちゃう!!」
ミチルはワタワタと、ベンチに戻ってリュックを背負い、叶絵の前に戻って来ると、右手を差し出した。
叶絵がミチルの手を握り返す。
「ミチルはウサギさんのこと、応援してるよ!」
そういうと、ミチルは駆け出した。
「あ!ミチルちゃん!あの、ありがとう!!」
叶絵の声に、ミチルは振り返り、飛び跳ねつつ手を振る。
リュックに付いている満月とウサギのキーホルダーが、カチャカチャ…っと軽い音を立てる。
そして、ミチルは帰っていった…。
叶絵は、振っていた手を止めて振り返ると、そこには、しん…っと静まり返った、夜の親水公園が広がっている。
光る花も、飛び跳ねる雫も、何もない。彼女の歌も、聞こえない。
まるで、何も無かったよう…けれど、彼女の歌声で、起こった奇跡で、暖かくなったこの心は、確かに叶絵の胸にある。
叶絵は、荷物をまとめると、もう一度広場を振り返る。
「よし!」
一つ気合を入れると、叶絵も親水公園を後にした……。
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