◇第1章◇ 優しい先輩と不機嫌な先輩

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「俺が4歳になる前に亡くなったから、正直あんまり覚えてないし、悲しいっていう感情はないよ。大変だねっていう親戚もいるけど、父と2人で暮らすっていうのは俺にとっては普通で当たり前だったし」 「けど、今はお父さんもいないんですよね? 1人で暮らしてるって事ですか?」 「気楽だよ。自由にできるし」  大きめな窓に視線を移すと、もう雨は上がっていて、うっすらと光が差し込んで来ていた。  こんな広い家に1人きりだなんて、もしもぼくだったら耐えられるのかなと考え込んだ。  ぼくはおじいちゃん、おばあちゃんも含めて今は5人で暮らしている。  みんな仲良くて、毎日誰かとは会話するのに、聖先輩はこの家にずっと1人なんだと思うと、なんだか不憫に思えてしまいじんわりと涙が滲んだ。 「え、もしかして泣いてんの?」 「なっ泣いてませんよ」 「涙目になってる」 「だからっなってないですっ」  ちゅ、と音が聞こえたと思った時には、聖先輩が口の端をあげて悪戯っぽい笑みを浮かべていた。  その唇が、ぼくの頬に触れたみたいだ。  熱の塊を押し当てられたのかと思うくらいにジンジンとそこが熱くて、手のひらでそこを冷ました。  聖先輩はぼくの後頭部に手を回してから目を閉じて、今度はゆっくりと顔を傾けた。  まつ毛長くて綺麗……と思いながら見ていると、唇がぷにゅ、と柔らかいもので押し当てられた。  何が起こったのか脳みそがついて行かない。  目の前には、さっき余裕の笑みで茶化していた男の姿はどこにもいなくて、かわりに顔をほんのりピンク色に染めた聖先輩がいた。  照れてる。やっぱりこの人った意外と照れ屋さんなんだなぁってぽーっと思ったのもつかの間、ぼくはようやく大変な事をしてしまった事に気付いた。  ぼくのっ、ファーストキスがっ!!  なんということでしょう。  ぼくが大事に大事に取っておいたファーストキス。歩太先輩に捧げると誓ったファーストキスを、好きでもない男の先輩にあっさりと奪われてしまいました。  あまりにも唐突で、目を閉じる間もなく。  ショックを受けていたら、聖先輩に笑われた。 「はじめてだった?」 「は、はい、はじめて……」 「なんだ、その顔。俺じゃ不満なのか」 「い、いえっ、めっそうもない!」  一気に不機嫌になった聖先輩を安心させようと、ぼくは作り笑いをして首を横に振った。  聖先輩はホッとした様子でぼくを見つめたまま、後頭部に回した手を解こうとはしない。  いくら実体験がないぼくだって、これから先に何が待っているのかくらいは分かる。  聖先輩はたぶん、もう一度キスがしたいのだ。  これ以上してしまっては、歩太先輩に顔向けが出来ない。ここできちんと終わらせなくては。 「あの……先輩。恥ずかしいのでこれ以上は……」  お得意の演技で上目遣いにお願いをすると、聖先輩はキョトンとして一瞬動きを止め、急にぼくの頬をつねった。 「いひゃい!」 「1点、お前の欠点を上げるとするならば」 「はいっ?」 「そうやって媚びる演技するところだな。わざとやってんのバレバレなんだよ。俺、そういうのすぐ見抜くし通用しないから。覚えておけ」  じゃあぼくが間違えて告白しちゃったっていうのもはやく見抜いて下さいー!  その叫びは声に出せぬまま、ようやく指を離されたほっぺを押さえる。そしてまた顔が近づいてきた。 「聖先輩っ、まだ、お話の最中……」 「ん。もう1回試させて」  試させて、というのは、男もイケるかどうか試させてという意味だろうか。  それって、もしキスが気持ちよくなかった場合、お付き合い解消って事も有り得る?  ぼくは望みをかけてみた。めっちゃくちゃに濃厚過ぎるキスを仕掛けて嫌悪させ、相性が悪いと思ってもらえたらいいんだ。  そう考えるとやる気が出てきた。  歩太先輩の為だったらそれくらいお易い御用だ!
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