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苦行
「この記号はピアニッシモといって極めて弱く歌うのよ。だからそんなに怒鳴らないの。ほらほら喉から声が出てる、お腹から出しなさい」
「声って喉から出るんじゃないんですかー」
「お腹から声が出たら妖怪だー! ギャハハハ!」
「何でもいいから弱く歌いなさーい!」
聖子は故郷に戻り幼児向けの音楽教室に就職した。自分の果たせなかった夢を生徒の中の誰かが叶えてくれたら、いや、自分が育てるのだと、意気揚々と就職した。しかし現実は騒がしい怪獣の群れだった。東京にいた頃は喉を大切にしてきた。それなのに今じゃ毎日怒鳴りまくり、声はガラガラだ。
「はぁ〜〜」
事務所に戻り大きくため息をついた。
「聖子先生、少しは慣れましたか?」
後ろから声を掛けられ振り向いた。そこにはこの音楽教室の経営者であり校長の高村が笑顔で立っていた。まだ30過ぎたくらいだろうか。目は大きく眉毛も太い。マスクをしていると情熱的な男性に見える。しかし鼻と口は小ぢんまりとしていてパッとしない。背も聖子より少し大きいくらいだ。アイドルには向かない。しかし声は大きく良く通る。演歌歌手にならなれそうかも、と聖子は頭の中で想像していた。
「子どもをまとめるって慣れないと難しいですよね。僕も最初は泣かされました。でも聖子先生は子どもたちから好かれているようなので、すぐに慣れますよ」
「好かれてる? イジられてるだけです」
「聖子先生に興味があるんですよ」
「興味、興味ねえ……」
興味なら歌に持って欲しい。そこから初めて指導ができるのだ。自分は子どもの頃から貪欲に先生に食いついていた。逆に先生に嫌われていたかもしれないーー。
そんな事を思いながら、聖子はまたひとつため息をついた。
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