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心穏やかな時間は突如終焉を迎えた。
彼女の口から告げられる、閉幕の口上。
もう一分、あと一秒、この時間を延ばすことはできないか。
彼女の興味を惹く言葉を紡ぐことができれば、その時間は延びるはず。
「糸が伸びないとは、どういうことです?」
何でも良い。一言この口を動かせ。
「私が気を動かすことはもうない。さすれば、糸は伸びぬ」
彼女は何を諦め、何をこんなに焦っているのか。
急用とは何か?
「どこかへ、行かれるんです?」
「来客があってな。はよ立ち去れ」
もう、これ以上は無理だ。
立ち去れと言われてしまった私が、ここに居続けることはできない。
彼女の意思で連れてこられたわけでもない。糸が勝手に用意した人間。
彼女の一存でどうにでもなってしまう身で、これ以上どうしようというのか。
渋々と重い腰をあげれば、漂ってきたのは鼻の奥を突く嫌な臭い。
遠くで聞こえる木の軋む音。それに紛れる喧騒。
「来客は人間ですか?」
「もう、間に合わぬではないかっ」
余裕と隣り合わせで生きているような彼女の、苦痛に苛まれたような表情。
それすらも余計に彼女を扇情的に見せて。この魅力に当てられてしまえば、蜘蛛の巣に捕らえられた心は微動だにしない。
「間に合わない。それも結構。私の旅はここで終えます」
「勝手なことを申すな」
「動物というのは、元来勝手なものです。自分勝手に振る舞い、今もこうして土足で踏み込んで来るのですから」
「其方を助けに来たと」
彼女の耳には、私に聞こえる何倍もの音で雑音が届く。
そんな音を、彼女の耳に届けるな。
私は助けなど求めていない。思い上がりもいいところだ。
「私が最後に気持ちを向ける相手が貴女で良かった。貴女に感謝と敬意を」
もう一歩彼女の近くに寄り、再びその側へと身を寄せる。
「感謝するのは私の方だ。其方が最後の人間で良かった」
目の端に糸が伸びるのが見える。するすると先端を揺らすそれは、踏み込んできた者を排除するのではなく、私と彼女を守るようにその身を包む。
蚕の繭のように糸に包まれ、外界から遮断された空間に彼女と私が二人きり。
じわじわと熱に命を脅かされながら、思うことは彼女のこと。
名前すら知れない相手。
そんな相手と輪廻を思う。
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