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鏡の前で身だしなみのチェックをする斗楽は、体の角度を右へ左へと変えては、おかしなところがないかの確認に朝から余念がなかった。
出勤時間にはまだ余裕があるけれど、今日は人生で一番大事な日と言っても過言ではない。
自分のファーストアクションで、この案件が無事遂行できるかがかかっているのだから。
けれど緊張し過ぎて、夕べもよく眠れなかったし、いつもの時間よりも早く目が覚めてしまった。熱いシャワーで脳ごと起こしたつもりだけれど、心配は拭えない。
何をするにも余裕を持って行動しろと、子供の頃から母に言われ続けていたけれど、それをつい怠ると忘年会の日のように失敗する羽目になる。
自分を甘やかすと、ろくなことがない。そう決意し、社会人になってからの斗楽は、ずっと早起きを継続している。じゃないと、出来の良すぎる弟との差が、縮まるどころか広がる一方だったから。
同じ日に生まれた双子の弟──玲央は、兄の斗楽から見ても完璧な男だった。
二卵性双生児なこともあり、顔はあまり似ていない。骨格も、パーツの大きさも斗楽とは雲泥の差がある。
わかりやすく言えば、バレンタインの日に貰うチョコの数だ。
物心ついた頃からの記憶では、斗楽がもらった数は大学生まで通算しても片手で足りる。けれど、玲央は軽トラックの荷台を軽くいっぱいにできるくらいのモテっぷりだ。
それは現在進行形で、小学校の教師となった今でも保護者からの黄色い声援が耐えない──らしい。
次男の武勇伝は、全て母からの情報で把握している。実家に帰ると決まって玲央の話になるのだから、嫌でも耳に入る。
これも小さな頃から変わらない。母が嬉しそうに話すから極力顔にださないけれど、正直、斗楽はよくグレずにここまで育ったなと自分で思う。けれどそうできたのも、玲央が極度のブラコンだからかもしれない。
兄の自分が言うのもおかしいけれど、玲央がかまってくる態度は、斗楽のことが大好きで仕方ないのが溢れている。
どこが──と言えば、実家に戻った時の斗楽に向けてくる笑顔が一番に浮かぶ。
ただいまと、玄関のドアを開けたと同時に走って出迎えてくれる。
実家から職場に通っている玲央は、帰宅が斗楽より早い日は必ず盛大に喜んでくれた。
まるで、留守番していた室内犬のように。
後は、電話だ。
可能な限り、日曜日の夜は電話がかかってくる。その日になければ、翌日の月曜。
出勤前に斗楽のスマホは賑やかになる。
二十歳をとっくに過ぎている兄弟のやり取りとは思えない。でも、そんな弟だからこそ、斗楽は捻くれずに甲斐甲斐しく『お兄ちゃん』を貫いてこれたのだ。
──夕べは電話なかったから、もうすぐかかってくるかな……。
いつもの朝の番組で時間を確認していると、思った通り斗楽のスマホは軽快な音をさせた。
「もしも──」
『兄ちゃん、っはよ。今日の体調はどうだ?」
開口一番、斗楽の声にかぶせるよう、決まり文句が耳に流れこんでくる。
一人暮らしを気遣ってくれる、身に染みる家族からの愛を、玲央は毎週欠かさず与えてくれる。
「おはよ、全然元気! 玲央はどうだ? もうすぐ学校は冬休みだろ?」
『そうなんだよ。でもさ、教師も休めるわけじゃないからね。毎日学校行くのは変わんないよ』
「だよな、生徒と同じように休めたら、日本の教師不足は回避されてるよな」
『本当だよ。世間が教師はブラックって囁くのも無理な──あ、そうだ。兄ちゃんもうすぐ俺らの誕生日だろ? 実家帰ってくるよな』
話が二点三点するのは小さな頃からの玲央の癖だ。強いて言うなら、これが玲央の短所かもしれない。何とも可愛らしい欠点だ。
「もうすぐって、七月までもう少しあるぞ。ま、でも帰るつもりだよ。けど、新しい案件が始まったから、仕事の都合になるけどな」
『えー、兄ちゃん帰らないならつまんないじゃん。あ、でもそうなったら、俺がそっち行って飯作って待ってるよ』
「いや、そこまでは……。お前も忙しいんだし、ここまで来るのは手間だろ」
話しながらテレビに目を向けると、いつものお天気お兄さんが、関東地区の予報をしている。このお兄さんが出てくると言うことは、そろそろ出かける時間だ。
「玲央、時間切れだ。用意して出ないと。お前もだろ?」
「あー、もうそんな時間か。やっぱ夕べ電話しときゃよかった。兄ちゃんと話し足りない」
ブラコンもここまでくれば、清々しい。でもこんな風に言われると嬉しいと思っている自分も弟離れできない兄なんだろう。
斗楽は行ってらっしゃい、と言って名残惜しそうにする弟を電話越しに送り出した。
玲央の声を聞いて気持ちが和らいだのか、さっきまで気負っていた心はいい感じの緊張感に変わり、斗楽は握りこぶしを作ると、「よし、行くか」と自分を鼓舞した。
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