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「いやぁ、でも浅見のあんな顔見たのは、私も入社以来初めてでした」  浅見と再会してから数日後、斗楽は赤坂と打ち合わせのため、再びアルタイルエンターテイメントに足を運んでいた。  前回の浅見の態度が余程珍しかったのか、応接室に案内された途端、桜田が興奮して語っている。 「そうですか。我々はテレビの中の浅見さんしか知らないので、プライベートでは気さくな方なのかと……。でも依頼を引き受けて頂いて嬉しかったです。本当にありがとうございました」  テンションの高い桜田に気押されながらも、赤坂がいつも通りの平常心で答えた。 「去来川さんの力説が効いたんでしょうね、きっと」  桜田が斗楽の方を見てニカッと笑った。 「いえ、とんでもない。生意気な事を言って、本当にすいませんでした」  他社のCMを断ってまで引き受けてくれたのは、本当に嬉しかった。(やぐら)でもあれば、そこに登って歓喜の声を響かせたいくらいに。けれど、浅見から出演の了承を得たと言っても、果たして斗楽の演説が効いたかどうかはわからない。  ただ、心で思っていたことを、そのまま口にしてしまった。何の作戦も攻略もない、感情のまま羅列した言葉だ。  ──それに、CMのコンテを見せれば、断られるかもしれない……。   「熱かったですよね、去来川さん。でもそれが浅見に響いたんでしょうね」  あれこれ考えてボーッとしているところへ、桜田から興奮の眼差しを向けられた。 「あ、いえ。長々と話してしまって、すいませんでした。でもそうおっしゃって下さって嬉しいです。ありがとうございます」 「では桜田さん、これが今後のフローになります。去来川」  頷くことで返事をし、斗楽は資料をテーブルの上に並べた。 「撮影は山梨県河口湖の温泉旅館で、そこの離れを借りて撮影します」 「温泉?」  桜田が不意を突かれたような表情で斗楽を見返した。 「はい。客室の露天風呂に入って頂いて、雄大な空と湖が広がる中、富士山を遠目に、浅見さんがアカペラで歌う、と言うコンセプトを考えております」 「アカペラ? 浅見が歌を歌うんですか?」  一驚する桜田を予想していた斗楽は、ここからが正念場だと言うように生唾を飲み込んだ。 「はい、歌を……歌っていただきます」  穏やかだった桜田が顔を歪ませると、斗楽の意気軒昂(いきけんこう)した態度に困惑の表情を返してくる。 「申し訳ないですが、浅見は歌わないですよ。私達もこれまで何度も歌を打診しました。けれど浅見は首を縦には振らない。だから今回の件も無理だと思いますよ。それに去来川さんも知ってるじゃないですか、浅見が今、歌わないと言うことを」  大きな溜息と共に、桜田がソファーに荒々しくもたれた。 「浅見さんが歌をやめていることは承知の上です。それを踏まえての依頼をさせて下さい」  熱のこもった斗楽は、身を乗り出して桜田に詰め寄った。 「去来川っ」  赤坂の頭の芯に突き刺さるような声で斗楽は我に返り、申し訳ありませんと、呟いてソファに座り直した。 「桜田さん、一度我々に浅見さんを説得するチャンスを頂けませんか? もし浅見さんに断られたら、その時は諦めて曲を流すだけにしますので」  冷静な赤坂の提案に桜田が口を一文字に結び、腕を組んで熟考している。組んだ腕の先に伸びる人差し指が、何かを生み出そうと小刻みに動かして。 「お願いします、もし浅見さんが歌って下さったら視聴者はCMでもザッピングなんてせず食い入って見ると思うんです。最高の演出になると思うんです」  斗楽はゆっくりと思いを込め、桜田に訴えた。そんな斗楽の言葉に余白を設けるよう、桜田が少し間を空けてから口を開らきだした。 「浅見の強固な思いは覆ることは無いと思います。それでもと仰るのなら、一度説得してみて下さい」  決意が揺るがない目で桜田を見つめていると、桜田が大袈裟なほど肩で息を吐き、気持ちに弾みをつけるよう膝を叩いて言ってくれた。 「あ、ありがとうございます!」  斗楽はまたバネのように立ち上がると、体を畳むように深々と頭を下げた。
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