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「桜田さんに許可は貰ったものの、どう説得するんだ、去来川」  アルタイルエンターテイメントの帰りのタクシーで赤坂が切り出してくる。 「はい……。浅見さんが歌わなくなった頃のことを俺なりに調べてみたんです、雑誌やネットからだけですけど。けど、どの記事も憶測だけで綴られたものばかりでした。鵜呑みにしないように頭の片隅に置いて置く、そんなレベルですね」 「だろうな。芸能人は詮索されるのも仕事の内だ。きっかけさえあればそこを突っつかれる。それが例え真実じゃなくても、マスコミや世間が騒ぎ出したら事実になってしまうんだもんな、考えたら恐ろしいよ」  赤坂が首をすくめて言うと、丁度タクシーが会社に到着した。 「……本当のことなんて本人にしかわかりませんよね。でもずっと彼の歌を聴いて応援してきたファンの一人として、また浅見さんの歌をたくさんの人に聴いて貰いたい。俺はそれを伝えようと思います」  エレベーターに乗り込み、斗楽が階数ボタンを押すと、赤坂がフッと笑みを浮かべてこっちを見てくる。 「手強いだろうけど去来川の思うようにやってみろ。ただし、引き際は大事しろよ」 「はいっ」  心の中に芽生えた固い意志を、自分自身へ再確認するかのよう斗楽は返事をした。   「お電話変わりました、去来川です。お世話になっております、桜田さん」  浅見の事務所で歌ってもらう宣言をしてこら二日後、斗楽が待ちに待った電話がかかってきた。 「去来川さん、お時間いただきすいません。で、急なんですが本日の十九時いかがでしょうか? 撮影があったんですが悪天候で延期になったんで、その時間以降の浅見はオフになりましたので」 「はいっ! こちらは大丈夫です」 「では十九時に事務所で。浅見にも来るように伝えておきます」 「かしこまりました。十九時にお伺いいたします、よろしくお願いします」  嬉々として返事をした斗楽は、そっと受話器を置くと、あまりの嬉しさにガッツポーズをした。本当は、やったーと、大声で叫びたかったけれど、さすがに社内ではできない。  足元から沸々と湧き上がる熱が、血流にのって全身に巡ってくる。それと比例するように、味わったことのない緊張も連れてきたけれど。    ──受験より緊張するな……。  斗楽は自身の両手を握っては開きを繰り返し、(みなぎ)る力を本番で出し切れるように体内に取り込んだ。そして高揚した気持ちのまま、赤坂のデスクへ報告に足を向かわせた。  浅見のいる事務所のインターホンから斗楽は桜田を呼び出し、最終チェックするよう、ジャケットの裾を引っ張って前髪をととのえて身構えた。 「去来川さん、わざわざどうも。あれ、今日はお一人ですか? 赤坂さんは?」  一人で来訪した斗楽を見て桜田が尋ねてくる。 「申し訳ありません、赤坂は別件で急遽、大阪へ出張となりまして、今日は私だけです。どうかご了承ください」  本来ならキャスティング担当は斗楽なのだから、ひとりで赴いても問題はない。ただ、今回の依頼は、『浅見薫の歌声』が重要課題だった。  歌うことをやめた相手に斗楽がひとりで口説くのは大変だろうと、赤坂の気遣いから二人で動いてはいたが、上に立つほど他にも仕事が増える。いつまでも彼に頼るわけにはいかない。それに浅見のアカペラ案は、斗楽の提案だ。言い出しっぺは最後まで責任を取らなければならない。 「いえ、かまいませんよ。どうぞお掛けください、じきに浅見も来ますので」  桜田が言い終わるのを待たずして、浅見が応接室に入ってきた。  浅見の姿を見た途端、金縛りにあったように斗楽の体は固まり、反射的に立って会釈ををした。その姿は、上半身がロボットのような動きでになっていたけれど。 「あの、今日はお忙しい中、お時間割いていただきありがとうございます」  平静を取り繕うと、めいいっぱい作った笑顔はかなり不様な仕上がりで、ひきつってしまった。 「こんばんは、去来川さん」 前回と変わらず、涼やかな笑顔で浅見に名前を呼ばれ、改めて同じ空間にいることに目眩がしそうになった。   「あ、改めてまして今回のオファー引き受けて頂き本当にありがとうございます」  座ったままの姿勢で、斗楽は深々と頭を下げると、撮影プランやコンセプトの説明に入った。 「えっと……早速なんですが、今回のロケ場所は山梨県河口湖温泉の旅館です。そこの離れを貸し切って、露天風呂での撮影になります」  黙ったまま斗楽の話を聞いている浅見の視線が痛い。  ──この後の話を聞けば、浅見さんはこの話を降りると言ってくるかもしれない……。  不安が勝手に顔から滲み出てくるけれど、ここまで来たら話すしかない。  斗楽は意を決して口を開いた。 「浅見さんには温泉に浸かりながら、日本酒を飲んでいただきます」 「ふーん、じゃ俺脱ぐんだな」 「は、はい! すいません……でも上半身だけですから」  慌てる斗楽を浅見が、揶揄(からか)うようにわざと尋ねてくる。いつもの斗楽なら明るく笑って返せるのに、今回はそうもいかない。 「で、その……浅見さんには温泉に浸かりながらアカペラで歌って頂きたいんです」  恐る恐る斗楽は、問題のキーワードを口にした。そして案の定、その言葉を聞いた途端、浅見のほころんでいた表情が一気に曇った。 「歌か、それは──」 「浅見さん」  拒まれるのは承知の上だった斗楽は、すかさず浅見の言葉を遮った。けれど、浅見の笑顔が明らかに作られたものに変わり、爆笑する浅見を知る斗楽としては、その顔は薄氷のように少し触れただけで、割れてしまいそうに見えた。 「俺は浅見さんが歌わなくなった理由を知りません。だけど素晴らしい歌をたくさん歌ってこられたのは知ってます。それは俺だけじゃなく他にも沢山います」  瞬きも忘れ、懇願するように語る斗楽とは反対に、浅見の顔は困惑したままだった。 「去来川さん、やはり歌はちょっと……難しいかと」  浅見の顔色を見た桜田が、申し訳なさそうに割って入った。それでも斗楽はどうしても雪村酒造の新商品には、浅見薫の歌が必要なんだと力説した。 「俺の父親は、俺が高校に入学して間もなく、事故で他界しました。父は浅見さんの大ファンで、車に乗ると流れていたのは浅見さんの歌ばかり。俺はあなたの顔も知らない時から歌を覚え、育ってきました。ライブにもよく連れて行ってもらったんです。でも、父が死んでからは、歌を聴くことができなくなりました。聴けば父を思い出して辛かったから」  斗楽は目の前に父親がいるかのよう、懐かしむ表情で話しを続けた。 「ある日、父の部屋を片付けていたら浅見さんのCDを見つけたんです。俺は、不意に聴きたくなって。でも、悲しくて迷ってたんです。その時、弟がやって来て二人で聴こうと言ったんです、父が口ずさんでいた『eternal friendship』歌を。  俺達は泣きました。父と一緒にいた思い出が一気に蘇ってきたんです。父は俺達の中で、浅見さんの歌と一緒に生きている。歌を聴くたびに思い出して、それが父のいた証だって思えたんです」  応接室はシンと静まり返っていた。  斗楽は緊張していたことなど忘れ、自分の中にある熱を浅見に見せるよう、届くようにと思いを込めて語った。 「浅見さんの歌がきっかけなんです。辛くても生きて行くのは自分の役目だと思えたのは。きっと、俺以外にも同じように浅見さんの歌で励まされ、支えにしている人がいると思います。癒やされたり励げまされたりと、色とりどりの想いを抱えて……」  一気に語りきった斗楽は、浅見の眸を真っ直ぐ捉えると、ホッとしたような、それでいて泣きそうな気持ちを味わっていた。 「浅見さんの歌は、そんな人達の気持ちを代弁し、それを歌に込めて、世の中へ広まることが出来るんです。俺はそう思います」  再び斗楽が頭を下げると、 「長々と話してしまいすいません。どうか一度考えていただけませんか、よろしくお願い致します」と、願いを込めて言った。 「……わかりました。少し考えさせて下さい」  浅見がポツリと言うと、徐に腰を上げた。  部屋を出て行く気配を感じた斗楽は、慌てて鞄から一枚のDVDを取り出した。 「……浅見さん。これを一度見ていただけますか」 「これは?」 「このDVDには浅見さんの歌がこんな風に慕われ、たくさんの人に歌われてるんだなてことが詰まってます。それを見ていただきたくて、お持ちしたものです」  何も書かれていないジャケットのディスクを、斗楽は浅見の前に差し出した。 「お忙しいとは思いますけど、どうか観ていただけますか。よろしくお願いします」  そう言って斗楽は、浅見の手にディスクを渡した。 「浅見さん、今日はお時間頂きありがとうございました。どうかよろしくご検討ください」  最後にひと言添えると、斗楽は心を込めて頭を下げた。
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