47人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
「久しぶりだな、ここにくるのは。相変わらずの気楽なホテル住まいか」
ディヴァインホテルの浅見の部屋に訪れた大友が、ソファに座るとブーツを脱ぎ捨てながら言った。
「ホテルのが楽なんだよ、誰も干渉しないしな……って、おい。脱いだなら端っこにでも片しとけよ、デカいブーツは邪魔だ」
「小姑みたいなこと言うなよ。それに久しぶりなんだから、俺様をリラックスさせてくれ。美味いワイン持ってきてやったからさ」
大友がテーブルに置いたボトルを指差し、自慢げな顔で見上げてくる。
この男は飲むことに関しては金に糸目はつけない。持参したものも、きっといいものだろう。
オーダーしたルームサービスが届くと、浅見はローストビーフやスティックサラダをテーブルに並べながら「締切は平気なのか」と悪友を心配した。
「ああ、余裕だ。期限内にあげたんだ、監督も文句はないだろ」
「それが当たり前なんだよ。ま、でも今日は心置きなく飲めるってことだな」
待ちきれずにグラスを持った大友が、「そー言うこと」と言って、ワインを注げと浅見に突き付けてくる。
呑気でマイペースをブレさせない男に呆れながらも、浅見はワインを注いでやった。
「そう言えば今度CMやるんだろ? どこの?」
「相変わらず耳が早いな。日本酒だよ。雪村酒造ってとこの」
空になった大友のグラスにワインを満たすと、浅見はうまそうに呷る男のネタ元に感心していた。きっとその相手は、業界に君臨する口の固いいい女なんだろうけど。
「へぇ酒か、いいな。撮影はまだ?」
「……ああまだ」
「お? なんだ、始まる前に問題勃発か?」
——この男はどうしてこうも察しがいい……。
大雑把に見えるビジュアルとは正反対に、人の敏感な変化によく気づく大友は、何か言いたげな様子の浅見を見抜いたらしい。
感覚が聡いことと、情報屋でも雇っているのではと言いたくなる情報の収集量は、週刊誌の記者なら舌を巻くほどだろう。
少し間を開けた浅見は、観察力の鋭い男の意見を聞いてみようと大友の方を見た。
「実は……そのCMで歌ってくれって言われてる」
「へえー、いいじゃないか」
思いもしていなかったのか、大友が顔中ほころばせて浅見の肩をバシバシと叩いてくる。
噛み締めるよう、何度も、歌かぁ、いいな。いいじゃんと、何度も言って。
「そんな簡単に言うな……」
浅見は額に手のひらを当てると、そのままソファの背もたれに寄りかかり、天井に向かって溜息を吐き出した。
浅見の心情を、本人の次くらいには把握しているだろう大友が、普段はあまり見せない、真剣な眼差しを向けてくる。
「……まだ引きずってるのはわかる。けどそろそろ前に進んでもいいんじゃないか? お前にとっちゃ簡単じゃないって言うんだろうけどな」
「もう引きずってはいない。ただそんな気になれないだけだ」
手で顔を覆ったまま、くぐもった声で浅見が溢す。
「厄介な性格だね、薫君は」
グラスを置こうとした大友が、テーブルの下の棚にある一枚のDVDに目を留めた。
「薫、これなんのDVD?」
大友が手にしたディスクで浅見の手の甲に突っつくと、指の隙間から覗き見た浅見が、ああと言って上半身を起こした。
「それは今回のCM担当している会社の子が、俺に見て欲しいってくれた資料……かな。多分——」
「まだ見てないんだな」
「まあ……」
「よし、今から見ようぜ」
吸っていた煙草を灰皿に押し付け、大友が浅見の返事を待たず、DVDをケースから取り出しデッキに挿入した。
「今度一人の時に見るから今いい」と言った浅見の声は無視され、大友が手早くリモコンの操作を進めている。
「どんな内容か気にならないのか? 俺は気になる」
「蓮が気にしてどうするんだよ」
言い出したら人の話を聞かない大友の性格を知る浅見は、観念して映像が流れるのを待った。
動画が始まった。
タイトルも何もなく、いきなり映像が流れ出す。
カメラがどこかの会館のような場内を移すと、舞台のような場所が画面一杯に映し出された。
ざわざわとした声が大きくなると、それを静止させるよう、マイクを持った司会らしき男性が舞台の袖から音声を確かめている。
男性から再び壇上へアングルが変わり、正面で静止すると制服を着た男女がひな壇を端から埋めていった。
『次は、卒業生による送る歌』と司会の男性がマイクで進行すると、ピアノ演奏が始まった。
「これどっかの中学? の卒業式だな」
無言で見ていた大友が呟いた。
「……ああ」
的を得ない映像に、浅見は首を傾げつつも画面を見ていた。
前奏が始まり、流れてきたその曲に浅見が気づくと、横で座っている大友もわかったのか、横顔を見やると「へー」と口角を緩めていた。
「これ薫の歌だな。たしか学園もののドラマの主題歌だったよな」
「……だな」
声変わりが初々しい男子生徒と、それを補うような女子生徒の歌声が、友情や絆を表している歌詞にピッタリはまっていて、参列している保護者の何人かはハンカチで目頭を拭っていた。
二人はしばらく耳を傾けていたが、大友がある事に気づいてポツリと漏らした。
「この学校青森県みたいだな」
「青森? なんでわかった?」
画面に映っている壇上に置かれた金屏風の横に、『第五十四回青森県第三弘前中学校 卒業式』と書かれた進行表を大友が指差した。
「本当だな」
答えた後再び無言になり、部屋には中学生の歌声だけが波紋のように広がっていた。
「やっぱいい歌だな、この曲」
優しく包み込むようなメッセージソングを、大友が懐かしそうに聞いている。浅見はそんな姿を一瞥すると、「俺が初めて書いた曲だ……」と溢して画面に視線を戻した。
卒業生の合唱が拍手喝采の音で終りを告げ、液晶画面は暗くなった。
大友がリモコンを手に、「終わったか」と言って画面を消そうとした時、暗転が明るくなると、賑やかな楽器の音と共に新たな映像が始まった。
「まだあったんだ、今度は何が始まる?」
ワクワクしてきたのか、大友が身を乗り出して画面にかじりついた。
映し出されたのは高校生らしき野球部の試合だった。
応援席が映し出され、画面には三十人程の制服姿の女子生徒が、おのおの楽器を手にしていた。
指揮者が指揮棒を振りかざすと、迫力のある演奏が始まった。
「これ、これも薫の歌だよなっ」
クイズの答えが分かったかのようなテンションで大友が叫んだ。
さっきの曲とは打って変わり、テンポのある明るい曲がリビングに鳴り響く。
曲の合間には北海道を思わせる高校名を全員が叫び、バッターボックスに立つ生徒を鼓舞している。バッターは見事にヒットを放ち、演奏は鳴り止まず、チェンジになるまでグラウンド中に溢れていた。
再び液晶が暗くなり、また違う映像が流れてきた。
体育館の中にバスケ部らしいユニホーム姿の生徒達が、先生らしき男性に花束を渡している様子が映し出されていた。
代表の生徒が男性に向け、お礼の言葉をしたためた手紙を読んでいた。その生徒が読み終えると、他の部員の元へ加わった。そして一人の生徒がスマホを操作し前奏が流れてくる。
「薫、この曲も……」
スマホから流れてきた浅見の歌声に合わせ、ユニホーム姿の生徒が一斉に歌い出した。
その曲はいろんな人との出会いや出来事を振り返っている、いわゆる感謝ソングだった。
いつの間にか二人は無言で画面を見つめていた。
次々と画面が変わり、そこに映し出された歌は全て浅見の歌だった。
「お前の歌すごいよな。こんな若い子らにも知ってもらってて」
新しい煙草を口にしようと持っていた箱をテーブルに置き、大友が浅見を見て言った。
浅見は黙ったまま画面を見ていた。するとそこにギターの音色が聞こえ、一人の青年が駅前らしい場所に立っている姿が映った。
青年はギターを弾き、全身から振り絞るような歌声を夕暮れの街を、行き来する人の足を引き止めるように歌っていた。
「これも薫の歌だ。俺この曲が一番好きだな」
画面に映る青年と一緒に、大友が口ずさんでいる。
「……振られる歌だけどな」
言葉数少なく浅見は答えた。
青年の前には数人の町人が足を止め、切ない歌詞の世界に共感しているのか、食い入るように路上ライブを見ている。
間奏に入った時、遠くに男性の声が聞こえたのに浅見が気づいた。それは大友の耳にも聞こえていたようで、顔を見合わすと「何か聞こえたよな」との問いかけに浅見も頷いて返した。
「気になるな、巻き戻してみるか」
大友がリモコンで数秒前に映像を戻し、音声のボリュームを上げた。
男性がサビを歌い終わるところから画像は再開され、ギターの音の向う側に声が聞こえてきた。
『あ、雨だ。雨ですよ斗楽先輩』
『うわ、マジか。本降りになる前に朝日は先に帰れ』
雑音の中聞こえてきたのは斗楽の声だった。
浅見は知らず知らずに膝の上で掌を握り締めていた。
『俺傘買ってきますよ』
『平気だ。ヤマトさんも雨の中で歌ってるんだ、朝日は風邪引いたら困るから先に帰れ』
『ダメですよ、斗楽先輩一人に出来ません。俺も残ります』
雨の中ストリートミュージシャンの『ヤマト』を撮影しながら、斗楽と朝日のやり取りが小さく録音されていた。
歌の後半の映像は、傘をさす数人の通行人とずぶ濡れの青年。そして激しい雨の中での演奏で幕を閉じた。
「雨の中を最後まで撮影して、あの声の人達、いい根性してるよな。歌ってる奴もずぶ濡れだったけど、ビデオ回してた人もきっとびしょ濡れになっただろうな」
この映像が最後だったのか、画面は何も映し出さず、吸い込まれるように暗くなった闇に、紫煙を纏う浅見の当惑した表情が映し出されていた。
「全部いい映像だったな。で、どうするんだ薫」
浅見は大友の問いかけも耳に入らないほど考えこみ、顎に手を添えてジッと考え込んでいる。
「忘れる事は出来ないでいいと思うよ、俺は。それも含めて『薫』なんだから。一人で乗り越えて行かなきゃいけない事なんてないんだし」
いつもふざけているキャラとは別人の大友が、浅見の肩に手を置いて言う。
「これを作った人は本当に薫の歌が好きなんだな。仕事とはいえこれだけの動画を探すのも大変だっただろうし。青森や北海道ってさ……」
「……そうだな。大変だったろうな……」
斗楽の顔を思い出し、浅見はかすかに微笑んだ。テーブルに置いてあったケースの蓋を開け、ディスクを収めようとして、ふと裏蓋に何かが書いてあるのを見つけた。
『全て最高の歌です』
手書きで小さく、でも思いのこもった文字が浅見の胸に染み込んできた。
心の奥がほのかに温かくなり、斗楽の顔を見たくてたまらなくなった。
「前に進まないとな。このまま自分自身を縛り続けるのはもうやめるよ」
浅見は今までつっかえていた、身体の奥の異物が抜け落ちたような気がし、唇が勝手に言葉を発していた。
「歌……また歌ってみるわ」
最初のコメントを投稿しよう!