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「日下部さんいた。よかった、まだ残ってたんですね」  事務所の扉を開けると、デスクに座る日下部の姿を見つけ、斗楽は自然と駆け寄っていた。 「どうした、何かトラブルか?」  書類を広げていた日下部が手をとめ、目の前にいる斗楽に驚いている。 「いえ、無事に書類は受け取りました。これを」  見積書の入った封筒を取り出すと、日下部のデスクの上に置いた。 「内容に不具合なことでもあったのか?」  直帰でいいと言ったにもかかわらず、帰社した斗楽を不思議そうに見上げてきた。 「内容に変更はありません。ただ先に日下部さんに目を通してもらった方がいいかと思いまして。こちらが提示して修正してもらった最終版ですから」  屈託のない笑顔を惜しみなく日下部に向け、自席に鞄とコートを置いた。 「……そうか」 「でも正直に言うと、月曜日の会議に持ってくるのを忘れちゃいそうで。ほら、俺って肝心な時にやらかしちゃうでしょ。あ、でも日下部さんに確認して欲しかったのは本当ですよ」  へへっと頭をかきながら、斗楽はついこの間も、期限に間に合わず、自宅で作成したSP広告用の資料を忘れたと言う失態を思い出しながら言った。 「そそっかしいって自覚があるだけマシだな。忘年会の時もやらかしてたお前だもんな。あんなデカいお面つけてはしゃいでたら、転ぶのは無理ないな」 「それ言わないで下さいよ。一応反省はしてるんですから。だから、こうやってマネージャー様に大切な資料を献上してるじゃないですか」  上司に向かって片目を瞬かせ、斗楽がおどけて見せる。こう言った砕けたやり取りが許されるのも、部下思いの日下部だからこそだった。 「にしても、もし俺が今夜予定あったらどうしてたんだ。残っていたからいいものを、無駄足になってたかもしれないのに」 「本当に! でも日下部さんはいました、予定なくてよかったです」 「去来川——お前な、もうちょっと包み隠して言え。まるで俺が週末に予定もない寂しい人間みたいじゃないか。でも、まあ悲しいかな、現実はこうして月曜日の準備をしてたぐらいだけどな」    苦笑しながら日下部が、手にしていた書類をパンっと叩いた。その様子に顔を緩ませながら、斗楽も「俺も予定ゼロですよ」と、微笑みを返した。そんな斗楽に応えるよう、日下部の口角も緩んで微笑んでくれる。 「会議は朝イチ、九時からだからな。遅刻するなよ」 「大丈夫ですよ。俺には賢いスマホがついてます。ちゃんとスケジュールを知らせてくれますから」  そう言いながら机に戻ると、斗楽は鞄の中に手を突っ込んだ。そしてあるはずのものの存在を探しながら「あれ?」と言ってガサゴソと指でかき回している。 「どうかしたのか?」 「いえ……あれ、おかしいな」  斗楽は首を傾げながら、鞄の中身を一つ一つデスクに広げていった。 「無いのか?」  入れたはずのスマホが見当たらない事にショックを受け、斗楽は日下部の問いにコクリと頷いて肩を落とした。 「デスクの引き出しとかに忘れてないか?」  斗楽の肩越しから日下部が机の上を覗き込み、心配そうに尋ねてくれた。 「いえ、アイルジャパンに向かうとき、電車の時刻を調べるのにスマホ使ったんで持って出たのは確かなんです……」  心許ない顔で斗楽が感嘆を漏らした。 「そうか。あ、だったら一度スマホに電話してみたらどうだ。もしかして拾った人が出てくれるかもしれない」  日下部がデスクの上にある受話器を取って、ほらと差し出してくれた。  日下部の提案にパッと顔を上げた斗楽は、「ですね、一度かけてみます」と、自分の番号をダイヤルし呼び出し音に耳をすませた。だが、コール音が虚しく鳴るだけで繋がる気配が感じられない。  諦めて受話器を置こうとした時、『もしもし』と落ち着いた低い男性の声が聞こえてきた。 「も、もしもし! すいません、そのスマホ俺が落としたものなんです」  前置きもなくいきなり本題を放ち、電話の相手に訴えた。 『……これ、タクシーに落ちてましたよ』  深みのある声の持ち主は、斗楽の慌てた様子を悟ったのか、ゆっくり説明してくれた。 「あっ、タクシーですか! そうだ鞄を……。あの、拾って頂いて本当に助かりました。ありがとうございます」  安堵の溜息を溢し、そんな斗楽の様子に安心したのか、日下部が自席へと戻って行った。 「あの、ご迷惑かと思いますが取りに行かせて頂いてもよろしいでしょうか」  斗楽が不安そうに聞くと、かまわないですよと、声が返ってきた。 『ディヴァインホテル分かりますか? 横浜駅からから少し離れた所にあるんですが』 「ディヴァインホテル……。はい、わかります。行ける距離です」   男性の言ったホテルの名前をメモしながら、そこまでの経路を頭の中で描いた。 『では、そこのロビーに八時半で。ああ、その時間で大丈夫ですか?」 「大丈夫です。八時半ですね、本当にありがとうございます」  返事をしながら斗楽は時刻を確認した。  ——八時前か……、間に合うな。  会話が終わりそうになり、斗楽は慌てて「あの、何か目印を——」と、言いかけた時、男性がああ、と呟いた。そして数秒の間を置いて『黒いフレームの眼鏡をかけてます』と教えてくれた。 「眼鏡ですね。あ、すいません、あと他に何かないでしょうか」  流石に眼鏡だけの目印では不安に思え、急いで追加の目印を求めた。 『鶴……』 「えっ?」 『折り鶴を目印に』 「折り鶴って、あの折り紙の……」 『そう、それで目印になるでしょう』 「は、はぁ。わかりました……」  想像もしてなかった回答に少し戸惑いながらも、斗楽はスマホが手元に戻ることに安心し電話を切った。
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