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「……よかった」
慎太郎は優しい笑顔を見せてくれた。
彼が私の笑顔を見たいと言ってくれたように、私も彼の笑顔をもっと見たかった。
踏切がなかなか開かない。このままでは門限を大幅に過ぎてしまうかも。
でも、一秒でも長くこうしていたかった。好きな人と手を繋ぎ、見つめ合っていたかった。
夕日が空と街を染めている。
今まで生きてきた中で、一番きれいな景色だと思えた。
彼がこの世界を色づけてくれた。
透明だった心の中を、色鮮やかに染めてくれた。
「俺も好きだよ。……リナのこと」
踏切がやっと開き、人が流れていく。もたもたしていたら、また遮断機が下がってしまう。
それでも私たちはその場にただ佇んでいた。
「……も、もう~!」
大げさに笑うと、彼はようやく名前の呼び間違いに気がついたらしく、はっと口を噤んだ。
「慎太郎ったら、肝心なとこで間違えないでよね!」
私はなるべく明るい笑い声を立てた。慎太郎はつられてぎこちなく笑おうとする。
「ご、ごめん」
でもまた俯いてしまった。
違う。
そんな顔が見たいんじゃない。
慎太郎には、心から笑ってほしかった。
私は彼の手をさらに強く握りしめた。
「慎太郎」
――笑って。
そう言い掛けた時だった。
「――慎!!」
私たちの背後で女の子の声がした。
振り向くと、有名な進学校の制服を着た女の子が立っている。スタイルがよくてとても可愛い子だ。黒く艶やかなロングヘアが白い肌によく似合っている。
でも、彼女は鬼のように険しい形相で私たちを睨んでいた。
慎太郎が「リナ」と低い声で呟く。同時に、再びカンカンカンと警報機がやかましく鳴る。
「慎、今度はその地味な子と浮気するつもりなの?」
「リナ」らしき女の子が近づいてくる。ゆっくりではあるけれど気迫があり、その姿は今日観た映画のゾンビを連想させた。
ゾンビにおののく役者のように慎太郎が後ずさる。彼の手が私からするりと離れた。
――別れた原因は、彼女の浮気。
慎太郎は自分の口ではっきりと言っていたはず。
でも、リナは彼に「また浮気をするのか」と訊いた。だから、慎太郎かリナのどちらかが嘘をついているということになる。
けれど問い詰めるまでもなかった。
慎太郎の顔は血の気を失い真っ青だ。
「……っ!」
彼は身を翻し、躊躇せず遮断機を持ち上げくぐってしまう。
「慎! 逃げるな!」
リナの怒声が上がる。
でも彼は止まらない。一目散に向こう側へ走り抜けようとし、そしてレールに足を取られて転んだ。
警笛と衝突音が同時に鳴る。
少し遅れて、通行人たちの耳をつんざくような悲鳴。
「……」
脚から力が抜けてしまいアスファルトの上にへたり込む。
きれいだと思っていた景色が鮮やかな赤に染まっていく。悲鳴は止まない。
まるで、パニック映画を観ているみたい。
けれど私は一言も発することができずにいた。感情が沸き起こらなかったからではない。
初恋の男の子から、教えてもらったことがある。
「人間は本当にパニックになった時には、声を上げることすらできなくなる」、ということだ。
「透明なこの世界を、きみが色づけるから」 了
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