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五月十七日。鹿島悠人は深夜の子守峠に来た。鹿島はオカルトマニアの大学生である。子守峠では遺体が何度も発見されていたので、マニアの間では心霊スポットとして有名だった。
鹿島は峠に到着すると、車を路肩に止め、外に出た。
懐中電灯で辺りを照らす。外灯は無いものの、道路は綺麗に舗装され、崖になっている片側にはガードレールが設置されている。変わった所は特に無い。
鹿島は周囲を観察しながら考えた。やはり遺体が何度も発見されるのは、幽霊の仕業だろうか。犯人が生きた人間であれば、被害者をわざわざこんな辺鄙な場所に呼び出さないだろう。怪しまれるだけだ。無理やり連れ込むにしても、こんな道路ではなく、もっと目立たない山奥を犯行現場に選ばなければおかしい。
鹿島が思索に耽っていると、誰かから声をかけられた。
「もし、そこのお方」
鹿島は生唾を飲み、声がした方を見た。そこには赤い和服を着た女が立っていた。暗闇にいるにも拘らず、その姿は不気味な程はっきりと見える。
幽霊だ、と鹿島は直感的に思った。幽霊をこの目で見るのは初めてだった。それまでは見る事を期待していたというのに、いざ目の前に現れると、体は恐怖に支配され、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られた。
だが、この幽霊がここで発見される遺体の元凶であるとすれば、下手な行動を取るのはまずい。鹿島は逃げずに様子を伺う事にした。
女が言う。
「この子が夜泣きをするので、一緒に子守唄を歌ってください。この子の父親の代わりに」
女は抱いていた赤ん坊を鹿島に手渡してきた。赤ん坊には首が無かった。
鹿島は逃げ出したくなる衝動をぐっと堪え、赤ん坊を受け取った。
女が言う。
「私が子守唄を歌うので、後から私と同じように歌ってください。いいですね、絶対に同じように歌うのですよ」
鹿島は黙って頷いた。もし逆らえば殺されてしまうだろう。
「では、歌いますよ。ねんねんころりよ、おころりよ。坊やはよい子だ、ねんねしな」
女はそこで歌を止め、鹿島を見た。鹿島は口の渇きを煩わしく思いながら、女と同じように歌った。
「ねんねんころりよ、おころりよ。坊やはよい子だ、ねんねしな」
女が次の歌詞を歌う。
「ねんねのお守りは、どこへ行った。あの山越えて、里へ行った」
鹿島は必死で歌詞を覚えて歌った。
「ねんねのお守りは、どこへ行った。あの山越えて――」
その時、鳥が飛び立ったのか、近くの木々がガサガサと音をたてた。
「ひっ」
鹿島は驚いて歌の途中で声を上げてしまった。
女は恨めしそうに言った。
「あれほど同じように歌えと言ったのに」
鹿島はこれまでだと思い、女に背を向けて逃げ出そうとした。
その時、女が突然耳を押さえてうずくまり、大声で喚きだした。
「うるさいうるさいうるさいうるさい」
うるさい、と言って女は苦しんでいるが、鹿島には何も聞こえなかった。鹿島は逃げるのも忘れ、その光景に目を釘付けにされた。
女が言う。
「ああ、夜泣きがうるさいからと、坊やの頭を食ろうたのが間違いじゃった。いつまでも私の体の中で泣き続ける。かくなる上は、胃袋を裂いて坊やを取り出すしかあるまい」
女は懐から出刃包丁を取り出し、自分の腹に突き刺した。
鹿島はそれを見て叫び、赤ん坊を地面に置いて、転びながら車内に逃げ込んだ。震える手でエンジンキーを回し、なんとか車を発進させる。
鹿島は無事に家まで帰る事ができた。
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