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七月二十八日。深夜の子守峠を一人の老人が訪れた。老人は清庵という名の僧侶で、左手に懐中電灯、右手に錫杖を持っていた。
錫杖を鳴らしながら峠を歩いていると、誰かが声をかけてきた。
「もし、そこのお方」
清庵は声がする方を見た。赤い和服の女が立っている。
「なんですかな?」
清庵は平然と尋ねた。
「この子が夜泣きをするので、一緒に子守唄を歌ってください。この子の父親の代わりに」
「……」
清庵は返事をせず、首にかけていた頭陀袋に懐中電灯をしまうと、中から赤ん坊を取り出した。
「まぁ……」
女はその赤ん坊を見て感嘆した。
赤ん坊は光り輝いており、幸福そうな笑みをたたえている。
女は清庵に近づき、赤ん坊を覗き込んで言った。
「なんて可愛い赤ん坊なのでしょう」
清庵が言う。
「この子を、あなたに差し上げましょう」
女は驚いた表情で尋ねた。
「よろしいのですか?」
「ええ、大切にしてやってください」
「まあ、嬉しい」
そう言うと、女が抱いていた首無しの赤ん坊は煙のように立ち消えた。女が空いた両手で清庵の赤ん坊を受け取る。
「可愛い坊や。私の坊や」
女は赤ん坊に頬ずりした。
清庵は諭すように言った。
「この子は夜泣きなどしませんよ。だからもう、他の人間から魂を抜き取る事はお辞めなさい」
「まあ、なんてお利口さんなんでしょう。可愛い坊や。私の坊や」
女はそう呟き、姿を消した。すると、女が抱えていた赤ん坊が地面に落下し、ゴトンと音がなった。赤ん坊は、石の地蔵になっていた。
清庵は地蔵を抱えると、道の脇に立てた。
「とりあえずはこれで大丈夫だろう」
清庵は一人呟き、地蔵に背を向けて歩き始めた。
ピシッ
背後から妙な音がした。獣が枝を踏む音ではない。まるで硬い物にヒビが入ったかのような……。
清庵は急いで振り向き、地蔵を見た。
首の無い赤ん坊が三人、地蔵にしがみついていた。凄まじい力で地蔵を締めつけているようで、石の表面にヒビが入り、小さく崩れている。
「やめんかっ」
清庵は地蔵の元に走り、錫杖で赤ん坊を払った。赤ん坊は地蔵から弾き飛ばされたが、また地面を這いずって地蔵にしがみつこうとする。
その間に、地面からぞろぞろと首無しの赤ん坊が湧き出し、その数は十人、二十人と増えていった。
清庵は錫杖を振り回しながら叫んだ。
「女に殺された亡霊達よ。これ以上犠牲者を増やして何になる。お前達の仲間が増えようと、お前達の魂は永遠に救われんぞ」
清庵の叫びも虚しく、赤ん坊は次から次へと湧き出し、地蔵の周囲に群がった。赤ん坊の体は他の赤ん坊と溶け合うようにして一体化し、地蔵を壊そうとする巨大な怨霊の集合体と化していた。
「やめてくれ」
清庵は怨霊の塊に錫杖を突き刺そうとした。だが錫杖は届かなかった。清庵の足下から何十人もの赤ん坊が這い上がり、体の動きを封じた。赤ん坊は清庵の体を締めつけ、ミシミシと骨の軋む音がした。
「や……め……」
清庵は足の骨を折られ、地面に倒れた。その直後、地蔵が砕け散る音が辺りに響いた。
すると、赤ん坊達は一箇所に集まり、体を溶け合わせて一人の小さな赤ん坊になった。それを、赤い和服の女が抱きかかえる。
「よしよし。可愛い坊や」
女は倒れている清庵を見下ろして言った。
「あら丁度いい。生き血を分けてもらいましょう。いいお乳を出すために。可愛い坊やのために」
女は懐から出刃包丁を取り出した。
翌日、子守峠で清庵の遺体が見つかった。遺体は刃物で全身を複数箇所刺されており、男性器が切り取られて口に詰め込まれていた。外傷はそれだけではなく、骨が何箇所も折れ、しかも体中の皮膚に赤ん坊の手形のような痣が付いていた。
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