子守唄を歌ってください

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 八月九日。深夜の子守峠を二人の姉妹が訪れた。姉の田崎麻衣は大学生で、妹の静香は高校生である。  二人とも怖い話が大好きで、ネットの怪談を読むのが趣味だった。二日前、姉の麻衣はネットで子守峠が心霊スポットとして紹介されているのを見つけた。肝試しには丁度良い季節であり、場所も家からそれほど遠くなかったので、妹の静香を誘って子守峠へ来たのだった。  麻衣が車を止め、静香が先に助手席から降りた。 「お姉ちゃん、めっちゃ怖いよ」  静香が興奮気味に言う。 「いやー、雰囲気あるね」  麻衣も車から降り、懐中電灯で辺りを照らしながら言った。 「あ、お姉ちゃん、あれ見て」  静香はスマートフォンの明かりを歩道の端に向けた。そこには砕けた地蔵の頭が転がっていた。側には胴体の破片もある。  二人は地蔵に近づいた。麻衣が言う。 「誰が壊したんだろう。罰当たりだね」 「うん、でも、ますます怖いね」 「……なんだか嫌な予感がする。もう帰ろうか」  麻衣がそう言った時だった。 「もし、そこのお方」  突然、知らない女の声がした。驚いて声がした方を見ると、二人の側に赤い和服の女が立っていた。もし歩いて近づいてきたのであれば、足音が聞こえて気づくはずである。どう考えてもおかしい。  二人は女が幽霊なのだとすぐに悟った。静香が怯えて麻衣の腕にしがみつく。麻衣は自分の腕を掴む静香の手を握った。  女が言う。 「この子が夜泣きをするので、一緒に子守唄を歌ってください」  女は赤ん坊を二人に差し出してきた。赤ん坊には首が無かった。  それを見て静香は悲鳴を上げ、麻衣の腕を引っ張ると、車まで駆け出した。 「どこへ行くのです?」  静香の前に突如として女が現れた。驚いて静香が尻餅をつく。 「さあ、抱いてやってください」  女は静香に赤ん坊を差し出した。  静香はまた悲鳴を上げ、麻衣をその場に残して自分だけ逃げ出した。 「なんて冷たい人」  麻衣は隣で女がそう呟くのを聞いた。すぐに女の方を見たが、誰もいない。  その時、静香の足音が止まった。見ると、静香は地面に倒れ、女が側に立って見下ろしている。女の手には出刃包丁が握られ、刃には血が付いていた。  麻衣は静香の元へ駆け寄ろうとしたが、がたがたと足が震えて動けなかった。目の前の光景が嘘だと思いたかった。これはきっと悪夢なのだ。きっと……。  女が言う。 「ああ、血がもったいない。全部飲み干しましょう。いいお乳を出すために。可愛い坊やのために」  女がしゃがみ込み、静香の体に口を付けた。ズズ、ズズ、と血をすする音が辺りに響く。  麻衣はそれを見て嘔吐した。そして思った。これは夢ではない。このままでは静香が死んでしまう。  麻衣はポケットからスマートフォンを取り出し、警察に通報した。 「あの、もしもし警察ですか? 妹が――」 「誰と話しているのですか?」  突然、目の前に女が現れた。短い悲鳴が麻衣の口から漏れる。  女は赤ん坊を差し出しながら言った。 「この子のために、子守唄を歌ってください」  麻衣はスマートフォンを耳から離し、赤ん坊を受け取った。おとなしく従わなければ静香と同じ目に遭うと思った。  女が言う。 「私が子守唄を歌うので、後から私と同じように歌ってください。いいですね、絶対に同じように歌うのですよ」  麻衣は嗚咽を漏らしながら頷いた。 「では、歌いますよ。ねんねんころりよ、おころりよ。坊やはよい子だ、ねんねしな」  麻衣は涙を流しながら歌った。 「ねんねんころりよ、おころりよ。坊やはよい子だ、ねんねしな」  その後、麻衣は懸命に女の後に続いて歌い、三番目の節まで辿り着いた。  女が歌う。 「里のみやげに何もろた。でんでん太鼓にしょうの笛」  麻衣が続ける。 「里のみやげに何もろた。でんでん太鼓にしょうの笛」  女は笑顔で言った。 「ありがとうございました。これで坊やも満足するでしょう」  麻衣はひとまず安堵したが、静香の事が気がかりでならなかった。  女が言う。 「あなたは本当にいい人ですね。私なんかより、あなたの方がよっぽどその子の母親にふさわしいわ」 「え?」 「その子をあなたに預けます。どうか幸せにしてあげてください」  麻衣は頼みを聞き入れるか悩んだ。赤ん坊の幽霊など預けられたくなかったが、女の頼みを断れば殺されるような気もする。  ただ、女に感謝され、優しい雰囲気を感じ取ったのと、女の子供を持ち出す方が、結果として女の怒り買うような気がしたので、頼みを断る事にした。 「いや、子供は本当のお母さんと一緒にいた方が幸せに決まってます。この子はあなたに返します」  麻衣は赤ん坊を女に差し出した。 「……いいえ、そんな事はないのよ」  女は悲しそうな顔でそう言い、煙のように消えてしまった。それと同時に、抱いていた赤ん坊も消えた。  麻衣はようやく女から解放され、大きな脱力感を覚えた後、急いで静香の元に走った。静香は胸を押さえて地面に倒れていた。刺し傷は一箇所しかなく、まだ意識があった。 「お姉ちゃん……」  静香が消え入りそうな声で言った。 「しゃべっちゃダメ。今病院に連れて行ってあげるからね」 「私だけ逃げて、ごめん」 「謝らないで。元はと言えば私がこんな場所に連れてきたのが悪いんだから」  麻衣はスマートフォンで近くの病院を調べた。二キロ先に大きな病院がある。救急車を呼ぶより、自分の車で連れて行った方が早い。  麻衣は静香に肩を貸して歩き、車の助手席まで運んだ。運転席に座って車を発進させる。  深夜なので道は全く混んでいないはずだ。五分足らずで病院に着く。 「頑張って。もうすぐだからね」  麻衣は隣の静香を励ました。  その時、アクセルを踏む足に違和感を覚えた。視線を足下に落とす。麻衣の足に、首無しの赤ん坊がしがみついていた。  麻衣は悲鳴を上げた。赤ん坊は一人だけではなく、前方に視線を戻すと、何人もの赤ん坊がフロントガラスを埋め尽くすほど張り付いていた。その内の一人がぬっとガラスをすり抜けて車内に入ってくると、ハンドルに体重をかけて回した。  翌日、子守峠で麻衣と静香の遺体が発見された。遺体はガードレールに衝突した車の中にあった。  二人の遺体は頭部が欠損し、首から上が無かった。頭部は車内に無く、警察が現場近辺を捜索したが見つからなかった。  また、担当刑事は鑑識の報告書を読んで頭を悩ませた。そこには首の切断面が毛羽立(けばだ)っていたと書かれている。もし刃物で切断されたのであれば、断面は綺麗な水平となる。それが毛羽立っていたという事は、何か大きな力が加わり、首が引きちぎれたとしか考えられない。  ガードレールにぶつかる位ではそれ程の衝撃は発生しないので、刑事は犯人が二人の頭部を持ち去るために首を切断したのだと推理したが、首の切断方法までは分からなかった。
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