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幼馴染と
『今日のプロ野球の結果をお知らせします』
テレビから流れてくる聞きたくない情報に耳が向かないよう、汚れたテーブルの上を力一杯ふきんで拭き取る。
「家永選手ですが、大リーグへの移籍が決定…」
そこまで聞いて、近くにあったテレビのリモコンの電源を押した。
「海斗、何勝手に消してんだ!」
「いいだろ別に、客も引いたんだし」
「類君がテレビに出てんだろ、見たいじゃねぇか」
ふんっ、と父親から顔を背けた。
見たいわけねーだろ、俺だってああなれたかもしれないって思いながらあいつの活躍なんて喜べるわけないだろ。
「知らねー、親父、俺この後子供達のとこに行くから仕事…」
「いいよ、わかったから行ってこい」
「サンキュー」
使い終わったふきんとエプロンをキッチンの親父に渡し玄関に置いてあるリュックを背負って急いで店を出て行く。
自転車で10分、坂を上がって堤防沿いを走る。
周りの木々や草花は緑一色で染まり自転車で風を感じると夏のいい匂いがして気持ちがいい。
ここは市の管轄なので、川沿いにはイベントができるような広場や運動場、子供たちが使える小さな球場がある。
俺はそこで小学生達が集まってできたシャインという野球チームで監督をしている。
土曜日の午後13時から2時間程度、高校の時の後輩等も手伝ってくれているが、いかんせん子供の少ない時代、チームのメンバー数も交代用意含めギリギリの状態だ、コーチも1人で充分。
なので2人と子供のお母さんの手助けでなんとかやれている。
自転車を走らせる事10分。
まだ子供達が集まるには1時間ほどあるが、いつもこの時間に来てはウォーミングアップをして子供達を待つ。
監督が動けなきゃ子供達に示しがつかないだろ?
坂を降りて自転車をとめる。
グラウンドに向かって歩いていると後ろ姿の大きな人影が見えて、声をかけた。
「佐々木、早いじゃん、いつもギリギリなのに」
そう言って2メートルほど近づくと彼が振り向いた。
「類…」
言葉を失くし立ち尽くす。
「久しぶり、海斗」
背負ったリュックのストラップをギュッと握りしめた。
子供の頃描いた自分の未来そのものがそこに居る。
なりたくて頑張って強豪校でレギュラーまでとったのにそれは淡い夢と消えた。
何でこんなとこにいるんだよ、お前プロ野球選手になって遠い存在なったんだろ。
「何でお前がここに…」
立ち尽くした俺を見て諦めたのか、彼はゆっくり歩いて近付いてきた。
「明日からこっちのチームと試合だから、久々に海斗の顔見たいなと思って」
こっち来るな、嫌なんだ。
「あ…ああ、そうなんだ…」
「海斗…俺来ちゃダメだった?」
「あ…いや、そんな事はないよ、子供達も喜ぶし」
こいつが悪いんじゃない、こうなったのは俺自身のせいだ。
でも…でもっていつも考えてしまう。
「海斗…」
震えて握る手を見ながらあれ以来伸ばしている少し長い髪を彼は指で掬ってこめかみを確認する。
「傷消えないんだな…」
反射的に彼から距離をとってしまう。
「大丈夫、残ったのは傷だけだし、足は現役の時ほど動かないけど、普通に生活するには支障はないから」
「…そうか…」
類が少し悲しそうな顔をして微笑んだ。
話を変えなきゃそう思って咄嗟に今朝のテレビの話が頭によぎる。
「そ、そう言えば類大リーグのチームから声がかかってるんだって?すげーよな、アメリカかぁ、しょ、小学生の頃2人でなれたらな、って言ってたもんな、お前凄いよ!」
「うん、たぶん来年球団からOKが出たら直ぐにでも渡米する」
ああ、ダメだきっと笑えてない。
ズボンの裾をギュッと握りしめる。
笑顔、笑顔だ。
でもきっと変な顔してるな俺。
「そっかぁ…いいなぁ」
本当にすごい、幼馴染として喜んでやりたい。
でもどうして同じレールに乗っていたのに、自分だけ下車してんだって思う浅ましい気持ちがどうしても消えない、嫌なやつだ俺。
「海斗、その事なんだけど…」
「あ!!家永パイセン!!」
自転車に乗った後輩が家永を見つけて大声をかけてきた。
助かった、そう思った。
自然と握った手が緩む。
自転車を置いてこっちに駆け寄ってきた後輩が家永に抱き付く。
「久しぶりじゃないですか、有名人になったらこっちはほったらかしっすか??」
「佐々木、お前でかいんだから、抱き付くな重い」
「お仕置きっす、連絡くらいして下さいよ!」
「できるか、ここまで登ってくるのに必死だったんだよ」
「ええっ?パイセンがですか?またまた〜ね?海斗先輩」
何を喋ってるのか、あやふやで話を合わせるのに空返事をした。
「うん」
大リーグ、俺の夢だった大リーグ選手…
ちっぽけなプライドなんてまだ残っていたんだな、胸の痛みが疼いて切り離せそうにない。
「そうだ、パイセン暇なら子供達に少しでいいから指導してやってくれません?話をよくするんです。俺たちは家永選手と知り合いだ、なんて言っても子供達、誰も信じてくれないんすよ、お願いします」
類の目の前で両手を合わせて頭をさげると、ため息をついて「わかった」と了承してくれた。
「海斗、後で話がある、時間作ってくれ」
「…うん」
いつの間にか下を向いてた顔をあげて類を見る。
その端正な顔立ちや野球に適した立派な体格は昔から俺が欲しくてたまらなかったものだ。
身長が171cmしかなくてもあまり筋肉のつかない身体でも、技術を磨いたり早い足を活かしたりして2年で甲子園にも出場を果たした。
類は1年からスタメンだから、ライバル視するのはおかしいと思うけど、でもその土俵に乗ろうと必死に練習した。
こめかみの傷が疼く。
痛みもない、脳の後遺症もないけど、自慢の足がもう思うように動いてくれない。
ちくちくちくちく…
「海斗先輩、子供達とお母さん来ましたよ」
その声で我にかえると子供は類を見て大喜びで、お母さん方はプロのイケメン選手だと言ってキャッキャッとはしゃぎはじめていた。
それから類が子供達を指導して、2時間ほど練習してから最後にとお母さん方のお願いで、皆んなで集まり写真を撮った。
先生さよなら〜と大喜びで帰って行く後ろ姿を眺め、飯を食いに行きましょうと後輩が類を誘うのも断り、結局佐々木はまた今度飲みに行きましょうね、と言って帰っていった。
結局また2人だ…。
息苦しい。
嫌いじゃないし、苦手でもない。
幼馴染なだけあって相手のことは手に取るようにわかる。
けど、あれからは俺が避けてる。
「悪いな、時間取らせて」
上を向けない俺にイラつく様子もなく、しばらく無言のままベンチに座っていた。
息苦しさに痺れを切らして俺から声をかけた。
「で、何?話って」
「俺たぶん今月中にはアメリカ行きが決まるんだ」
「うん…良かったな」
「海斗…」
「うん」
「アメリカについて来てくれないか?」
「うん」
「良かった、なら準備よろしく」
「え?えっ?ご、ごめんちゃんと聞いてなかった」
上の空で返事してたら何故か行くってことになってた。
「もうダメ、うん、って言質とったからもう断れないぞ。アメリカ行って俺のサポートしてくれ」
「え?ええっ、俺なんて何の役にも立たない!無理だって!」
「そんな事はないよ、お前野球のために栄養学だのスポーツ学だのいっぱい勉強してただろ?」
「いや…それは…お前についてくのに必死で…一つでもお前より得意分野を増やそうと…」
「うん、それが役に立つんだ。俺のそばにいてバランスのいい食事作ってよ、疲れた体、癒して?それだけでいいから。」
「それだけって、なら彼女、そう!彼女連れてけよ!」
「彼女なんていないよ」
「え?だって去年のOB会で言ってたじゃん、彼女と仲良くやってる、って」
「あー、あれ嘘。周りがなかなかほっといてくれないから。ほら嘘も方便って言うだろ?」
「…そうなんだ、でも俺は無理だ、お前のそばにはいられない」
一緒に居たらどうしても自分を卑下してしまう。
こいつにはこんな俺を見て欲しくない。
暫く俺を眺めてから、類が日の暮れた茜色の空を見上げ立ち上がった。
「俺がさ、野球始めたのって海斗のおかげなんだよね、知ってた?」
「いや…知らなかった」
「あの頃、母親が病気で亡くなって、父親も俺も家事ができずに家の中はぐちゃぐちゃでさ、家政婦も見つからないし、小学生なのにイライラして、父親にも当たり散らしてたんだよね。そんな時海斗が『そんなにイライラしてんなら野球やらね?バット振り回して俺と甲子園目指そうぜ』って。覚えてないだろ」
言ったかも知れない。
その頃テレビで観た地元の高校生が、甲子園で活躍している姿が眩しくて、夢中でみていたから。
俺もあんな風になりたい、なんて憧れてた。
近くの野球チームにも入れそうだと聞いて類を誘ったんだっけ?
「言ったことは覚えてない、悪い、誘ったのは覚えてる」
類が両手で伸びをして俺を振り返る。
「いいんだ、別にそんなことは。ただ、本当にバットを振ってみたら俺、何やってんだろう、って頭がすっきりしたんだ、手に残る感覚がなんとも言えなくて、これ俺の天職になるかも…なんて」
俺だって類がバットを持った瞬間自分とは何か違うって感じたよ、だってお前あの時凄くいい顔してたもん。
「海斗は野球しかないって、プロに行くんだ、夢は大リーガーだ!って言ってだろ?事故に遭って夢を絶たれた海斗を見て、なら俺がなってやる、海斗をアメリカに連れてくしかない、って。海斗にしてみれば酷な話かも知れないけど、でも今の俺は半分海斗で出来てるんだ。海斗が野球するから、中学、高校と強豪校にも一緒について行った。だから海斗が交通事故にあって野球を断念するってなった時、俺決めたんだ、大リーグ行く、海斗の為に大リーガー目指そうって。だからそれまでは会いたくても会わないって決めてた、1人で頑張ろう、弱音は吐かないって。で、ここまで来た。だから俺を支えてくれ、海斗がいないと俺たぶん成功出来ないと思う…だって俺はお前のために野球続けてきたんだから…」
複雑な心境だった。
俺が野球をする訳じゃない、それは俺が叶えた夢じゃないだろ、って叫びたかった、でもこんな必死な姿みたら絆される。
俺が事故に遭っていようが無かろうが、結局大リーグなんて夢のまた夢だったのはよく分かっていた。
結局俺の僻みでしかない。
なのになんでそんな必死になってる?
たかだかプロになれなかった俺みたいな奴の為に…
「なんでそんなに俺なの?」
悔しい、悔しい。
悔しくて涙が出る。
「俺さ…」
類がベンチに座った俺の前にしゃがんで両手を握ってきた。
顔を上げた俺と目が合うとその手を口元に持ってきて軽くキスをした。
「海斗が好きだ」
傾いた夕日が類の顔を照らす。
「出会ったあの日からもう海斗しか好きじゃない」
ゆっくり手を離し俺のこめかみに触れる。
「何もかもが愛しい、俺を褒めてよ海斗」
手が頬に降りてきて唇にふれる。
「海斗…大好きだ」
ゆっくり顔が近付いてきて触れるだけの優しいキスをして抱きしめられた。
何故だか涙が出てきて彼の肩に吸い込まれていく。
頭を撫でる優しい手。
「なぁ海斗、俺と来てよ」
最初からわかってた。
俺だってずっとどこかに蟠りがあったんだ。
苦しい時も悲しい時も、楽しい時も、嬉しい時も一緒にいたんだよ?
俺だって…
「俺だって…俺だってお前の事好きだ…でも悔しい、悔しいんだ、お前の顔みるとあんだけ頑張ったのになんで?なんで俺じゃないんだ、って」
必死に堰き止めていた涙が溢れては止まらず、嗚咽を漏らしながら、類に抱きしめられながら大声で叫んだ。
「俺だってもっと野球したかった、お前になりたかった…」
「うん、ごめん、ごめんね」
類の背中に手を回しギュッと抱きしめ返した。
「おれ…俺も類が好きだ、寂しい。お前がいないと」
茜色の夕日が落ちてゆく。
どのくらい居たのか、俺たちは暫く誰も居ないグランドのベンチで2人、抱き合っていた。
とても静かな類の告白で、平凡な俺の毎日がこの日で一変することになった。
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