河原にて

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河原にて

百敲きの日からこっち、辰はずっとフワフワと浮世を漂っている。夢に沈めたらどんなに良いか、あの筋を体に刻めたらどんなに幸せか、いっそ罪を犯して刑を受けるのはどうか。 そうとまで思い詰めていた。 「おい、辰よ。お前ぇどうした」 「あ、ああ、平蔵。いや何でもねえ」 「変なやつだな、ちっとは遊べよ、女でも」 「ん、ああそうだな。うん、まあそのうちな」 「ちっ、付き合い悪いぜ」 平蔵はつまらなそうに行ってしまった。 辰はぼんやりと河原へ行き、土手に寝そべってまた思い出していた。 体が熱く疼いている。しかしこれを治める方法が見つからない。 悶々として空を見上げていると、遠くで草を叩くような音が聞こえた。子供が虫でも追っているのかと見たが、それらしい姿はない。 ただ女が一人立っているだけだった。 辰はその横顔に見覚えがあった。 百敲きの野次馬の中に、その女はいた。 すると女はあたりの長く伸びた草を、箒の柄のような棒で叩き始めた。 ヒュッ ヒュッ ヒュッ 風を切る音がすると草がしなり、ときどき千切れて空を舞う。 夕暮れに照らされたその光景は辰の目を眩ませた。 グラリと世界が揺れる。 瞬間、突風が二人を拐った。 「おい、何やってんだ、女」 「何って、見りゃ分かんだろう。叩いてんのさ」 「お前、あそこに居たろう?」 「ふふ。どうした兄さん、その顔」 「顔?なんか付いてるか?」 「付いちゃいないよ。ただ、欲しそうな顔しているだけだ」 「俺が?何を」 「決まってんだろ」 女はにやりと笑うと、手に持った棒を辰の目の前に出してゆらゆらとさせた。 緩く結った島田髷は後れ毛が垂れ、女の長い首にサラリとかかっている。短く端折った着物の裾からは張りのいい足が覗いていた。裸足に草履のその足は白く、捲った左裾の奥にチラリと見えた赤い襦袢が、その白に纏わりついていた。 辰の口の中はあの時と同じようにまた水が湧いていた。 それを隠すように横を向き急いで踵を返す。 しかし土手の伸び切った草に草履を取られ、よろけてそのまましりもちをついてしまう。 裾は腿の上まではだけ、白い畚が見えた。その中は窮屈そうにむっちりと膨れ、それは辰そのものを表していた。 「ほらな、兄さんはこれが、欲しくてたまらないのだろう?」 口の中に溢れた水は飲み込む間もなくダラダラと流れた。 女は辰の口元に近づきそれを手で拭ってやると、もう一度立ち上がり、畚の上から棒の先で辰をなぞった。 気を遣りそうになると手をゆるめ遠退かせる。なんどもそれは繰り返され、辰は涙をためた。 夕暮れ、長く伸びた草の間で二人は、敲刑を執行する。 辰の体には薄っすらと赤い筋が刻まれる。 表となく裏となく、全身で受ける辰を女は懸命に打ち鳴らす。 筋が増えるたび辰の顔は、歪み、ほどけ、溶けていく。 夕焼け空は一層赤くなり、雲と二人を染めていた。 End
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