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豪華客船セントローレンス号は、順調な航海を続けていた。一年をかけて世界を一周するこのツアーに、世界中のVIPや著名人などの名だたる富豪が大勢参加していた。
そして今宵、航海は行程の半分ほどの所まで来ていた。世界で最も広い海の丁度ど真ん中辺りの海域で、古くから人魚の伝説がある海である…。
“ワイワイ、ガヤガヤ…”
船の3階にある大ダイニングホールでは、この船旅きっての大イベントが行われようとしていた。乗客には、『素晴らしいサプライズイベントをお届け致します』とだけ伝えられていたので、集まった乗客は皆、様々な憶測をしながら、その瞬間を今か今かと心待ちにしていた。
「皆様!お待たせしました!今宵は皆様に、最高のショーをご用意致しました!では先ず、コレをご覧下さい!」
挨拶も早々に司会の男が壇上に用意されていた一片1•5メートル程の大きさの立方体に掛けられていた布を勢い良く剥ぎ取った。
「な、何と…!」
「こ、コレはすごい…!」
「まぁ…!伝説は本当だったのね…!」
乗客たちからは、どよめきが起こった。
「に、人魚だ…!」
「す、すごい…!本当にいたんだ…!」
騒めき興奮する乗客たちを司会の男が宥める。
「皆様!見ての通りです!コレは正真正銘の人魚です!この海域では、昔から人魚伝説がありますが、殆どの人は、それを見た事もないし、信じてもいませんでした!
しかし、昨日‼︎我が船のクルーが仕掛けた水中罠にこの人魚が入ったのです!ならば皆様に最初にご覧いただこうと我々は考えたのです‼︎」
“ワァァァーーー‼︎‼︎‼︎”
大ダイニングホールから大歓声が起こった。
「素晴らしい…‼︎」
「まさか人魚が見られるなんて…‼︎」
「高い金を払った甲斐があった…‼︎」
司会者は再び乗客たちを宥める。
「皆様!静粛に!噂によりますと、人魚は歌声は、この世で最も美しいと言います!ならば今ここで、是非とも皆んなで聴いてみようではありませんか!
コレは我々の特権です!スピーカーで船中に人魚の歌声をお届け致しますので、この会場に来られていない方も是非お聴きください!」
人魚は怯えてた様子で、水槽から顔を半分ほど出して辺りを見渡していた。初めて見る人間、それも大勢から向けられる好奇の目。人魚は、自分の若さ故に陥ってしまった現状に激しく後悔したが、もう遅い事を深く理解して、後悔していた。
そして、そんな人魚に司会者は小声で囁く。
「オラ!どうした⁉︎早く歌え!」
「で、でも…」
「貴様!とっとと言う事を聞け!さもないと、また電気ショックを喰らわせるぞ⁉︎それとも、人魚の肉には若返りとか、不老不死の効能がある言われてるな…。今すぐ3枚に下ろしてやろうか…⁉︎」
人魚は震えながら男を見ていた。
「どうした⁉︎早くしろ!」
「……。わ、分かりました…」
人魚はそう言うと、静かに歌い出した。
“……♪♩♫♬♪♬♫♩………”
「な、何と言う美しい響だ…!」
「今まで聴いたどんな歌手のどの歌よりも美しい…!」
「す、素晴らしい…!」
“♪♩♫♬♪♬♫♩………”
“どさっ…、どさどさどさっ…”
乗客たちが、次々と倒れてゆく。そして人魚が一曲歌い終えた時には、大ダイニングホールにいた全員が床に崩れて眠りに落ちていた。
「なるほど…。『私達の歌は、人間に強過ぎる。もし人間が聴いたらただでは済まない。だから私達は、出来るだけ人間とは交わらずに生きて行くんだ』と、大婆様が言っていた意味が良く分かっわ…。
きっと戦歌を歌っていたら争いが、喜びの歌を歌っていたら皆んな狂っていところでしょうね…。まぁ、子守唄にしたから全員寝ちゃったみたいだけど…。
この様子だと、いつ起きるか分から、逃げられるけど、どうやって逃げようかしら…」
数十分後。豪華客船セントローレンス号は、沈没した。隆起した珊瑚礁に激突し、船底が大きく破損したからだ。
船が激突した珊瑚礁は、航路から大きく外れた所にあったが、何せ操舵室及び、船中のスピーカーから人魚の歌声が流れていたのだから、船長はもちろん、船中の全員が深い眠りについていたのだ。
だが、そんな沈み行く船の中にあっても、人魚の歌を聞いた者達は、誰一人として目を覚ます事なく船もろとも暗く冷たい海底へと沈んでいったのであった…。
無事に船から脱出した人魚は、再び仲間の元に戻る事が出来た。そして人魚たちは再会を喜び、今宵も皆んなで歌うのだった。歓喜の歌を…。
この海域では、今でもたまに人魚の歌が聞こえ事があるらしい。でも、この海の漁師は決して人魚を探したり捕まえたりは、しないそうだ。彼らは知っているから。人魚と人間が関わると、必ず不幸な事が起こる事を…。
この海では、人間と人魚そうやってこれまで暮らして来た。そしてこれからも、お互いの距離を保ったまま、暮らして行くのである。終
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