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(6)
「まったく、アンタは全然ひとの話を聞かないのだから。アタシがどれだけ忍耐強いか、わかってないでしょ?」
「……レイノルドさま?」
「アンタみたいにぼんやりしている子は、アタシみたいなのが付いていないとあっという間に好き放題されちゃうんだから」
「なんか馬鹿にされていることだけはわかった」
むっとした顔でレイノルドを見つめるシンディに、仕方がないとでも言いたげにレイノルドが肩をすくめてみせた。シンディよりもずっと長くてさらさらの髪をかきあげて、これ見よがしにため息をついてくる。
「聖女の巡礼に同行する神官っていうのはね、それなりの素養を求められるの。聖女ほどとはいわずとも、ある程度の魔力は持っていなきゃいけないし、神殿騎士並みの攻撃力と剣術や体術が使えなくちゃいけない。それに何より大事なことがあるんだけど、アンタ、それが一体何かわかってる?」
「好き嫌いしないで何でも食べられて、お腹が強いこととか?」
何せ巡礼の旅は、王都とは全く異なる習慣を持つ地方を巡るのだ。好き嫌いをしていたら食べられるものもなくなってしまうし、ちょっとしたことでお腹を壊していたら旅なんて続けられないだろう。
(下層出身の貧乏人で良かったと思ったのは、この時くらいよね。腐っていなけりゃ、何だって食べられる)
大事なことだが今必要な話とは異なる話題に、レイノルドの眉間の皺がますます深くなった。
「一番大事なことは、聖女に決して無体を働かず、欲望を理性で抑え込むことができる強靭な精神力を持っていること」
「はあ、最後のそれって何? 意味わかんない」
「神官と言っても、所詮は人間なの。若くて綺麗な女の子が聖女としてやってきたら、ふらふらと心惹かれて職務を忘れちゃうかもしれないでしょ」
「レイノルドさまが普通の神官さまみたいだったら、あたしに興味を持ってくれたってこと? でも、レイノルドさま、あたしのことそういう目で見たことないじゃん」
「本当にアンタって子は」
「ひはひ、ひはひっれば」
頬を思い切り引っ張られたシンディが抗議の声を上げるが、レイノルドはどこ吹く風。その手を緩める気はないらしい。
「しかも今回の聖女は、王太子サマを誑し込んだっていうじゃない。どんな悪女が来るのかと思ったら、何も考えていないただの考えなしのアホの子が来ちゃってもうびっくりしちゃった」
「まさかの悪女扱いからのアホの子。ひどい」
「婚約者がいた王太子サマに粉をかけ、聖女という地位にあぐらをかき、貴族の常識から逸脱した行為を平気で押し通していたんだから、そこだけ聞いたらおもしれえ女どころか本気でヤベえ女なのよ」
「本当に反省しているから、もう蒸し返さないで。我ながら恥ずかしすぎる」
「わかってるわよ。アンタはただ単に何も考えていなかっただけ。綺麗なものや楽しいことが大好きで、突然の事態に舞い上がっちゃっている小さい女の子と同じだったもの。毎日馬鹿なことばっかりやってきたくせに、『好きなひとのそばにいたいから、仕事を頑張る』とか健気なことを言い出して。子どもが大きくなるのは早いわねえ」
「ちょっと、なんでそんなくだらないことばっかり覚えているのよ!」
「だって、何かやらかすたびにべそかいてたアンタ、可愛かったんだもん。アタシってば、可愛いもの大好きだし。だからずっと可愛がってきてあげたでしょう?」
「可愛がってた……。わりと問答無用な可愛がり方だったよ?」
「そりゃあポンコツのままにしておいたら、いろんな悪い奴らに利用されるってわかってるもの。アタシの可愛いシンディが隙を見せていいのは、アタシの前だけよ」
突然の甘い言葉に、シンディはとっさに返事ができなかった。まるで愛の告白にも聞こえる。けれど、レイノルドの意図がわからない。だが、無言で固まってしまったシンディの反応はレイノルドの求めていたものではなかったらしい。静かに目をすがめて、問いかけられる。
「王太子サマの件もそうだけど、まさか絶対に自分に振り向きそうにない男を追いかけるのが趣味とかじゃないでしょうね?」
「そんなわけないじゃん。確かに、殿下と付き合ってたことは事実だけれど、だからと言って、ふしだらだとか、本気じゃないって思われるのは完全に心外なんだけど」
「別に恋多きことを責めているわけじゃないのよ。それに、王太子サマよりもアタシはいい男ってことでしょう? まあ、光栄じゃない」
「そう言ってもらえると助かるような?」
不意にレイノルドがにやりと笑った。可愛らしい猫が大きな口を開けた瞬間、肉食の猛獣の仲間だったことを思い出すような、あのどこかどきりとする感覚がよぎる。
「まあ、俺を本気にさせたのはお前なんだ。せいぜい、責任はとってもらおうじゃないか」
「ひゃ、ひゃい?」
(俺? 男言葉? 待って、待って。どっちが、本性なの?)
「どうした? 俺に見惚れたか?」
「無理無理無理っ。カッコ良すぎる!」
「お前が祈りを捧げる姿は美しいが、寝台の上で俺だけのために歌う姿はさらに美しいのだろうな」
「やめて、耳元で変なこと言わないで!」
(ヤバい男を好きになっちゃったかもしんない)
気づいた時には、もう首までずっぽり沼の中。きっとこの居心地の良い沼に囚われたまま一生を過ごすことになるのだろう。それでもまあ別に幸せかもしれないと思うほどには、シンディはこの神官に首ったけなのだ。
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