蛇帯

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 若干の戸惑いを見せながらも、真奈美達はその言葉に甘えて上がらせてもらうことにした。  樺倉家の中はどこか薄暗く、空気が澱んでいるような感じがした。リビングに通されると、入り口から既に物が溢れているような状況で、真奈美達は若干入るのに躊躇われた。望の母は真奈美達の反応から漸く家の中の状態に気付いたように「ああ」とだけ言って「ごめんなさいね。散らかってて」とあまり抑揚の無い声で言い、台所へ消えて行ってしまった。おそらく、お茶を用意するのだろうと見た真奈美達はこの間にさっさと用事を済ませてしまおうと互いに顔を見合わせた。  初めに動いたのは真奈美だ。望の自室はどこか、二階へ続く階段がどこにあるのか確認し、――階段は玄関に入ってすぐのところにある――極力足音を立てずに階段を昇って行く。絢はその間に真奈美と絢の靴を持ってきて近くにあった新聞の山からチラシを何枚か取って、真奈美と同じように二階へ上がっていった。友香里はそのままリビングにいて、敷かれた座布団にちょこんと座った。  二階の部屋をあまり音を立てずに次々開けていき、女の子らしい部屋に行き着くと、真奈美と絢は目配せだけして調べ始める。部屋に入ってしっかり扉を閉め、邪魔にならない場所へチラシを敷いて自分達の靴を置く。他人の部屋に無断で侵入して調べるなんて初めてのことだったが、いつもの連携を取れば、意外と簡単なものだなと思いつつ、真奈美は学習机を、絢はクローゼットの中を調べることにした。クローゼットは引き戸になっており、少しずつ音を立てないように開けてみる。中には私服がたくさん入っていて、望が亡くなってから一切手を付けていないように思える。奥にも畳んだ服が入っており、あまり事件とは関係無さそうだと思った絢はそのまま閉めようとしたが、奥の方に何か白い布のような物がはみ出していると視界の端に捉えた。よく見ると、畳んでいる服の間に無造作にタオルで包まれた何かが突っ込まれている。一瞬、嫌な予感を覚えた絢は取り出そうかどうしようか悩んだが、今日は調査の為に来ているのだ。怪しい物を見付けて取り出さない訳にはいかない。畳んだ服を積んでしまってある奥の方、それも前の支え棒に掛かっている服を押し退けて漸く見えるようなところに突っ込まれていたそれを、絢はおっかなびっくり上に乗っている服を崩さないように抜いた。白いタオルに包まれ、輪ゴムで両端を縛られたそれを慎重な手つきで解いていく。中から出てきたのは、大判の可愛らしいタオル地のハンカチに包まれた細長い物。それも両端を輪ゴムで縛られ、所々に茶色の染みが付いている。これを見た途端、彼女の中に何も見なかったことにしたいという欲求が生まれてきたが、ここまで来て見ないという選択肢も無い。どうか気持ち悪い物ではありませんように、と願いながら緊張から流れる脂汗を知らない振りをして、絢は慎重な手つきでそれを解いた。  血の付いたカッターナイフと釘が一本、出てきたのだった。  真奈美は学習机の本棚や机上に置かれたノートを捲ったり、脇にあるチェストを開けたりしていたが、どれもこれも学校の授業に関することや移した板書の内容、望が読んでいたであろうケータイ小説の本が出てくるだけで、依頼とは何も関係が無い物ばかりだ。ここで望本人の日記なんかがあれば、情報源になるのだがと考えていると、突然、彼女はこの机の下が気になった。そういえば、ととっくに処分した自分の学習机の構造を思い出す。望の学習机は汎用性の高い物で、何年も使えるように造りがしっかりしている物だ。机の脚と脚の間には正面からの衝撃に耐えられるように支えとして一枚板が入っている。そして、それは丁度壁に付けて置くと、壁と板の間に僅かな隙間ができることを真奈美は思い出したのだった。同時にこの机にはセットで小さいチェストも付いてくる筈だ。ならば、何か物を隠すにはあそこしかない。そう思い至った彼女は、床に膝を付けて四つん這いになり、チェストの裏に当たる板の後ろに手を入れてみた。 「埃っぽい……あった」  彼女としては適当に手を突っ込んでみたのだが、まさか本当にあるとは思っていなかった。彼女の手で引っ張り出されたのは一冊のA5ノートだった。百円ショップに置いてあるような赤い針金で端を留められたもので、表紙には可愛らしいうさぎのイラストが描いてある。こんなところに隠されていたのだから、きっと日記だろうと思った真奈美は亡くなった望へ勝手に見てしまうことを心の中で謝りながらも開いてみた。  死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねみんな死ね  最初のページはそんな言葉が狂ったように書き連ねてあった。赤いジェルボールペンで殴り書きされたようなその言葉の羅列は、如何に書いた本人の情緒が崩れていたかが分かる。本当に生前の樺倉望から発されたものなのかと疑いたくなるような出だしだ。真奈美が知っている樺倉望とは、いつも本当に凄く大人しい女生徒だった。教室の隅でただただ外の景色を眺めているような、どことなく影の薄い子だ。これを見るまで彼女は密かに望を自分と同じようなタイプの生徒だと思っていたが、そうではなかったようだ。その後のページにも彼女の恨みが綴られている。  この世は地獄だ。何も面白くない。何も楽しくない。全てが退屈で退屈でつまらない。あの女もウザ過ぎて吐き気がする。死ね。みんな死んでしまえ。私を楽しませられない木偶の坊なら、責任を持って死ねよ。親も教師もみんな首吊って死んじまえ。生まれて来たくて、生まれて来た訳じゃない。  最後の一文には、真奈美も少し同調してしまった。真奈美達のような学生でも生きている以上、そんなに楽しいことばかりではない。どんなにささやかなことが原因でも、それが自分の心を追い詰める辛く苦しいことならば、真奈美達にとってはいつだって真剣な問題となる。それは到底、他人に測れるものではない。真奈美もオカルトの研究等と変わったことをしていると、心ない言葉を言われたり、好奇の目で見られることが多いので、そういった周囲の目を気にする辛さというものは分かるつもりだ。そういった辛さや苦しみから逃れる為にストレス発散の為にこういったことを書き散らすのは、ストレス解消法として確かに存在する方法だが、これはそれとは明らかに違うものだと、普段鈍感と言われる真奈美でも分かった。その後のページも同じような恨み言が続き、あるページから少し様子が変わってきた。  あの人に出会った。あの人なら私をこの退屈な世界から救ってくれるかもしれない。あんな優しい人に今まで出会ったことが無い。きっとあの人も私のことを好きになってくれる。いや、絶対そうに決まってる。私も大好き。私の王子様。 「うわぁ……」  真奈美の口からついそんな声が漏れる。赤裸々な内容になってきたので、純粋にこの内容に引いていた。高校生にもなって王子様は無いだろう、という思いと何だか見ている方が羞恥心を煽られるものだと真奈美は自分の顔が熱くなるのを感じていた。もうさっさと終わらせたいと思うが、どこに重要なことが書かれているのか分からない為、一ページずつ確実に読むしかない。次のページも同じような熱いを通り越して暑苦しい程の恋文が続き、またあるページで真奈美の手が止まった。  どうして? 私の何がいけないの? 私はあの人に相応しいはずなのにどうして? あの人も私のことが好きだって言ってくれたのにどうして? あの人なら、私を救ってくれると思っていたのに。許せない。絶対に許せない。私の気持ちをもてあそびやがって。  そこまで読んで真奈美はふと、ページの端を押さえている自分の手元に何か書かれていることに気が付いた。そっと手を退かして、その一文を読む。  復讐してやる 「これね」  ここまで全て読んできて、望の身勝手さを十二分に理解した彼女は、冷ややかな表情でその一文を見ていた。
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