蛇帯

21/24
前へ
/42ページ
次へ
 真奈美達が出て行った後、一人残された望の母は無言で三人分のお茶を片付ける。彼女の頭の中では友香里の「望ちゃんの気持ちに応える」という一文のみがぐるぐると回っていた。その言葉を反芻していると、温かい気持ちになり、彼女の足取りを軽くさせる。茶碗を片付けて洗い桶の中を綺麗にし、食器を全て食器棚の中へしまう。そこまで終わってから彼女は「そういえば、さっき二階で何か物音がしたな」と思い出した。 「っと、その前に掃除機を掛けておかなくちゃ」  娘が死んでから暫く使っていなかった掃除機を階段下の収納から引っ張り出してきて、掃除機を掛ける。降り積もった埃を吸い込み、綺麗になったと確認して満足そうに笑んだ。それから彼女は掃除機をその場に置いてお気に入りの鼻歌を歌いながら、二階への階段を上がる。  二階へ上がると、何故か娘の部屋のドアが開いていた。娘の望がいなくなってから一度たりとも開かれたことの無いその部屋へ、彼女は嬉しそうに入って行く。中ではベランダへ続く窓が一枚割れており、寒々しい風が入ってきていた。つい、とそちらへ目を向けた彼女は心の底から破顔し、上ずった調子で感激する。 「まぁ、そこにいたのね! 望……! ――ああ、そうね。まず準備をしなくちゃいけないわね。ちょっと待ってて」  一体、誰に向かって話し掛けているのか。最早彼女には理解が及ばない。誰もいない空間へ愛おしそうに手を伸ばしそうになったところで、彼女は娘の学習机へ振り返った。その中のチェストに近寄り、予め用意していたのか、取り出したナイロンのロープをまるで旅行の準備でもするかのように至極楽しげに、何重にも巻き付け始める。まるで何かの記念日の時のように嬉しそうに。何度も何度も何度も何度も。そうして、絶対に解けないだろうという状態にした後、ロープの端を娘の使っていた鋏で切った彼女は、切った端を輪っかにしてみた。今度も絶対に解けないように念入りに確認し、そのまま窓へ近寄る。 「ええ、分かるわ。友香里ちゃん。私はあの子の母親だもの。娘の気持ちに応えなければいけないわ」  割れた窓を開けてベランダへ出る。そうして、ロープを窓に挟むように閉めてから彼女は手摺りに身を乗り出した。輪っかにしたロープに首を通してみた彼女は空へ向かって両手を振り上げ、いっそ歓喜の涙すら流しながら声を高らかに身を乗り出し、落ちて行く。 「ありがとう、友香里ちゃん! もう寂しくないわねっ! 望っ!!」  背後でがごんっ、とチェストが窓に思い切り当たっていく音を聞きながら、彼女の体は宙吊りのまま、壁に打ち付けられ、暫し藻掻いていたかと思うと、完全に脱力した。  早く有力な手がかりを掴みたい。その一心で涼佑は休みの間、スマホや図書館で望の事故について調べていたが、本当に小さな記事しか引っかからない、見つからない。何も収穫が得られない中、ある地元新聞社のサイトに少し気になる記述があった。 「樺倉望さん(十六歳)の遺体が発見されたのは、七津川の下流。死因は大量の水を飲んだことによる溺死……」 「それは何回も見ただろう? 諦めた方が良いんじゃないか? それ以上の情報は新聞には――」 「いや、待って。これ、当時の遺体の状況が載ってる。七津川の下流で見つかったけど、その首には縦に引き裂かれた蛇の死骸が巻き付いてた……って」 「蛇の死骸?」 「でも、首には何かで絞められたような痕は無かったって書いてあるから……う~ん? どういうことだ? 尚、この蛇の死骸は樺倉と死後経過時間が異なることから、関連性は無いものとみられる。でも、おかしいよな。あの台風の日にわざわざ縦に裂いた蛇の死骸を捨てに行く人なんているのか?」 「ふむ……」  その奇妙な記述に二人はどうにも引っかかりを覚える。望と蛇の死骸など、一見関連性は無さそうに見えるが、完全に無いとも言い切れない。今は繋がりが見えないが、気になる事実だなと思った涼佑は覚えておいて損は無いだろうと、その部分をスクリーンショットして画像として残した。  丁度、図書館からの帰り道にこの記事を見付けた涼佑は、自転車に跨がって自宅への帰路へ着く。ペダルを踏み込み、走り続けていると、行きでも見かけた公園に差し掛かった。何となく公園内へ目を向けると、数人の子供達が遊んでいる姿が目に入る。外見から小学生くらいだろうと判断した涼佑は、羨ましそうに溜め息を吐いた。 「いいなぁ、小学生は。こんなことに巻き込まれなくて――」  ちょっとした愚痴のつもりで呟かれたその言葉が終わろうとしたその時、ひゅっと何か紐状の物が飛んでくるような音が耳に届いた瞬間、涼佑の体は物凄い力で公園の柵に叩き付けられ、首を絞められた。一瞬、何が起こったのか分からなかった彼は、ただ首にぎりぎりと掛かる力に抵抗しようと自らの首を押さえ、足をばたつかせる。 「ごぇっ!? は……が……ぁ……!?」 「涼佑っ!?」  涼佑の目には背後の柵に押し付けられる自分の体ととにかく首に何かが巻き付き、殺そうとしていることしか分からない。しかし、傍らにいる巫女さんには何が起こっているのか分かった。公園の柵近くに生えていた木から伸びた蔦が彼の体を柵に押し付け、首を一心不乱に締め付けていた。有り得ない光景に彼女は涼佑にまだ抵抗する体力があるうちに「代われっ!!」と耳元で叫んだ。 「み゛、ご……ざ……」  涼佑が恐怖と苦しみに顔を引き攣らせ、巫女さんへ手を伸ばす。殆ど無意識的に思い浮かべたトンネルの中を彼女は全速力で向こう側から駆け抜け、涼佑の背中を突き飛ばした。 「ぐっ……! このっ……!!」  現実に自分が顕現されたと感覚で理解すると殆ど同時に、巫女さんは懐に忍ばせてあった短刀を抜き去り、無理矢理自分の首と蔦の間に差し込んで断ち切った。少々乱暴に扱ったせいで顎を軽く切ってしまうが、拘束は外れる。しかし、それも束の間。蔦は尚も彼女へ迫り、再び首へ巻き付こうとする。それを自分の首へ届く前に斬り伏せ、彼女は自転車に跨がり、逃走を図った。  未だ少し呼吸がし辛い首筋を擦りつつ、涼佑の家へ向かう。その間にも植物の蔓や蔦、駐車場に渡してある立ち入り禁止のロープ、文房具店のテープやナイロン紐などありとあらゆる紐状の物が全て巫女さんの首を絞めようと独りでに動き、襲いかかってくる。それらを躱し、斬り払い、踏み潰しながら彼女は逃げ続ける。逃げながらも彼女は頭の中でこの怪異の正体は何かと考えていた。今までの経験と知識から彼女が導き出した答えはなかなか出てこない。確か、元は大した力も無い妖だったような気がすると思った瞬間、頭上から細長い影がすう、と落ちてくる。反射的に振り向き、上空を仰いだ彼女の目には信じられない物が映った。  千切れた電線。未だ電流が流れているだろう無理矢理引き千切ったような切断面が眼前に迫る。刀で切ってはだめだ。瞬時に判断すると、彼女は地面を蹴り、後方へ飛び退いた。自転車が転がり、電線は勢い余ってそちらへ伸び、電流を浴びせる。自転車を潰してしまったが、命を潰されるよりはましだろうと、彼女は直ぐさま立ち上がり、形代を取り出して念を込めたかと思うと、自転車に貼り付けた。そこで少し落ち着いて周囲を見回すと、もう既に自宅の前に着いていたことを初めて知った。 「ったく、世話の焼ける……」  何とか死守した涼佑の鞄から鍵を取り出し、急いで玄関に入ると、彼女は札を一枚ドアに貼っておいた。剥がれてしまった時の為にもう一枚、目立たないところに貼っておく。そうして玄関からの侵入を防ぎ、急いで他の部屋へも札を貼りに向かう。札自体に怪異の侵入を防ぐ効果は無いが、彼女の思念を家全体に伝える為には効果的だ。窓という窓、裏口のドア等、外部からの侵入経路は全て札で防いでおく。全ての侵入口に貼り終わると、彼女は漸く一息吐いた。 「ぜぇ……はぁ……。もうこんな追いかけっこは二度とごめんだ……!」  それ以上、体の疲労を感じていたくなかった巫女さんは、涼佑に体を返す。普段通りの姿に戻った彼に巫女さんは一応訊いてみることにした。 「どうだ? 涼佑。今回は変な空間に行けたか?」 「いや、全然。普通に寝てたよ。巫女さんは? 何か分かったりした?」 「おそらくだが――」  そこで思案していた巫女さんは殆ど確信に満ちた響きで告げる。 「今回の怪異は蛇帯、だな」
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加