鹿島さん

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 次のドアに掛かっているプレートにはこう書かれていた。 『とし励〒ん○縺、縺ョかしまさん縺輔s繧』  それをじっと見ていても、よく分からない涼佑は仕方なくプレートの文章を音読しようとしたが、それより早く視界の端に何かが写り込み、そちらへ目を向ける。どこからかざわざわと人の声のようなざわめきが聞こえ、それを背景に宙に文章が浮かんでくる。『鹿島さん』とタイトルが打たれたそれはどこかで見たような形態の文章だったが、生憎と涼佑は思い出せない。それは話の流れというものが無く、ランダムに浮かんでくるだけだったが、だいたいの流れを整理すると、おそらく『鹿島さん』という噂話の始まりから現在までの流れを汲んでいると思われるが、都市伝説が流行り、盛り上がっていた過去と比べると、現在は『鹿島さん』という存在自体に懐疑的を通り越して、科学的根拠はおろか、「そんなものはいない」と全く相手にされていない。ランダムに現れる文章の多くは、『鹿島さん』の噂が最盛期を迎えている時のものが多かった。  それを見て、涼佑はやっと「ああ、そうか」と理解する。これは『鹿島さん』という都市伝説そのものの感情だ。巫女さんは都市伝説とは個人の『想い』ではない、不特定多数の人間の『想い』が形を成したものだと言っていたが、この感情だけは他の誰でもない『鹿島さん』のものだ。消えたくない、忘れないで欲しいという願いだ。都市伝説がかくあるのは、きっと元の話も深く関係しているのだろう。だから、『鹿島さん』は元の話の通りに行動しているのだと涼佑は理解した。  だからといって、他人の体を奪って良い訳が無い。それも何の罪も関係も無い、生きた人間から。 「……」  涼佑はぐっと自分の胸を押さえる。痛みも苦しみも無い。ただ、この空間にいると、確かにそこに望が渦巻いていることだけがまざまざと分かる。これ以上、こんな『想い』を抱えて彷徨う存在を増やしてはならない。そんな決意を胸に涼佑は再びドアプレートに向き直って音読した。  また次のプレートにはこう書かれている。 『わ上れない〒』  その意味を既に理解している涼佑は、応えるように頷き、その一文を声に出す。 「忘れないで」  淡々としたその声に呼応するようにガラスドアは独りでに開いて、彼を招き入れた。  ドアの向こうには一人の女性が蹲って泣いていた。この世の全てに絶望したように顔を手で覆い、さめざめと泣いている。その姿は他人の手足をくっ付けたような歪なものではなく、彼女本来のすらりとした手足が付いた綺麗な姿だった。 「これじゃないの……これじゃないのぉ……」  まるで幼い子が欲しいものを与えられなかった時のように嗚咽交じりに訴えている『鹿島さん』の傍に涼佑はしゃがみ込んだ。その小さな背中に触れようとして、止めた。代わりに優しく声を掛ける。 「もういいんじゃないですか?」  彼のその言葉に『鹿島さん』はやっと顔を上げて涼佑を見る。その顔は真奈美とも違う、綺麗な女性の顔だ。言葉の真意が分かっていない彼女に、涼佑はもう一度諭すように言った。 「もう、そんなに焦らなくてもいいんじゃないですか?」  その言葉の意味が分かったらしく、『鹿島さん』はそれでもふるふると首を左右に振って答える。 「だめなの。ちゃんと……ちゃんとやらないと、みんな忘れちゃう。私のこと、忘れちゃう……!」  追い詰められたように頭を抱えて怯える『鹿島さん』の背中を、涼佑は今度こそ優しく摩る。小さな子に言い聞かせるように、なるべく優しい口調を心がけて尚も言葉を紡いだ。 「他の人が覚えてなくても、オレはあなたのことを覚えています。こうして、あなたの心に触れることができたから」 「……ほんと?」  一度、力強く頷く涼佑に『鹿島さん』はいくらか泣き止んだようだった。そんな彼女をあまり刺激しないように涼佑は慎重に言葉を選ぶ。 「でも、あなたにはあなたの事情があっても、生きている人達から手足を奪った事実は変わりません」  その一言に『鹿島さん』はまた別の意味を持って怯え、震え始める。何か勘違いさせてしまったと気付いた涼佑は慌てて「違います。オレは何もしませんよ」と訂正した。あくまでも自分は味方だという態度を崩さずに、涼佑は続けた。 「あなたが都市伝説の『鹿島さん』として成ったのは、何が原因ですか?」 「わ、たしは……」  真奈美から聞いた話を思い返しつつ、涼佑は彼女が話し出すまで待っていた。しかし、原因を思い出してしまったら、自分にも危険が及ぶだろうことを彼は知っていたのだ。だから、『鹿島さん』の目つきが怯えからだんだん憎しみへと変貌していく様を見て、それでも涼佑は優しく言葉を掛ける。 「あなたが受けた酷いことは、きっと簡単には許せないでしょう。どう思うも自由ですが、こんな姿になるのだけは避けなければいけませんよ」  そう言いつつ、彼は少しだけシャツの前側を開けて見せた。そこには現実世界と違って彼の肉体は無い。代わりに彼の心臓を締め付ける無数の黒い蛇が蠢いていた。あまりにも悍ましい光景に『鹿島さん』も一瞬、憎しみから怯えに逆戻りしてしまう。「ひっ……!?」と息を呑む『鹿島さん』を落ち着かせようと慌ててシャツの前を閉めた。 「どんな原因だとしても、恨んではいけません。じゃないと、こうなっちゃうから……。あなたはまだ罪を償うチャンスがあるんです」 「どうか、あなたはこうならないで欲しい」と拙い言葉で訴える涼佑に、いくらか恐怖と憎しみが拭えたのだろう。彼の動向を多少警戒しつつも、『鹿島さん』が差し出された彼の手を取ろうと伸ばしかけた時だった。  突然、空間が揺らぎ始めたかと思うと、唐突に目の前にいる『鹿島さん』が裂けた。割り開かれた『鹿島さん』の中から一振りの刀が飛び出し、次いでその奥に殺意に満ち満ちた目が覗く。彼女を切り裂いた者の名を涼佑は直感のまま、口にした。 「巫女さん……!?」 「遅いぞ、涼佑」  割れた『鹿島さん』の中からそれだけ答えると、その光景を最後に空間いっぱいに女性の甲高い悲鳴が響き渡り、真っ白い光に包まれる。光が強くなるにつれて、「待って! まだ……!」と口に出す涼佑の意識はゆっくりと閉ざされた。  次に目が覚めると、そこはいつか訪れた住宅街の中だった。確かここはと辺りを見回す。奇しくもそこは以前、涼佑達が調査に向かい、『鹿島さん』による三件目の被害に遭った現場であり、巫女さんと『鹿島さん』が激闘を繰り広げた場所だった。『鹿島さん』が展開していた妖域は崩壊し、傍らにはいつものように巫女さんが佇んでいた。その手には光り輝く小さな玉のようなものが載せられている。その姿を見て、涼佑は怒りと罪悪感が混じった感情が湧いてくるのを感じた。 「なんで…………」  ふつふつと湧いてくる感情に任せて、彼は巫女さんに詰め寄った。 「なんで斬ったんだよっ!? 巫女さん! もうちょっとで『鹿島さん』を成仏させてやれたかもしれないのに!」 「そうか? それは悪かったな」  言葉とは裏腹にまるで悪びれもしていない彼女に、涼佑は拳を握る。物理的に殴れないが、抑えきれない感情をどう処理していいか分からず、そうするしかなかった。代わりに質問することで、何とか理性を保とうとする。 「…………なんで、『鹿島さん』を斬った?」 「――私はお前との契約を守っているだけだ」  そこで巫女さんは感情の読めない目つきで涼佑を凝視する。その目は普段の彼女からはおよそ考えられない、冷酷で無感情な目だった。 「私は最初に『新條涼佑を守る』という契約をお前と交わしているんだ。そのついでにお前に近付いてくる霊・妖怪・都市伝説は全て私の養分となる。その代わり、お前の周辺にいる生者は見捨てない。だが、私はあくまでもお前の『守護霊』だ。その他の霊のことなんざ、どうなろうと知らん」
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