転ぶと死ぬ村

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 ふと、目を開けた涼佑の目に飛び込んで来たのは周りを緑に包まれ、ざあああああ、と大量の水が流れていく光景だった。照りつける太陽の光にきらきらと水面が輝いているなかなか大きな川。いつの間にか彼は山と林に囲まれた川原に立っていた。辺りは白っぽい軽石がごろごろと転がっている歩きにくい場所で、降り注ぐ太陽光に照らされ、刺さるような眩しさすら感じる程に現実感を伴っている。眩しさと涼しさを伴い、じっとりと服の中に汗まで滲む感覚に一瞬、これは現実なのか夢なのか判別が付かなかったが、傍らに立つ存在に驚くと同時に、改めてこれは夢なのだと気付かされる。 「しかし、凄いな。この怪異、とても夢とは思えない」  傍らに立っているよく知った顔の少女、ちゃんと両足で立っている巫女さんがいたからだった。普段は半透明で色の無い彼女だが、今この時だけは普通の少女のように涼佑の隣に立っている。いくつもの御札を髪紐代わりにポニーテールにしている長い黒髪に、鮮やかな緋袴が目立つ巫女装束の上にはこれまた白い千早を着て、腰には一振の太刀が提げられている。足元は動きやすいようにか、何故かブーツだったが。こうしてちゃんと地に足を付けて並んでみると、やはり巫女さんは涼佑より小柄で綺麗というよりは、可愛らしいという印象が強い。でも、これでよく食うし、たまに母親みたいになるんだよなと思いながら、涼佑はさっさと川の上流に向けて歩き出した彼女の後ろ姿を見つめていた。ふと、自分の隣から前に出てきた巫女さんの姿が目に入ったところで、慌てて今いる場所へ意識が戻る。 「え、どこ行くんだ? 巫女さん」  涼佑の問いに足を止めた巫女さんは、振り返って上流の方を指した。その顔はやや呆れたようなものだ。 「どこって、川沿いに上るんだよ。あっちから来てるしな」 「あっちから来てる……?」  よく分からない言葉に首を傾げ、涼佑は巫女さんが指している方を見た。彼女の指は川を示している。相変わらず、さああああと爽やかな音を聴きながら、涼佑はその中にあるものを見つけ、凍り付いたように固まった。天候が変わった訳でも、景色が変わった訳でも無い。しかし、流れてきたものに意識を持って行かれたのは、事実だ。  それはうつ伏せで流れて来る人間だった。何の前触れも無く、爽やかな景色の中に当然のように乱入してきた悍ましさは、涼佑の身を縮こまらせるのには十分だった。 「なにあれ」  言葉の意味も分かっていないまま、それだけ発するのがやっとだった。そんな涼佑に巫女さんは事も無げに言う。 「いや、どう見たって死体だろ。さっきからずっと流れて来てるぞ」 「さっきからずっと――って、え?」 「ほら、そんなに川ばっか見るな。一緒に死にたくなるぞ」  ぐい、と巫女さんが未だ言葉の処理が追いついていない涼佑の手を掴んで先へ進む。今までどこか現実感も何も無かった感覚が、巫女さんの手に触れた途端、その温かさと共に確かな実感として涼佑の手に伝わる。まだ頭の中で混乱している涼佑は、巫女さんに手を引かれるまま、言われた通りに川を見ないようにして、上流を目指す。涼佑達が進むごとに上流から流れて来る死体の数は、静かに増していった。 「着いたな。恐らくここが件の村だろ」  川沿いに歩いて行き、煙る水飛沫を越えた先には、かつては立派だったことが窺えるだけの寂れた門があった。元々は扉が付いていただろうそれは、肝心の扉は片方にしか付いておらず、外れている。扉が外れている方は、まるで巨人か何かが無理矢理もぎ取ったかのように丁番がひしゃげている。そんな状態の門の横には木札があり、恐らく村の名前が掘られているのだと推測できるが、何故か名前の部分だけ綺麗に抉られていて、読めなかった。『  村』とあるので、ここが村ということしか分からない。周囲には濃い霧が立ち込め、この門の周りや向こうは全く窺い知ることができない。木札に気を取られていると、また巫女さんに手を引かれて涼佑は否応なしに門を潜った。  門を潜ると、それまで霧で覆われていた前方が徐々に晴れてくる。舗装されていない道沿いに何軒か民家が建っており、涼佑と巫女さんは一先ず近くの民家へ入ろうと一歩踏み出した。その時、どこからか数人の子供達がぱたぱたと足音を立てて、二人の前に出てきた。咄嗟に腰の刀へ手を伸ばす巫女さんといきなり現れた子供達に驚いた涼佑は、一歩下がる。色とりどりの着物を着た子供達は皆裸足で、行儀良く横一列に並んだかと思うと、互いに手を繋いでから「せーの」の掛け声で言った。 「ここは転んだら、死んじゃう村なんだよ」  そして、涼佑と巫女さんが何か言葉を発する前に、子供の一人が足を滑らせて後ろへ転ぶと、手を繋いでいた他の子供達も引きずられるようにして同じように転ぶ。地面にどう、と背中を付けた瞬間、もう声を上げることも無く、全身に青紫色の痣のようなものが広がり、事切れていた。まさかと思い、そろそろと近付いた涼佑の目に瞳孔が開ききった子供の死に顔が見える。初めて間近で見た人の死に顔は、彼の心身にショックを与えるには十分すぎる効果を発揮したようで、胃からせり上がってくるものを押し込めるのに必死に口を押さえた。そんな彼を死体から離して、巫女さんは忠告する。 「なんでお前はわざわざ見に行く。吐いてる暇なんて無いぞ、涼佑。膝を付いたらお前もああなる」 「吐いても望は出て行ってくれないぞ」とぺちぺちと頬を軽く叩く巫女さんの言葉を頼りに、涼佑は何とか膝を付かずにいられた。 「しっかりしろ。ちゃんと立て。私が支えていなかったら、とっくに死んでる」  巫女さんの言葉通り、今の涼佑はよろけた拍子に巫女さんに支えられ、自分の足で立つことはできておらず、胸倉を掴む巫女さんの手によって少しだけ宙に浮いた状態でいた。胸倉を掴まれているせいで息苦しく、そんな中で自分の状態を見た涼佑は、苦しそうに眉を寄せながらも平静を保とうと言った。 「巫女さん……けほっ、力、持ち、なんだな……」 「今は夢を介してお互い魂だけの存在だからな。私は魂だけなら人一人くらいは片手で持てる」 「今のお前は箸より軽いぞ」と返ってきた皮肉に、少しだけ冷静さを取り戻した涼佑は口端を少々引きつらせながら、はは、と乾いた笑いを零して「分かった。じゃあ、下ろして大丈夫」と懇願する。下ろす際、巫女さんは一度涼佑に顔を近づけ、念を押すように言い聞かせた。 「いいか、涼佑。この夢が覚めるまでは何か気になるものがあっても、安易に近付くな。特に死体なんかにはな。一般人のお前には刺激が強い。それと、私からも離れるな。お前を守れなくなる。分かったか?」  地面すれすれにまで涼佑の体を下ろして、まるで脅すように怖い顔をする巫女さんに、涼佑は情けなくもうんうんと頷いた。それを見ると、巫女さんは満足そうに微笑んで「大丈夫か?」と声を掛けつつ、そっと涼佑の両足を地面に付けてやる。やっと地に足を付けられた感触と安心から涼佑は密かに安堵の息を吐いて、ついもう一度子供達の方を見た。しかし、そこにはもう何も無い。いつの間に運ばれたのだろうと考えていると、「何してる、置いて行くぞ?」と巫女さんに声を掛けられ、はっと我に返った彼は慎重に彼女の後を追いかけていった。  いつの間にか川に投げ捨てられるようにして入っていた子供達だったものは、物も言わずただ静かに流れて行った。
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