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歪んだ笑顔
二万六千円――目の前に並んでいる《大岩落》一枚の価格である。
安く置いているショップを探したとしても、四枚で十万円弱はくだらない。しかし炎系で相手のモンスターを一掃できるカードは、現在の〈ニュー・フォーマット〉ではこれしかない。二年前なら《炎熱地獄》を使うことができたが、いまは〈オールド・フォーマット〉でのみ使用可能だ。
だけど、アイツに勝つためには、《大岩落》が四枚必要なのだ。必ず、初手の手札に一枚はなければならない。その確率を上げるためには、ルールで定められている上限の枚数が欲しい。
全戦全勝。この町に突然現れて、ショップ主催の大会で軒並み優勝をかっさらっている。それまでは、俺がトップの座を突っ走っていたのに……アイツには手も足も出ない。しかし勝機はある。《大岩落》さえあれば。待っていろ、雨宮杏華!
* * *
情けないことに、十万円を工面するために、それっぽい理由を拵えて、親に頼んでみたのだけれど、そんな高額をポンと出してくれるはずはない。小学生の妹は当てにならないし、大学生の姉さんとは絶賛喧嘩中だ。
「高校受験が近いのに、カードゲームをしているなんてね」
という姉さんのボヤキに過剰に反応してしまった。
「このビッチが……」
という俺の返しの方が、圧倒的に馬鹿げているし、いま思うと泣きたくなるくらい恥ずかしいし、ちゃんと謝らないといけないのだけど、顔を合わせると言葉が出なくなる。
それはともかく、さて、十万円をどうするべきか。校則でバイトは許可されていない。自分で稼ぐことはできない。借りるしかない。
「Kにいる、おじいちゃん……」
苺農家を営む、母方のおじいちゃんは、俺のことをかわいがってくれている。だから、甘えに甘えて頼みこめば、もしかしたらポンと貸してくれるかもしれない。
しかし、だ。おじいちゃんの家まで行くには、交通費がかかる。そのためにお金を貸してほしいといえば、もしかしたら?……いや、俺ひとりで行かせるはずはない。
なにより祝日のない六月だ。日帰り旅行になるのは、間違いない。Kまで行く適当な理由がないどころか、日程的にも非現実的だ。
そのときだ。
「柏木……? 柏木がいるじゃないか!」
俺は、瞬く間に名案を思いつき、大喝采を上げた。
* * *
「頼む! この通りだ! 俺のカードとトレードしてくれ!」
部屋の雰囲気からして、裕福な家に住んでいるということが伝わってくる。柏木なら、高額のカードもたくさん持っているに違いない。そう決め込んで押しかけたら、《大岩落》を四枚持っているというのだから、しめたものだ。
手持ちのレアカードをすべて箱にしまって、リュックに詰めこんできた。カードをトレードするのなら、お金を使わなくて済む。しかも、身近にあのカードを揃えていそうなやつ――柏木がいる。
しかし、どれも持っているから、どれもいらないと言われてしまった。
「このカード全部でいいから、交換してくれないか?」
「それは……申し訳ないよ。折角、苦労して集めたカードなんだからさ」
「いいんだ。ここのカードは全部、頑張ればいつでも手に入る。だけど《大岩落》だけは、そうはいかないんだ」
「地道にパックを買って、運良く当てればいいじゃんか。僕は、ショーケースで買ったわけじゃないよ」
なにを言ってるんだ?
パックを剥いたところで、レアカードが当たるかどうかなんて運次第だし、それならショーケースに並んでいるものを買った方が安上がりだ。ましてや、《大岩落》のような超レアカードを、パックを開封して集めるなんて、十万円で済むはずがない。
金持ちは一味違うな!
* * *
がっくりと肩を落として、川沿いの道をトボトボと歩いていると、誰かが夕陽を背負ってこっちにやってくる。
見覚えがある。宿敵、雨宮杏華だ。
「辛気くさい顔をして、どうしたのかしら?」
「うるさい、お前には関係ねえよ」
杏華は、クスクスとわざとらしく、悪意たっぷりの笑い声をだす。
「どう? 次の大会で負ける準備はできてるの?」
「あん? 六月二十六日を、お前の敗北記念日にしてやるよ」
俺たちは、お互いの眼を見ることもなかった。
相変わらず、ムカつくやつだ。こうなったら、手持ちのカードでどうにかするしかない。家に帰ったら、早速、新デッキを作る。そして、再来週の日曜日に吠え面をかかせてやる。
「それにしても……」
憎らしいのに、憎みきれないのが不思議だ。バチバチに闘っているときも、うきうきする気持ちが拭えない。もしかしたら俺は……いや、そんなことはないはずだ。
これはいわゆる、〈感傷〉というやつだろう。綺麗な夕陽が、そうさせているに違いない。俺にとって杏華は、親の敵より敵である存在だ。
絶対に、倒さないといけない相手……のはずなんだけどなあ。
〈了〉
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