泥中の蓮

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 ここ公許遊廓である吉原では、夜だというのに人の通りが絶えなかった。万治二年の正月はさすがの遊廓も営業は休みで、二日の本日から再開された。徳川家の将軍も代を重ねて四代である。乱世の生き字引であった真田伊豆守信之も、昨年の十月に九十三歳という長寿でこの世を去った。これで戦乱の時代は完全に幕引きとなり、徳川家による泰平の世の始まりを告げる年となっていく。 「お嬢、正月気分が抜けない客は多うございやす。重々気をつけて下さいやし」 「判っているわ、繁蔵(しげぞう)。……お(こう)さんの水揚げは今夜ね」  数え十五歳の少女は男装をしていた。長い黒髪を高くひとつに結い上げ、赤い元結紐で括っている。濃藍色(こいあいいろ)の筒袖の着物と焦げ茶の馬乗り袴を履いた、凜々しい美少年ぶりを発揮している。腰に茶室刀――護身用に茶室で差す短刀代わりの木刀――を佩いているが、その表情はどこか苦しげでそれが若衆の不安を煽っていた。  四郎兵衛会所に属する男たちは、年齢を問わず若衆と呼ばれる。そして彼らは全員、首代と呼ばれる自治会の者たちで様々な武芸に秀でていた。そんな彼らが何とも言えない渋い顔で男装の少女を見つめている。男装の少女も腰の茶室刀は飾りではなく祖父から叩き込まれた実戦仕込みの剣術の腕前を持ち、これまで幾人もの遊廓で問題を起こした客を相手に大立ち回りを演じてきた。 「何事もなく無事に、水揚げが終わるといいのだけれど」 「新造(しんぞ)の方は問題ないと思いやすぜ。楼主と内儀(ないぎ)、番頭新造に遣手(やりて)までもが雁首揃えて協議し、これぞと決めた方ですから」 「そうね、今夜も無事に営業が終わるといいわね。正月早々に面倒ごとを起こす莫迦(ばか)はいないと思いたいけれど、繁蔵が言ったように正月気分が抜けていない者もいるからね」  僅かな不安を顔に佩きつつも、男装の少女剣士は無理に笑って見せた。彼女たちが巡回を始めると同時に(とき)を告げる拍子木が、吉原の中心を貫く仲の町通りに鳴り響く。その拍子木の音色により吉原遊廓の営業が本格的に始まる。
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