泥中の蓮

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 お梗や淳之介たちの件が片付くと同時に与平は、西田家へ破談を申し入れた。 「亡き旦那様が交わした約束ですが、あっしがお内儀さんと所帯を持つことを条件に駒川屋を存続させることで話がまとまりました。お内儀さんが片親になった娘を嫁がせるわけにいかないと、頑なに主張しましてね。申し訳ないが、このお話はなかったことにして下さい」  本来ならば未亡人が話をつけに来るべきだろうが、近い将来に駒川屋の亭主になる与平が訴えると、西田家の人間は何も言わず破談を受け入れた。 「うーむ、駒川家の娘はいいと思ったのにな」 「仕方がないですよ親父さん。あちらの意思ならば」  西田屋の父子は致し方ないと結論づけ、幸正の相手を探すことにする。暫し思案していたが、不意に隠居が口を開いた。 「そういえば京の島原で……」  最下級の端女郎(はしじょろう)が女児を産んだはいいが、持て余しているという話を思い出した。  京と江戸の違いはあれど、遊廓(さと)諸訳(しょわけ)は共通している。島原を手本にして誕生したのが吉原遊廓だから、諸訳がほぼ同じなのは当然である。その女児を預かっている置屋の主人が、将来は女郎として働かせようとしていると風の噂で聞いていた。 「女郎として苦界で生きるよりも、吉原に来て四郎兵衛会所でお内儀さんとして生きる方が万倍も幸せだろうて」 「親父さんはその楼主をご存知で?」 「うむ。元々は吉原の首代だったが、島原の制度を勉強しに行ったら置屋の主人に気に入られてな。そのまま婿入りしてしまった。訃報が届いていないから、まだ存命だろう。どれ、さっそく一筆(したた)めて婚約にこぎ着けよう」  こうしてあっという間に幸正(ゆきまさ)の婚約は再び調い、今度は京の島原からということで駒川屋のとき以上にお祝いの品々が届いた。破談になったことで前回の祝い品は返品されたが、それでも西田家は吉原の顔役ということもあり皆が繋がりを求めて祝いの品々を贈った。  西田家の大人たちは安堵したが、ひとり納得がいっていない者がいた。凛だ。彼女は幼馴染みであるお梗が未来の義姉になることを喜んでいたのだ。幼いながらもこの男女の欲が渦巻く色里で暮らしている身。結婚は親同士が決めた相手と判っているからこそ、好ましい幼馴染みが身内になってくれることが嬉しかったのだ。それがいきなり相手の父親が病死したから破談、それも番頭が店を継ぐから白紙にしろと。 「おじいさんお父さん、お梗姉さまがお嫁さんになるんじゃなかったの?」  目一杯不満を露わにしても、家を継ぐ権利のない凛の意見など一蹴される。 「黙らっしゃい。なにも判らん子どもが大人の事情に口を挟むな。口惜(くや)しかったら儂らから一本を取ってみろ」  こう言われてしまったら、口を噤むしかない。どんなに不満があっても修行中の身では絶対に一本など取れない。それが判っているからこそ、凛は口惜しさに唇と拳を振るわせて耐えるしか出来なかった。その理不尽さや口惜しさをバネに、凛は必死に修行をした。  男を相手にしても引けを取らぬよう無手(むて)の武術にも真剣に取り組み、剣術の他にも棒術といった狭い屋内でも有効な武術の習得に励んだ。決して祖父や父が嫌いなわけではないが、裏切られて虚しさが募りすぎた。それらの思いを全て武術の稽古にぶつけた。
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