泥中の蓮

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 廻船問屋の若旦那といえど、そうしょっちゅう廓通いをできるほど懐はまだ温かくないし暇でもない。まだ父親である旦那の元で商いの修行中でもあるのだ。小次郎が若駒太夫の元に通おうにも、太夫の馴染となるには莫大な金がかかる。  通常の揚代金に加え、馴染金という祝儀が必要となってくる。二階花と呼ばれるものである。二階花とは敵娼(あいかた)となる遊女と彼女付きの新造や禿、遣手たちに支払う祝儀。更に床花という花魁の寝所にある鏡台の抽斗(ひきだ)しに忍ばせておく祝儀も必要だった。これは現代でいうチップのようなものであり、これを入れておくか否かで、その後の閨での親密度合いが違う。  遊女(おんな)と気持ちよく遊びたければ金を惜しむなということだ。現代の性風俗でも同様だろう。嬢の方では迷惑なプレゼントでも重複したらひとつだけ残してネットで売り捌き、客に対しては大切に使っているよのアピールをすれば客には判らない。  馴染客は複数いるので、遊女好みの櫛や(かんざし)に匂い袋が被ることは多々ある。現代と違って売り捌くことは出来ないが、新造や禿たちに譲ることはできる。姉女郎とお付きの新造や禿たちが同じ匂い袋を持っていても怪しまれることはない。  小次郎が馴染にかかる莫大な金を用意し、若駒太夫の許へ通えたのは裏から五ヶ月が経とうという頃だった。秋も深まり紅葉が見事な季節になった。小次郎は天然珊瑚のついた紅葉の簪と、蝶が優雅に三頭舞う姿があしらわれた鼈甲(べっこう)の櫛を、店の主人が板に付いた与平が切り盛りする駒川屋で買い求めた。いつも通り大三浦屋の二階座敷にある駒川太夫の部屋へ赴くと、今までと違った光景がそこにあった。蝶足膳(ちょうあしぜん)という外側は(はぜ)色で内側が朱塗りの高蒔絵(たかまきえ)の膳と、銀をはめた象牙の箸が用意されていた。箸紙には小次郎の名が流麗な文字で記されている。  こうして専用の膳が用意されることも、夫婦(めおと)のしるしのひとつである。それまで(ぬし)や客人などと呼んでいた小次郎のことを、初めて「小次郎さま」と呼んだ。太夫だけでなく新造も禿もである。馴染になって初めて客ではなく身内となるのが、この遊廓(さと)の習わしだ。禿たちが酒を運び小次郎と太夫の盃に酒を注ぐ。その間、太夫はじっと穏やかな眼差しで小次郎を見つめている。初回や裏と違い、その瞳の奥には明らかに熱情の(ほむら)が宿っている。静かに三三九度で杯を交わすと、禿たちが音もなくそれらを片す。  二人きりになった。相変わらず太夫は熱の籠もった瞳を向け、ただひと言。 「末永うよろしゅうに」  小次郎は緊張のあまり、頷くことしか出来ない。それでも太夫は機嫌を損ねるでもなくやわらかく微笑んでいる。小次郎の心臓は破裂しそうなほど高鳴っている。しかしここで欲の赴くまま乱暴に振る舞えば、夫婦になったといえど次はないかもしれない。それが判っているのか太夫はにこりと微笑むと、そっと小次郎の手を取り立つよう促す。  若駒太夫は丁寧に小次郎の着物を一枚ずつ脱がせていくと、禿たちに渡していく。丁寧に畳まれたそれらは、禿の手によって乱れ箱の中に入れられていく。下帯一枚の裸体になった小次郎は豪奢な布団へと(いざな)われた。
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