泥中の蓮

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 下手人が町人であれば四郎兵衛会所に連れ込んで、吉原独自の制裁を加えて出禁の上で放免にするのだが、今回は相手が武家ということで、幕府の役人が詰めている面番所へ連れて行かれることになる。  吉原遊廓は幕府公許の遊廓である為に当然、幕府の役人が治安維持のために派遣されてくる。それが大門を潜ってすぐ、四郎兵衛会所と仲の町通りを挟んで真向かいにある面番所だ。だが実際には吉原の治安は四郎兵衛会所が請け負っており、面番所は飾り物といっても良い。遊廓の自治を維持するため、四郎兵衛会は面番所の同心たちに鼻薬を嗅がせている。今回の場合は、侍である慮外者の身柄を四郎兵衛会所で預かっても見ぬ振りをしろと要求し、いつもよりねんごろに同心たちをもてなした。 「我らは何も見ておらん、好きにせよ」  同心たちの間では吉原の面番所に配属されることが、とても喜ばれた。日がな一日座っているだけで良いのだ。そのくせ賄賂で懐は温かい。これほど好待遇な職場があろうか。同心たちのお目こぼしもあり、浮気者に対する刑罰が行われた。まずは身包みを剥がして裸にし、女物の着物を着せて女装させる。次いで髷を切った。  今回はただの浮気に飽き足らず、太夫の殺害をも目論んだということで首からその罪状を書いた札を下げ、大勢の客や遊女が闊歩する仲の町通りを首代たち監視の下で歩かせた。当然沸き起こる嘲笑と怒号に侍の矜持を傷つけられる。しかし罪人のように手首と身体を(いまし)められては何も出来ない。屈辱に顔を真っ赤にさせるが自害も出来ない。  やがて男は吉原遊廓を出禁となり、その面貌を四郎兵衛会所はおろか面番所にまで張り出された。遣手や番頭新造をはじめ、お茶ひきの遊女たちが石つぶてを侍に投げ囃し立てながら大門から追い出す。 「さっさと出て行け浮気者! 二度とこの吉原に顔を見せんなし。ナニを切り取らりんせんだけ、ありがたいと思いなんし !」  このような罵倒を受けつつ大門を蹴り出されるのだ、恥ずかしくて二度と来られないのは当然だ。さらにこの浮気者の悲劇は続き、髷を落とした姿に親は激怒し国元に強制送還された。国元でもこの不祥事は話題になっており、この浮気者は一生、生き恥をさらす罰を受けた。
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