泥中の蓮

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 西田家の子どもに生まれたからには、男女を問わず首代になることが義務づけられていると判っていても。 「文句があるならば、離縁する。お前が甘やかすならば子どもたちに悪影響だ」 「……お義母(かあ)さんも、それが原因で自害をされたんですね」  刹那、当主の平手が妻の頬に飛んだ。派手に倒れた妻に一瞥をくれると、当主は語気を強めただひと言。 「身ひとつで実家へ戻れ」  怒りと惨めさを滲ませた目で夫を睨むが、結局なにも言わず手回りのものを手早く纏める。猛稽古で疲れ果てて寝息を立てている子どもたち。そのあどけない寝顔を目に焼き付けてから、実家へ戻る。だが首代だった実父と元妻はその夜、ひっそりと吉原から姿を永遠に消した。 「お母さんは?」 「凛、そんなことより稽古だ」  子どもたちは母が急にいなくなったことに不安を抱いたが、父や祖父は半ば強引に稽古場へ連れて行く。伯母の須津も話を聞いていたのか何も言わず、普段通りの態度である。 「ごめんください」  幼い女児の声が道場の入り口に響く。幼女特有の甲高い、それでいて不思議と澄んだ通る声だった。下働きの女が慌てて出ると、やがて彼女は兄妹と同世代の幼女を連れてきた。 「大旦那様、駒川(こまがわ)屋のお嬢さんがお見えです」 「おとうさまの代理で来ました」  孫の幸正と同い年の六つ。あどけなく汚れを知らない無垢な幼女は、この吉原で一番の大店である小間物屋に生を受けた。すっきりと姿勢が良く品の良さを感じる。この子がもし遊女となるならば、間違いなく太夫として売れるだろうとその場にいた大人たちは自然に思った。それほどに幼女は幼いながらも天性の美貌が備わっているのだ。 「お(こう)ねえさま!」  稽古中ということも忘れて凛が、弾んだ声をあげて入り口へ駆け出す。咎めようと声をあげかけた父親を、祖父が手で制する。 「駒川屋の孫娘に、あんな器量よしがいたのか」  祖父の目はお梗に注がれたり、孫の幸正に注がれたりとなかなかに忙しい。 「決めた。幸正の許嫁にあの子が欲しい」 「親父様?」 「駒川屋ならば我が家との格も釣り合う。何より見てみよ」  いつの間にか子どもたち三人は仲良くおしゃべりに興じている。年の近い他人の女の子が身近にいなかった幸正など、楽しそうにお梗に話しかけて歓心を買おうと必死だ。 「わしから駒川屋に話を持ちかける。上手く調(ととの)えば、二人が十六になったら夫婦になるようにしよう」 「まぁその頃でしたら、首代筆頭の名に恥じない腕前になっているでしょう。いや、そうなるように仕込んでおきますとも」  当主は実父である前当主に、 「その言葉、間違いあるまいな?」  との意味合いを存分に含んだ鋭い視線を向けられ、慌てて言葉を繋いだ。 「ふん、まぁ良い。わしがその頃まで存命であれば良いが、そうでなければ草葉の陰からお前を――」  斬る。  無言であったが何故かそう続くことが予想できて、当主は首筋が寒くなる思いがした。死人となった人間が生きている人間を斬ることなど不可能。だが、 (親父様なら世の理をねじ曲げてでも、俺の首を刎ねかねない)  思わず後ろ首を撫でるほど前当主の殺気は凄まじかった。 (いくつになっても、親父様の覇気には敵わんな)  思わず唾を飲み込んだ現当主は、無邪気に遊んでいる息子の背中を見て小さく溜息を吐いた。始末された妻と同じ気持ちは少なからず抱いてはいたが、この西田家に生まれた以上は甘い考えは捨てねばならない。それが四郎兵衛会所に属する首代たちを束ねる長の宿命なのだから。 「幸正、凛。稽古を再開するぞ」  ほんの僅かな時間であったが、幼馴染みと子どもらしく遊んだ時間はいい気分転換になったらしい。二人は頭を下げて帰っていくお梗に手を振ると、真剣な眼差しに変わり祖父と父の元に駆け戻ってきた。 「よし、次は無手による稽古だ」  子どもだろうと一切の手加減はない。特に女である凛は合気柔術を徹底的に学ばされる。己の力ではなく相手の力を利用して無力化する。そんな術を幼い頃から身体に叩き込み、掴まれる前に投げ飛ばす。膂力が男よりも劣る女首代には必須の護身術だ。無論男である幸正にとっても同じ事。狭い遊廓の室内での鎮圧は遊女の身を庇いつつなので、小太刀を振り回すことが困難な場合も多い。無手で乱暴狼藉を働く輩を鎮圧することが殆どだった。
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