泥中の蓮

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 吉原大門を潜ってすぐにある、四郎兵衛会所。そこは西田家でもある。見返り柳から大門へ向かう途中に編笠茶屋が軒を連ね、小間物屋である駒川屋もその一角に店を出している。客たちがお気に入りの遊女へ季節の変わり目や月々の贈り物としてやってくるので、駒川屋は大いに繁盛している。  使いに出た店の若い者は四郎兵衛会所に着くと、来訪の目的を告げた。 「大旦那様に申し伝えます。お手紙をお預かりします」  会所の護衛を兼ねている首代の一人が重々しく告げ、丁重に書状を受け取った。使いの役目を終えた若い者は駒川屋へ、首代は足音もなく大旦那のいる奥の間へと向かう。 「大旦那様、駒川屋の主人から文が届きました」 「入れ」  微かに襖が開いた音がしたかと思ったら次の瞬間には、首代の身体は大旦那の前で平伏しており、文を高々と捧げている。大旦那は鷹揚に文を受け取ると「下がって良い」と告げ、完全に首代の気配が消えてから文を開いた。想定通りの返事が記されており、満足げに二度三度と頷くと小さく息を漏らした。 「あとは凛だが……あれもお須津のように、役目一筋に生きるやもしれんな」  女首代としてひたすら遊女たちの心を抱くお須津の姿は、強制したわけではない。だが、ときおり男親として胸が痛む思いがある。好いた男が出来たならいつでも首代の仕事を辞めて嫁いでも良い。そう娘には伝えてあるが、肝心の本人は 「凛が一人前の女首代になるまで、引退できませんよ」  と笑って言い放つ始末。 「姉さまの背中を見て育ったせいか、お須津も生涯独り身を貫くかもしれんな」  もう十年も前に亡くなった自身の姉と娘の姿を重ね合わせながら、大旦那は家業の業の深さに深い息を吐いた。  ひと月後。 「両家の縁談がつつがなく調いましたこと、まことにおめでとうございます」  正式に幸正とお梗の婚約が調った。とはいえ当人たちはまだ六歳同士の幼子ゆえ、正式な婚姻は十年後ではある。吉原中の楼主たちがこの婚約を聞きつけ祝いの品々をある者は直接、ある者はそれぞれの家に届けさせて祝福した。 「今日は何の祝い事? こんなにたくさんの品々が届くなんて」  幸正は入れ替わり立ち替わり人が出入りする様子に大きく目を開き、凛は興味深そうに大層な品々を眺めている。 「幸正、今日からお前には許嫁が出来た」 「いいなずけ?」 「将来のお嫁さんだ」  言われても幼い幸正には合点がいかないらしく、小首を傾げてみせる。
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