#1人間の名残

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#1人間の名残

 人間時代の名残か、暗闇が怖い。悪魔になって幾百、上級になって幾十、人間の名残はこんなにも消えないのか。いや、また現れたのだ。サイモンに名残が出たのは、かつて自分を救った悪魔が与えてくれた最初の物を落としたからだった。  「サイモン!今回こそ来てもらうぞ!!!」  上級悪魔の定例会に出席した後、待ち伏せしていた元人間仲間の悪魔に連れられそっちの定例会にも行く羽目になった。そっちの定例会は報告やら展望やらを粛々言うのではなく、各々感じていることを言う集会のようなものだ。殆どの元人間悪魔たちは基本上級悪魔に飼い慣らされた下級中級悪魔であり、上級悪魔の下からは基本離れる事は許されない。勿論、上級悪魔は数えるほどしかいない。この集会は殆どの元人間悪魔たちが上級悪魔の下から離れることが許される、数少ない事柄だった。  「うちの上級悪魔は東の未開の島に興味があるらしい」「こっちは相変わらず骨董趣味だ」「最近は美味い魂が減ってうちの悪魔は滅入ってる」「ご主人様が自分に興味がないみたい……」「それなら繁華街のハーレナントカの薬屋に行きなよ」  当たり障りのないことが、料理や菓子、酒の香りの中挙げられていく。サイモンは仕方なく果汁液を啜った。 「……僕は上級悪魔だ。君にとって不快な存在じゃないのか?」  待ち伏せした元人間仲間のジェイに問う。ジェイは魔術学校の教師である、中級悪魔だ。 「いや、別に。君が上級になったからって元人間な事は変わらないだろ?そんなことを気にする奴はここにはいないさ!」  ワインを啜る彼は相変わらず明るい。人間時代、天動説の研究にのめり込みミサに行かず、挙句に神を批判し天動を証明しようと悪魔と契約し火刑に処されたのに。その頃から明るかったのだろう。悪魔になってから明るくなるなら、サイモンも今頃人間時代の恐怖に怯える必要は無かったはずだ。  ワインに酔っ払ってフラつくジェイを、彼を飼い慣らす悪魔の下まで届けた。悪魔はそれを見て笑い「相変わらずだな」とジェイの頭を撫でていた。「ありがとう」と礼を言われ菓子類を貰ったサイモンは家路についた。  しかし、何かが変だった。魔界の夜が、正確には暗闇が、ひどく恐ろしい。魔界の夜は光一つない暗闇になる。悪魔になって幾百、恐ろしいと思ったのは最初の幾日だけだった。サイモンは自分の胸元を弄る。そこにあるはずのものがない。窓の僅かな光を胸元に当て、確認する。無い。サイモンが暗闇を恐れずに済むものが無い。自分を救った悪魔が与えてくれた、ダイヤを模したブローチが無くなっていた。アレが無いと、サイモンは人間時代の恐怖に支配されてしまう。恐らくジェイを送り届ける道中か、集会の会場で落としたのだろう。サイモンは暗闇の街の中、微かな光を探しに行った。  サイモンが悪魔になったのは幾百も前の話になる。サイモンは南の方に生まれ、両親と共に森の中で静かに暮らしていた。その頃、悪魔と人間は度々契約を交わしていたが、契約を交わした嫌疑を掛けられた敬虔な信徒は次々に火刑に処されていた。サイモンの両親は神を信じていた。かつて教会にも赴いていたが、周りの目や教会の目を気にして家で祈りを捧げていた。両親は木から掘り出した偶像に祈り、サイモンにもそれを促していた。サイモンはそのような両親の下で小さき敬虔な信徒として生きていた。  ある日の夜。サイモンと両親が床についていると、家の周りに多くの松明が掲げられられた。そして大勢の人間が家に雪崩れ込み、両親を農具で貫いた。両親を貫いた人間たちは次にサイモンを探した。サイモンはその音を納屋の藁の中で聞いていた。何故自分と両親は襲われたのだと、何故両親は神を信じていたのに殺されたのだと、両親が不器用ながらも掘り出したあの偶像は神ではないのかと、信じた意味はあったのかと、サイモンは藁の暗闇の中で思考した。足音が納屋に近付く。サイモンは必死に祈った。自分は両親に促されながらも、父を信じ恵みに感謝し時には懺悔もした。両親と共に自分も救って欲しい。ここで死んでも、三人で天国に行きたい。そう祈ったサイモンの腰が貫かれる。そのまま持ち上げられると、頭にナタが振り下ろされた。その後の記憶はサイモンには無い。しかし殆ど無の暗闇の中で、数えきれない痛みと憎悪の打ち付けは命が尽きるまで続いた。  サイモンが目覚めた時、目の前には原型をとどめていない「自分」がいた。それを呆然と見つめていると、隣に誰かが立っていた。 「君を迎えに来たんだけど、一緒に来る?それとも食べられたい?」  声の主にサイモンが目を向ける。そこには「魔女」がいた。村人が言っていた魔女とはだいぶ違うが、確かに「魔女」だった。赤みのかかった唇、帽子の下で揺れる金髪、漆黒の白目、碧い目を持つ「魔女」。最初に出会った悪魔はそのようなものだった。 「魔女……?」  幼いサイモンの口から出る、目の前の人物を形容する精一杯の言葉だった。「魔女」と呼ばれた悪魔は髪を揺らしながら溜息をついた。 「私は魔女じゃないわ。悪魔よ!悪魔!君を魔界に送るために来たの!!」  悪魔と聞いたサイモンはまたも呆然とした。何故、敬虔な信徒として両親と生活した自分が、悪魔と共に魔界に行くのだと。 「何で……?パパとママは……?」  振り絞った声で呟くサイモンに、悪魔は返す。 「だって君、カミサマに対して信じた意味はあったの?って思ったでしょ?それがカミサマにとって気に食わなかったみたいなの。パパとママは最後まで祈ってたみたいだから、天国へ行ったわ。だから私が来た。さっ、早く、食べられるか一緒に来るか言って。」   意味が分からなかった。気に食わなかった?パパとママだけ天国?食べられる?一緒に来る?幼いサイモンには全てが難解であり、理解には程遠いものだった。困惑の渦に落ちていくサイモンを目の前に、悪魔は言う。 「食べられるを選んだら君の魂は私が食べる。そしたら君の意識は消えて無くなる。でも一緒に来るを選んだら、君は私と一緒に魔界に行くわ。」  悪魔の説明は余計にサイモンを困惑させた。両親から聞いた悪魔は人を誘惑し悪いことをさせる奴だった。でも目の前にいるのは神に見捨てられた子供に選択を与える「人」だ。その時、サイモンの思考は今までの教えに背く方に流れた。神は子供の思考でも気に食わなければ天国には連れて行かないが、悪魔は選択の自由を与える。子供のサイモンにとってどちらが良いかは明確だった。 「……一緒にいく……。」  その答えを聞いた悪魔は嬉しそうだった。 「一緒に行きましょ、サイモン!私はキャサリン。好きに呼んで!」  サイモンはキャサリンに手を引かれ、魔界に行った。  そんな出来事を思い出しながら、サイモンは道中を這い回った。思い出以上に、暗闇での痛みと憎悪の恐怖が頭を支配していく。藁の中、両親の悲鳴とあいつらの足音が響く、サイモンを貫くもの、頭をかち割るもの。その恐怖はかつてのサイモンを支配していた。魔界に入り下級悪魔になったものの、夜の暗闇が恐ろしく、恐怖が支配するには絶好の環境だった。それを見たキャサリンは、サイモンにあるものを渡した。それは人間界のダイヤを模したブローチだった。一見ただのブローチだがキャサリン曰く、魔界に馴染むための呪いを掛けたとのこと。それを授けられて以降肌身離さず着けていた。人間時代、両親以外からの贈り物など無く、あったのは侮蔑の目だけだった。それを初めて授けてくれたのは悪魔、キャサリンだった。  だから、失くす訳にはいかない。必ず見つけ出さなくてはならない。サイモンとキャサリンはあのブローチで繋がっている。そうサイモンは考えていた。 「探しているのは、これかい?」  酔っぱらいジェイを運んでいた広場で声を掛けられた。サイモンが見上げた先には、色白に碧い目、黒髪を携えた上級悪魔がいた。その手には思い出のブローチがあった。 「メスさん?それをどこで……?」 「元人間悪魔の集会場だよ。ジェイくんを介抱している時に落としていたよ。追いかけようにも、この子がいたからね。君を探しがてら夜散歩さ。」  メスと呼ばれた悪魔の傍には羊の少女がいた。メスは「立ちな」と言いながらサイモンに手を差し伸べた。サイモンはそれに応え、立つとブローチを受け取る。ブローチを胸元につけると、今までの恐怖が嘘のように消え、いつものサイモンに戻った。 「メスさんありがとう。明日お礼するよ。」 「気にしなくて良い。キャサリンさんからもらった大切なものだろう?渡すのは当然さ。」  メスはそう言うと、羊の少女と共に闇夜に消えていった。サイモンはメスとは殆ど話さないが、彼があのように話せるのは人間時代多くの人間を黒ミサに誘い、悪魔と契約を交わさせ続けたからだろう。だが、ブローチを届けてくれたのは事実だ。お礼はしっかりしよう。キャサリンからの教えだ。  魔界の夜は今日も新月だが、サイモンの胸元は満月だった
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