#3魔ウサギの面倒事

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#3魔ウサギの面倒事

「もう君、天国行きなよ。」  この言葉が魔界において最大の侮辱の言葉である事は知っている。しかし、目の前にいる五月蠅い悪魔にはそう言うしか無いのだ。ロジャーは、この街ののルールが分からない悪魔は嫌いなのである。  魔界の朝は薄暗い。部屋の中は暗い。そんな寝室でロジャーは久々に朝を迎えた。独り身にしては広いベッドでも、決してロジャーは寂しさを感じない。開店時間まで2時間。まずは昨日は浴びなかったシャワーをしなければならない。疲労残らぬ体を起こし、シャワーに向かう。  シャワーの中で今日の予定を唱える。今日はいつも通り棚の補充に薬の卸先のチェック、店を開けた後は調合した薬を用意し予約来店した人達に渡す、遠方の人には使い魔で送る、その後はずっと来店客の対応、店を閉める時にはあの子が来る。自分の店を構えて早2年。一人で店をやっているロジャーはシャワー中の予定の唱えは日課だった。  バスローブに着替え、保存庫の牧草を食べながら、ロジャーは昨日の子のことを思い出した。昨日は宿が充実した酒場で相手を探していたところ、向こうから声をかけてきた。魔ウサギ族では無い事は一目で分かった。良い感じだったのでそのまま宿に上がったし、宿に上がってから眠りにつく寸前までは良かった。眠りにつく寸前、彼女は「ロジャーの恋人になれて嬉しい」とほざいたのだ。ロジャーにとってその一言は、とんでもないものだった。この街のルールを知らない奴は危険。そう思ったロジャーは冷たくあしらって帰ってきたのだ。昨日の子が店に来ないのが最善であるが、来た場合、面倒なことになる。  店に降りたロジャーはいつものように在庫の確認から始める。各種族対応の頭痛薬、栄養剤、衛生用品はある、売れ行きの良いやつは仕入れを増やすか、これは余りやすいから次から減らすか……、この街の数少ない薬局としてやるにはそれなりの在庫と種類が必要になる。棚の補充をしながら薬のことを考えた。薬はいつも通りグレンツ魔術学校に卸す薬品と医薬品。学校には使い魔を送る。  そろそろ店を開ける時間になる。その前に薬品と医薬品を送らなければならない。薬品と医薬品の殆どはロジャーが他の魔界から仕入れたものであり、高くつくが薬品としての価値も効果も高いものだ。ロジャーは丁寧にそれらを包み、一際大きい使い魔を召喚すると荷物を託し表から放った。使い魔が見えなくなると、ドアの札を「開店」にする。また、「ハーレクインの薬屋さん」の一日が始まる。  開店後の店には様々な客が来る。いつもの様に日用品を買いに来る下級悪魔、ロジャーが調合した薬を受け取りに来た中級悪魔、贔屓してくれている上級悪魔、買い物しつつもロジャーと話す事が主目的な悪魔達、ロジャーはそれらの悪魔達とのやり取りを楽しみながらこの店を構えていた。元々話すことが好きなのと薬への興味が他の悪魔よりも強かった。そのため魔術学校高等教育部I期を卒業した後に魔薬剤師の資格を取り、魔薬剤師としての修行を始めた。3年ほどベテランの魔薬剤師の下で調合師の仕事をした後、2年前にこの店を開いた。  この街を選んだのはロジャーの考えと生態に合致しているからだった。実際店を構えると繁盛し、母校への卸の仕事だったり修行時代の評判を聞きつけての調合依頼だったりが舞い込んだ。調合依頼は毎日ではないものの頻度は高く、依頼を受けるにつれ勉強することも多かった。仕事時間、つまり開店一時間前から閉店一時間後までに全ての仕事をこなすためにロジャーはルーティン表も作った。この表に従い、ロジャーは毎日を楽しく過ごしていた。  時計を見ると、あと一時間ほどで閉店になる。今日もよく売れた。そう思いながらレジに座っていると、来店ベルが鳴った。ロジャーが目をやると、ドアの前には昨日の子がいた。最悪の事態になった。ロジャーの経験上、店にまで来る悪魔は碌な奴ではない。少なくともこの街のルールに合う悪魔ではない。ロジャーとその子はカウンター越しに対峙した。 「……どうして来たんだ?君に言うことは何もないよ。」 「どうしてって……。なんであれだけの事であんな態度取られなくちゃならないのよ!!」  その子は大分激昂した。ロジャーはその様子を冷静に見た。あぁ、やっぱりこの街には合わない、この街に近づけさせない方が良い、その子を見ながらロジャーは思った。それと、この子は元人間の悪魔かもしれないとも。失礼であると理解しているが、純粋悪魔の特権を使いその子の過去を覗いた。その子はやはり元人間であり、生前は浮気に不倫にやりたい放題で、最終的に不倫相手の配偶者と自身の恋人に其々襲われ若くして殺された様だ。その感覚が色恋に溺れたものなのか、それとも性に奔放なものなのかは特権だけでは分からない。しかしロジャーは、何となくどっちか分かった。 「君はこの街に純粋な恋愛を探しに来たんだろうけど、この街にはそんなの無いよ。俺に話しかけたのはその目的かもしれないけど、俺はそのつもりはない。」 「うるさいっ!!!このクソウサギ!!!」  投げつけられた言葉は、ロジャーの我慢の限界を越えさせるものだった。その後もその子はロジャーの有る事無い事罵った。ロジャーにとって罵られた事柄は、ロジャーなりの生き方であり外野から言われる筋合いは無い。 「もう君、天国行きなよ。そんなに純粋な恋愛が欲しいなら。天国は純粋な愛を貫いた人間だけが行けるみたいだし。」  魔界の中では最大の侮辱であり、その子自身の過去を煽るものである。だが仕方が無い。ロジャーはこの街のルールを知らない悪魔は嫌いなのだ。この街のルール、それは純粋ではなく火遊びであれ、つまり純粋な恋愛ははなから存在しないのだ。それが分からない、火遊びした悪魔に純粋を求める悪魔はこの街にいるべきではないのだ。  その子はその言葉を聞き、泣きながら出て行った。時計に目をやると、閉店時間になっていた。ロジャーがドアに視線を向けると、いつものあの子が入ってきた。 「ロジャー、来たよ〜。」 「リラちゃん、来てくれてありがとう。」  リラと呼ばれた上級悪魔はオープンの札をクローズにひっくり返しながら、ロジャーに近づく。彼女は特徴的な角から上手くフードを外した。彼女の横髪より短い後ろ髪がふわふわと揺れる。そのままロジャーに抱きついた。 「ねぇ、さっき店から出てきた子泣いてたけど、なぁに?勘違いされたの?」 「ここに純粋を探しに来ちゃった子だよ……。多分二度と来ないけど。」 「あはは、ある意味勘違いだね。来ない方が身のためだ!」   少し疲労を浮かべるロジャーにリラは笑いながら答えた。  そのまま二人は店内の階段を登った。ロジャーは閉店後一時間調合の仕事をしなければならないことを、リラは知っている。リラとロジャーは二階で一旦別れ、リラだけ三階の家に上がる。  ロジャーは調合部屋に入り一息ついた。今後はもっと気をつける必要がある。ただ、どう気をつけようか。見た目だけじゃこの街の悪魔か判別は困難、況してや直接聞くのは無理だ。じゃあ、話の内容から汲み取るのはどうだろうか。どこから来たの?とか言えば大体分かる上に、身の上話まで持っていきやすい。そうしよう、と思いながら、ロジャーは調合を始める。部屋に立ち込める薬草と薬品の匂いは、魔界の夜の下で白黒の耳を包んでいた。
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