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風澄が戻ると、幹路は清見を連れて店を出ていった。幹路の腕に思い切り絡まり、支えられながら歩いていく清見に心配と嫉妬、両方の気持ちが混ざったよく分からない気持ちで送り出した風澄は、仕事をしながらちらちらと店の時計に視線を向けていた。
「十時半……」
幹路が店を出て行ってから一時間経っていた。ここから清見の家まで、車なら十五分ほどで着くはずだ。幹路の言う通り、そのまま戻ってくるのなら、遅く見積もっても戻っていい頃だった。
けれどまだ幹路は戻らない。
「王子様帰ってこないねー」
閉店まであと三十分になって、ラストオーダーも済んだので、比較的手が空くようになった彩がグラスを片付けながら、風澄と同じように入り口のドアに視線を向けた。
「うん……きっとキヨくんに絡まれてるんだよ」
「あー、狙ってるっぽいもんね、あの人」
「え、彩ちゃん分かるの?」
風澄は彩に、清見からライバル宣言されたことを話していない。それでも見ただけで分かるくらい、はっきりと好意が見えるのだろうか。
「まあ、多分、だけど。でも、王子様が槙くんのこと好きなのも分かるよ。心配だからスタッフルームまで追いかけてもいいですかなんて聞いて……バレバレだった」
彩が言っているのは、さっき着替えにいった時の話だろう。幹路が勝手に来ることはないと思っていたが、改めて言われるとなんだか嬉しい。けれど、その後のことを思い出す方がドキドキしてしまって、風澄の頬は少し赤くなった。
「そ、だったんだ……」
客が帰った後のカウンターを片付けながら風澄が目を伏せる。そんな風澄に店長が、いい人じゃないか、と声を掛けた。風澄が顔を上げる。
「風澄くんが好きなんだなって感じがして、微笑ましかったよ」
「好き……」
風澄は幹路に助けられた時から惹かれていたし、その優しさを知るたびに好きになっている。告白をしてくれたのは幹路だけれど、同じくらい好きになってくれているか、その自信はなかった。けれど、周りからそう見えたのなら、その自信はほんの少し成長する。
「だと、いいな」
見上げた時計の針は、もうすぐ閉店時間を指そうとしていた。
閉店作業を終えるのは、いつも十一時半過ぎだ。それから着替えて店の施錠をして帰るのが十二時少し前になる。
「ホントに、待つの?」
店長と彩と三人で店を出て、裏口の施錠をしたところで、彩が眉を下げて聞いた。
「うん、もう少しだけ……」
風澄が小さく笑うと、彩の隣に居た店長も彩と同じように眉を下げた。
「このあたりは、それほど治安が悪いわけじゃないけど……風邪をひく前に帰った方がいい」
「でも、待ってるって、約束したので」
「そうか……じゃあ、ホントに無理しないように」
店長はなおも心配そうな顔を向ける。風澄はそれに笑顔で頷いて、彩と店長を見送った。
途端、辺りが静かになって寂しさが増す。
「んー……こんな時は、霞さんのアーカイブ!」
スマホを取り出し、霞のページを開くと、お気に入りの初見ホラゲ実況の配信を再生する。
こんばんは、という落ち着いた挨拶で始まるのに、ゲームを始めるとうるさくて、このギャップがたまらなかった。
『え、やばいやばい、詰んだ? え、これ詰んだ? 出れないんだけど、詰んだ出れない……ツンデレか!』
「ホント、霞さんってホラゲの時が一番可愛いし、よくしゃべるな」
そういえば幹路自身も焦るとよく喋るかもしれない。そんなところも好きになる。胸の奥がじんわりと温かくなっていくのが自分でも分かるのだ。
『出れたよー』
耳元のイヤホンからは、霞の嬉しそうな声が響いている。
『出れた、やっぱりデレると思ってたんだー、幽霊だってイケボ好きだよね』
そっちのデレるじゃないか、と笑う霞の声がやっぱり幹路だ。きっと、こういう穏やかな声や話し方に惹かれたのだろう。
そう思った途端、幹路にとても会いたくなって、風澄は通りに視線を向けた。そこに幹路の姿はない。
『それじゃあ、今日も、僕の隣でおやすみ』
いつもの配信が終わる合図の台詞が耳に届く。スマホの画面を待ち受けに戻すと、もうすぐ午前一時になるところだった。終電も出てしまう時間だ。
「……帰ろ……」
幹路からはメッセージもない。
考えたくはないけれど、今頃清見と同じベッドに入っていたら――なんて想像してしまう。でも他に連絡すらできない状況というのが思い当たらなくて、風澄の視界はじんわりと歪んでいく。
想像だけで泣いたら幹路だって悲しいだろうと思い直し、風澄は歩き出した。そのまま幹路とのメッセージ画面を開く。
『ごめんなさい。今日は帰ります』
それだけ送ると、風澄はスマホを握りしめて、終電に乗るべく、駅までの道を駆けていった。
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