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身バレする奴なんてバカだと思っていた。
「ねぇ、これあんたでしょ?」
初めての壁ドンは僕よりも小さくて可愛らしい女子によって奪われてしまった――。
*
「柴田(しばた)。ちょっといい?」
「あ、え……っと」
「いい⁉」
「あ、はい!」
放課後。いつも通り僕はそそくさと教室を出て、真っすぐに家に帰ろうとしていたところだった。そんな僕の前に立ちふさがるクラスメイトがいた。見るからにカースト上位の女子、田所(たどころ)さん。高二に進級して同じクラスになって半年以上経つけど、話したことなんてないはず。そんな彼女が僕になんの用があるというのだろうか。
圧に負けて大人しく前を歩く田所さんの後をついて行った。まさか告白……なんてことはないだろう。クラスで僕の声を聞いたことがある人なんていないんじゃないかってレベルで僕の存在は薄い。人には人間を忘れる順番があって、声が一番最初だと聞いたことがある。それならば、声すら知られていない僕のことをクラスメイトは何から忘れるのだろうか。いや、思い出すこともないのかもしれない。
「ここでいっか……ねぇ!」
「あ、はい!」
「その『あ』っていちいち言うの止めてくれない?」
「あ、ごめ……すみません……」
「まぁいいけど」
辿り着いた人気のない校舎裏。盛大なため息を吐きながら、田所さんに壁まで追い込まれる。何故か殴られるのかなと思った僕は全身をこわばらせていた。そんな僕に田所さんはいわゆる壁ドンの体勢で、スマホの画面を突き出したのだった。
*
「――ねぇ、これあんたでしょ?」
「な、なんのことでしょうか」
「いやどう見ても、うん?違うか……どう聞いても!これあんたでしょ⁉」
田所さんが見せてくるスマホの画面には、『歌ってみた!』と書かれた動画が流れていた。歌っている人間の姿はなく、中性的な男のイラストのみが画面に映っていた。
「……ぼ、僕がそんなことすると思います?」
「だって歌声めっちゃそっくりだし!」
「僕の歌なんて聞いたことないんじゃあ……」
「音楽の時間!歌唱のテストあったじゃん!」
「あぁ……」
あんなの適当に本当に小さな声で歌ったのに。そういえば確か田所さんは隣で一緒に歌っていたような……。
「やっぱりそうなんだ!」
「そうだなんて言ってない……」
「あのさぁ、今度の文化祭でバンドやるんだけど、ボーカルやって!」
「はぁ⁉」
「部活入ってないから時間あるよね。明日練習あるんだけどー、顔出せる?」
全くこっちの話を聞かない田所さんによって話は勝手に進んで行く。
「いやだから違うって……」
「へぇ~。じゃあみんなに言っちゃお。柴田ってネットで歌ってんだよーって」
「え?な、なんで……」
「違うなら違うって言えば終わる話でしょ?」
そんなわけあるか。田所さんの周りにいるヤンキーやギャルどもに面白がられるに決まっているじゃないか。それを分かってて言っている、この目の前にいる可愛らしい女子は悪魔なのだろうか。
「やめてよ……そんな脅迫まがいのこと……」
「えー?人聞きの悪い。文化祭で思い出作ろーよー」
思い出なんて。僕みたいなカースト最下位の陰キャにとっては文化祭も体育祭も修学旅行も全て、クソみたいな思い出しかないことを田所さんみたいな人間は一生分からないのだろう。思い出される嫌な思い出に、沸々と怒りがこみあげてくる。
「お、お前らの思い出作りなんて……手伝ってられるかよ!」
久しぶりに人に対して大きな声を出したからか最後には声が裏返ってしまい、何もかもが恥ずかしくなった僕は田所さんの肩を軽く突いて逃げ出した。
*
気が付けば自宅に着いていた。脳内を渦巻く後悔の嵐。まずいことをしてしまった。確かに僕はひっそりと誰にも言わずに歌の動画をあげていた。最低でも月に一本。まだまだ数は少ないけれど、唯一続いている趣味だった。
小さい頃から歌が好きだった。小学生の頃に大好きだった音楽の先生に授業で褒められて、すごく嬉しくて、でも「柴田のくせに」って歌手を目指しているとかいうクラスの派手な女子に難癖を付けられてイジメられるようになってからは人前で上手く歌えなくなってしまった。中学の時にネット上で歌の動画を上げている人たちの存在を知って、これなら自分でも表現できるかもと思ってリハビリをするように歌い始めたのだった。
次第に再生数も増えて、コメントもついて、ささやかな趣味として楽しんでいたのに。最悪だ。クラスメイトにバレてしまった。しかもよりによってクラスのカースト上位である田所さんに。そしてあんな悪態をついてしまった。明日教室に入ったら、机とか椅子とかなくなっているかもしれない。どうしよう……。僕は震えながら布団を頭まで被って夜を過ごした。
*
朝は無情にも誰にでも平等に、当たり前のようにやってくる。友達なんていないけれど、楽しい思い出なんてないけれど、これまで学校には欠席もせずに通い続けてきたのだ。何とか気怠い体に喝を入れて、いつも通りの時間に登校した。
特に挨拶する相手もいないので、いつも通り静かに教室に入った。良かった、自分の席はちゃんと残っていた。机に落書きもないし、クラスメイトも特に僕を気にしている様子はない。田所さんもいつも通り女子たちと仲良さそうに話している。田所さん、誰にも昨日のことを話さずに黙っていてくれたのだろうか……と思った僕は甘かった。
「柴田」
「ひぃ」
「……ちょっといい?」
「あ、はい……」
なんというデジャブ。平和に一日が過ぎたと思っていたら、放課後に同じような時刻に同じ場所で、僕は再び田所さんに呼び出されていた。
「ご、ごめんなさい」
「何で謝るの」
「あの、昨日、生意気な態度を取ってすみませんでした……」
「……こっちもごめん」
「え?」
思ってもみない言葉に、深く深く下げていた頭を思わず上げるとそこには本当に申し訳なさそうにしている田所さんがいた。
「実は……あの動画の歌声、前からすごくいいなって思ってて。音楽の授業の時にあれ、柴田なんじゃないかって思ったら、すぐ近くにいたんだって思ったらテンション上がって、それでなんか調子乗っちゃった。ごめん」
「……大丈夫……黙っててくれるなら、別に……」
「え?否定しないの?てことはやっぱりあれ、柴田なの?」
「あ」
「えー!やっぱりそーなんだぁ!」
「こ、声大きい!」
「あぁごめん。へぇ~そうなんだぁ……じゃあ文化祭で歌う?」
「何がじゃあなのさ。嫌だよ」
「あと言っておきたいんだけどね、昨日の話の続きなんだけど、手伝って欲しいなんて思ってないから。思い出作り。手伝うんじゃなくて、“一緒に”作らない?」
「……一緒に?」
「うん。とりあえず話くらい聞いてくれない?」
*
「え……ガールズバンドなの……」
何だかんだ丸め込まれた僕が連れて来られた第二音楽室。そこにいた田所さんのバンドのメンバーはギター、ベース、ドラムで編成されていて、全員女子だった。
「うん、私がギターで。ベースのりぃちゃんとー、ドラムのひな」
あだ名で言われても分からない。呼ぶことも出来ないし。改めて自己紹介してくれたベースのりぃちゃんは違うクラスの大森(おおもり)さんで、ドラムのひなは大森さんと同じクラスの小林(こばやし)さんだった。三人とももれなくギャル。THE女子高生。僕の一番苦手なタイプ。
「柴田はぁ、シバイヌ?シバケン?どっちがいい?」
「え、えっと、何が?」
「あだ名」
小林さんに唐突にあだ名を提案される。どっちも柴田より文字数長いし。その内パシリにされそう……。
「……柴田でお願いします」
「えーつまんな」
「そんなことより!二人とも!柴田がこのバンドのボーカルです!」
「「「はぁ⁉」」」
僕を含め三人が同じように驚きの声を上げた。
「柴田くん聞いてないって反応してるけど」
大森さんは笑い出していた。たぶん田所さんはいつもこうなのだろう。なんというか、突っ走り過ぎだ。
「別に私が歌ってもいいんだけど、ギター弾きながらだとまだ余裕なくてぐちゃぐちゃってなるから」
「いや僕今日顔出すだけって……」
「シバケン歌上手なんだ?聞いてみたいなぁ」
小林さんの中では僕はもうシバケンらしい。否定するのも面倒くさいから気にしないでおこう。多分言っても変わらないだろうし。
「あの、僕、人前で歌うの、本当にダメで……」
「緊張するもんねぇ。でも練習あるのみだよ!柴田!」
「いやそういうことじゃなくて……マジで、吐きそうになるから、だから、ネットで――」
「あぁああああ!!」
突然田所さんが大声を上げたから、驚いて固まる僕たち三人。田所さんは僕の服を引っ張るとコソコソと耳元で話をした。ち、近い……。
「誰にも言ってないから……」
「え?あ、うん……」
どうせバラされるのかと思って自分から白状しようとしたら止められてしまった。
「何々?内緒話?てかなんでシバケンなの?」
「音楽の授業ですっごく良い声してるのに気付いたの」
「へぇ。なんだ、柴田くん歌えるじゃない」
「あ、いや、その、そんな聞かせられるような歌じゃないんだけど……」
「そんなことないってば!……人前が嫌なら、うちら皆外見てるから、それなら歌える?」
「えぇ?そんなことしたことないよ……」
「じゃあやってみよー」
なんだこの状況は……。目の前には僕の方ではなく窓の外を眺めている三人の女子高生。このままこっそりと教室から逃げても大丈夫かな……いや、一度田所さんに見逃してもらった命だ。次この三人を敵に回したらきっと、平和な学校生活が無くなる気がした。
大丈夫、大丈夫だ。目をつぶればいい。いつも通り、動画を撮っている時と同じように、一人だと自分に言い聞かせろ。サビだけできっと十分だ。それなら数十秒もかからない。すぐ終わる。大丈夫、大丈夫だ――。
「――も、もういい?」
たった少しの時間、サビを歌っただけで息が上がっていた。何とか息を整えて、問いかけて見ても、三人のギャルは何の反応もない。何かやらかしたのだろうか。
「……すっごい」
少し経って、田所さんから声がこぼれた。バッと勢いよく僕の方へ振り返る。小学生の頃、音楽の授業の時に褒めてくれた先生と同じ、優しい笑顔を浮かべていた。
*
「とりあえず柴田がボーカルとして―」
「え゛」
「でも、実際どうするの?文化祭まで1か月しかないけど」
「それまでにシバケン、人前で歌えるようになるかな?」
「無理無理無理。無理です勘弁してください」
ギャルたちによる歌唱審査を切り抜けてしまった僕は勝手にボーカルに見据えられてしまった。
「じゃあ柴田だけ後ろ向いて歌う?」
「そんなの見たことねぇー!」
ゲラゲラと小林さんは笑い出していた。僕は不安になっていた。
「でもそれだと立ち位置的にひなと目が合うよ」
「私と見つめ合いながら歌うの⁉マジかよ」
小林さんの笑い声がもっと大きくなった。僕の不安ももっと大きくなった。
「やっぱりこの話はなかったことに……」
「するわけないじゃん」
「あ、はい……」
「覆面とか着ぐるみとかは?」
一緒に笑ってはいるけれど、大森さんは比較的まともだと分かってきた。
「体型とかでバレたくないから……できれば着ぐるみの方がうれしいかな……」
「じゃあ着ぐるみ探そっかぁ」
一斉にスマホをいじりだすギャルたち。操作早っ。
「着ぐるみから美声聞こえるって考えたらめっちゃシュールじゃね?」
「SNSに上げたらバズりそう」
「じゃあなるべくギャップのある着ぐるみがいいね」
当事者であるはずの僕を置いて、話は勝手に進んで行った。
「……そういえば、皆はどれくらい弾けるの?」
「「「え?」」」
「し、しょうがないなぁ。シバケンのために一曲弾いてあげるよ」
「あ、お願いします――」
「――……あー、その、下手ではない……かな……」
「柴田!お世辞くらい言え!」
「あ、すみません!味のある演奏でした!本当に!」
*
「お前なんで最近田所といんの?」
「すみません……」
「すみませんって何だよ。謝るようなことしてんのか?あぁ?」
田所さんのバンドの練習に付き合わされるようになって2週間。分かっていた。違う世界の人間だって。関わってはいけないのだと、分かっていた。案の定ヤンキーに目を付けられて呼び出された。そうそう、壁ドンってこうやって自分より背の高い男子にやられるものだよな、と案外冷静な頭で考えていた。
「いえ、違くて……その」
「あぁ?声ちっちぇえな。聞こえねぇよ!」
声が大きい。こっちは聞こえてると言うのに。
「何してんの!」
「た、田所さん……」
「お、どうした田所」
「どうしたじゃないでしょ。なんで柴田に詰め寄ってんの?」
「いや別に……なんで最近こいつと関わってんのかなぁって」
「柴田には文化祭の雑用をしてもらってんの!うちらの犬ってこと!」
「なんだただのパシリかよ」
「そう。だから突っかからないで」
「はいはい」
ヤンキーは理由が分かると興味を無くしたのかさっさと去って行った。「あんま調子乗んなよー」と捨て台詞を吐いて。
「ごめんね。パシリなんて思ってないからね。でもああ言っておけば――」
「わかってる……わかってるから……ありがとう田所さん」
僕らの関係は傍から見たら同じバンドメンバーだなんてありえないのだ。パシリとその主人なんていうのが一番自然なんだ。情けない。助けられて、気を遣われて、慰められている。
「……柴田!」
「あ、はい」
「あ、じゃない!」
「あ……あぁ……ごめんなさい……なんですか」
「アイツ文化祭のライブ見に来させるから。絶対見返そうね!」
「え?えぇ……」
「見返してやったって思い出!作ろうね!」
「……はい」
作れるのだろうか。そんな輝かしい思い出を。いつもクラスの中心になる人たちの思い出を輝かせるだけの、際立たせるだけの添え物でしかない僕が、田所さんと一緒なら――。
*
気が付けば文化祭のライブまで後1週間に迫っていた。もはや当たり前のように第二音楽室に呼び出されている僕。
「やっば!超かわいいんですけど!」
「痛い痛い。叩かないで」
「安ものなんだから叩かないで、ひな」
僕は用意された着ぐるみを着せられていた。デカい恐竜の着ぐるみ。でも案外動ける。
「なんで恐竜?」
「これね、首のところから外見られるの。目立つ頭に視線が行けば、人とあんまり目が合わないかなって」
「なるほど」
「大丈夫?息苦しいとかない?」
「まぁ、なんとか……でもこれ視界が思ったよりクリアだね……」
大森さんはやはりまともだった。そしてまともじゃない田所さんは笑顔で僕に告げてきた。
「本番は目のところ塞ぐよ?」
「え?」
「あと耳栓も付けるから」
「耳栓?」
とんでもなく嫌な予感がしていた。そしてそれはちゃんと当たるのだった。
*
「た、田所さん……めっちゃ怖いんだけど……」
「大丈夫大丈夫!練習いっぱいしたんだから!」
文化祭当日。楽器を持ったギャルの女子高生に囲まれる恐竜の格好をした僕。異質な僕は誰よりも周囲の注目を浴びていたけれど、大森さんの言う通り皆が皆、恐竜の頭の部分を見ていたから、ステージ袖まで全然人と目が合わなくて助かった。
「ほら作戦の最後の仕上げするよ」
ステージ袖では田所さんによって着ぐるみの視界を外側からテープのようなもので目隠しをされ塞がれていた。前が見えない上に着ぐるみの中に腕を突っ込まれ耳栓も付けられた。
田所さんの作戦は人前で歌うのが苦手ならば、耳も目も塞ぐことによって一人カラオケの感覚で歌えというものだった。耳栓をして演奏の大きな音以外聞こえなくした状態で、ドラムで合図を出すからスタートだけ間違えるなければいける算段らしい。そんな極限の作戦を命じられたのだった。
別にこんなめちゃくちゃなお願いを断っても罰は当たらないと本当は思うのだけれども。田所さんは思っていたより悪い人ではなかった。きっと断っても、クラスでハブられるようなことをしない人だと思えた。この約1か月間、演奏の練習に付き合っていく中で、それくらいの信用は育めていた。
でも本番が近づくにつれて、一生懸命練習をする田所さんの熱意に触れて、応えてあげたいと思うようになっていた。またあの時に、歌い終わった時に見せてくれた、優しい笑顔が見たいと思っていた。
「――!!」
「はい!!」
くぐもっていてほとんど何を言っているのか分からないけど、たぶん田所さんが何か大声で気合が入るようなことを言ったのだと思う。僕はとりあえず元気よく返事をした。そして僕は田所さんに腕を引っ張られるようにして、ステージまで移動させられた。
ライブ会場の体育館がざわついているのが何となくわかる。それはそうだ。恐竜の格好をしているのだから。しかもマイクは恐竜の口の下、喉元にある。そこに僕の口があるからだ。
心臓がバクバクする。大丈夫、大丈夫だ。思い出せ、練習してきたことを。小林さんのドラムの合図だけが頼りだ。後は、演奏の音なら何とか聞こえるから。始まりだけ。始まりの音だけ間違えなければ、後はいつも通り、動画を撮る時と同じだ。目の前には誰もいない。大丈夫、大丈夫だ――。
「――!!」
一瞬に感じる数分間を過ごした。歌い終えて、まだ何も聞き取れないけれど何だか周囲が騒がしい。すると急に体が大きく揺さぶられた。必死にバランスを取る。途端に開けた視界。田所さんが僕の目隠しを取っていた。耳栓は着ぐるみを着た状態だと取れなくて、目の前の田所さんが何を言っているか全然分からない。観客席からは何か破裂音がたくさん聞こえているような気がする。すごくたくさんの人たちの、手を叩く動作が視界の端に見える気がするけれど、それよりも、そんなことよりも。
僕はただ、目の前にある、あの優しい笑顔にくぎ付けになっていた。
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