回想

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 そのいっぽうで、俺と夕貴が世間的には姉弟だという事も理解している。  夕貴にはいまだ男として告白しておらず、そういう素振りもまったく見せていない。  なのにいきなり『好きだ』と言って『付き合いたい、キスをしてセックスしたい』と言えば、必ず夕貴は俺を拒絶するだろう。  だから彼女の押しに弱い性格を利用し、血が繋がっていない事を強調して〝練習〟をしたいと言えば、夕貴自身の好奇心も手伝って頷いてくれるのでは……と期待した。  とにかく俺は、彼女の性的な興味を自分に向けて、『弟は男だ』と意識させたかった。  反吐が出そうな思い出だが、〝経験〟なら嫌というほどした。  本当の意味での〝練習〟なら沢山したから、夕貴で〝本番〟をさせてほしかった。  彼女の唇を味わい、肉体を知ってこそ、俺のあの汚泥を啜るような想いが報われると思っていた。 〝練習〟など言ってしまったもう一つの理由を挙げるなら、俺は焦っていた。  時間と余裕があったら、夕貴に告白してじっくり落とす正攻法を取れただろう。  だが田町たちから解放されて、彼女が二十歳になるまでの二年間、不甲斐なくも俺は〝普通〟の男子高校生に戻れた日常に慣れるので精一杯だった。  何をしていてもビクついていた俺は、叫んで物に当たってしまいたくなるのを、必死に堪えていた。  同じ屋根の下に、手を伸ばせば触れられる距離に夕貴がいて、『助けてくれ』と抱きついて無理矢理キスしてしまいたくなる衝動を必死に抑えていた。  ――彼女に向き合うには、まず自分の心をコントロールしないとならない。  ――いざ夕貴に触れられるという時に、トラウマが襲ってきて役に立たないなんて事には、絶対になってはいけない。  だから俺は己を制御するために、二年を費やしたのだ。  その二年が過ぎた間、夕貴は自由な大学生活を送っていた。  夕貴は少しでもいい大学に入るために、高校時代は勉強一色だった。  だが大学に入れば〝デビュー〟して、バイト先で出会いがあったり、合コンに行く可能性も増えてくる。  だから、俺は焦っていた。  男ができる前に俺という〝男〟を覚え込ませ、あとから好きになってもらえばいいと思ってしまったのだ。  弟として強引に頼めば、夕貴が引いてくれるだろう事は予想していた。  けれどそれで『結ばれた』と思ったのは俺だけで、彼女は俺とのセックスを気持ちいいと思いながらも、罪悪感に苦しみ続けていた。  俺の中ではずっと育ててきた恋慕だが、夕貴にしてみればいきなり〝弟〟が自分に肉欲を向けてきたのだから、ひどく戸惑った事だろう。  しかも『好きだ』と言われず〝練習〟としてセックスしていたので、夕貴は自分の気持ちをどう処理すればいいのか分からなかったと思う。  俺もまた、夕貴を自分のものにした安堵感に満たされ、彼女の肉体に溺れてしまい、自分たちの関係をきちんと説明しなかった。  彼女を抱いている時は『好きだ、愛している』と口に出して言っていたのに、きちんとした告白をしなかったからか、夕貴はその言葉をまともに捉えていなかった。  ズルズルと肉体関係だけが続いて不安になった夕貴は、罪悪感から『早くこの関係から抜け出さないと』と思うようになる。  お互い大学生になり、勉強とバイト、セックスする毎日を送り、俺にとってはこの世の天国だった。  しかし先に社会人になった夕貴は、持て余す感情をごまかすために、〝外〟に逃げ場を作るようになっていった。  仕事に打ち込み、仲よくなった同僚と飲みに行き、遊びに行き、旅行をする。  夕貴が自分で稼ぐようになったあとは、両親も「大人だから」と言って口うるさくするのをやめ、学生時代の苦労をねぎらうように自由に遊ぶのを許した。  ――会社に変な男はいないだろうな?  ――合コンなんて行かないよな?  ――旅行先で変な男に付きまとわれていないよな?  二つ年下というだけで、こんなにも気が狂いそうな想いに襲われる。  おまけに高瀬も同じ大学に入り、無視しても無視しても付きまとってくる。  女子生徒と仲良くしたいとは思っていなかったが、高瀬が牽制するせいで、女子は俺の側に寄ってこなかった。  ――これも、卒業するまで。  ――大学を卒業したら、本当に高瀬とは縁を切る。  ――うちの会社に入りたいと言っても、絶対に許さないし『責任を持って仕事をしたいから、顔見知りは入社させないでほしい』と親父に言っておいた。  ようやく大学を卒業できると思った頃には、夕貴に男の影があった。  夕食で〝西崎さん〟の名前が増え、笑顔で仕事の話をするようになる。  ――誰だよ、西崎って。  焦って夕貴を激しく抱くほど、彼女の気持ちが離れていっている気がする。  ――頼むよ。こんなに我慢したのに。  ――お前を求め続けたのに。  そして――。 **
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