秀弥さんの話

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 そう言った秀弥さんは、ギュッと私を抱き締めてくる。  胸元に顔を埋める彼を見て、やっと本当の秀弥さんを知った気がした。 「……私、秀弥さんの誘いに乗ろうって決めた時、『この人の手をとれば、亮との関係を終わらせる事ができる』って思ったの」 「ん……。さっきの話を聞いて、『だろうな』とは思った。夕貴は合コンに誘われても興味がなさそうだったし、そもそも男と付き合う必要性を感じてないように思えた。だから飲みに誘い始めた時も、長期戦を覚悟してた」  彼は穏やかな声で言う。 「……怖かったの。亮と一緒にいるとなんでも与えられて心地よかったけど、彼と一緒になる未来を描けずにいた。亮が長谷川家から籍を抜いてどこかの養子になっても、私の中で彼は弟なの。もとは他人で、『なかなか弟と思えない』と思っていても、いつの間にか彼は弟になっていた……」  私はズッと洟を啜り、言葉を続ける。 「だから半分打算で秀弥さんの誘いに応えた。……でも求められるままに応えるうちに、『この人といると心地いいな』って思うようになった。初めはずるい感情で付き合ったけど、あなたを知っていくたびに好きになっていった。……でも『好き』って言われなかったし、本気になっていいか分からなかった。秀弥さんがセックスの相手として私を求めてくれていたのは分かるけど、恋人として、信頼できる相手として見てくれているのか分からなかった。……でも、ようやく理解できた」  秀弥さんが隠していた心の傷に触れ、やっと私たちの心が重なった。  彼は静かに息を吐いてから言う。 「……肝心な事を隠してて悪かった。……理由が分からないと、『どうしてセックスはするのに、愛してるって言わないか』って不安になるよな。……俺は夕貴の不安を分かりながら、なかなか本当の事を言えずにいた。……夕貴は弟との関係を話したら俺が心変わりするかもって怯えていたけど、俺もこの事を言ったら、お前に捨てられるかもって思っていた」 「捨てたりしない!」  私は大きな声で言い、涙を零す。  秀弥さんは私の涙を優しく拭い、苦く笑った。 「俺、性欲は強いくせに、ずっと女性が怖かったんだ。黙ってればモテると分かってたし、余計な事をしなければ普通に恋愛して結婚できただろう。……でも、心の底に隠した獣を一生押さえつけて、偽ったまま結婚生活を送って、つまんねぇセックスして、父親になって、運動会とか行くのかと思うと……。胸糞悪くなって無理だった」  彼の言いたい事は分かる。  どれだけ忘れようと思っても、心につけられた深い傷はなかなか消えない。  彼は過去の人となった女性に身も心も支配され、人生を歪められた被害者だ。 「……なら、俺の望みに応えてくれる女を探そうと思った。……でも、見てくれやパッと見て分かるもんに惹かれて寄ってくる女は、大体自分を甘やかして理想のデートをしてくれる〝王子様〟を求めてるとすぐに分かった。そういう奴ほど、俺が少しジャブを掛けただけで『そんな人だと思わなかった』って去っていったよ」 「……そんな勝手な……」  私は思わず溜め息をつく。 「だから向こうからくるのを待つんじゃなくて、自分から探さないと理想の女には巡り会えないと悟った。マッチングアプリで相手を探した時期もあったけど、なんかしっくりこない。……そうじゃない、って思ったんだ」  秀弥さんは溜め息をつき、髪を掻き上げる。 「俺が求めていたのは、もっと自然な出会いと関係だった。最初からアブノーマルなプレイをする相手を探すんじゃなくて、素質のあるやつを見つけて教え込んで、俺がいないと生きていけない女にしたいと思った」  そこまで言い、秀弥さんは私を見て傷付いたように笑う。 「こんな俺にも価値があるって思えるように、誰かに依存してほしかったんだ。そのためならなんだってする。大切にするし、愛するし、奉仕するように快楽を与えるし、なんだって買い与える」  いつも私を支配していた彼は、その心の奥に脆さを抱えていた。 「……母親はずっと入院してる。父親は自分がしでかした罪に絶望して、あの女と心中した。……いやらしい言い方をすると、俺は金を持ってるし、見た目もまあまあ、学歴もそれなりだし、仕事もできるほうだと自負してる。……でも中身はからっぽだ。何をしても楽しいって思えなくて、好きな事も趣味といえるものもない。強いていうならセックスだ。……それを少しでも満たしてくれる存在がほしかった。こんな俺を愛して、異常なセックスにも応じてくれる、女神みたいな女を求めてたんだ」 「…………っ、もう、いいから……っ」  私は彼の額にキスをして抱き締めると、涙を流しながら頬ずりした。 「……っ言わせてごめん……っ。――言葉をほしがるべきじゃなかった」  ――「好き」って言ってほしい。  ――私のどこが良くて一緒にいるのか、教えてほしい。  それだけの思いが、秀弥さんの心の傷を拡げてしまうと思わなかった。 「……俺だって弟クンの事、聞きたがっただろ。お互い様だ」  壮絶な過去を打ち明けても、秀弥さんは涙一つ零さない。  それが悔しくて、悲しくて、私は体を震わせて嗚咽した。
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