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立ち去っていく一見〝仕事のできるいい女〟の中身は、信じられないぐらい性悪な女だった。
(憎悪をぶつけるだけぶつけて、立ち去っていくなんて、子供みたい)
はぁ……、と溜め息をついた時、手に持っていたスマホが鳴り、秀弥さんから連絡があった。
【もう少しで着く】
彼の事を思いだすと、ホッと心が暖かくなる。
(人になんて言われようが、私は好きな人と結婚して幸せになる)
私は自分に向かって心の中で呟き、言い聞かせる。
なのに、四方八方から私を引き留める腕が伸び、なかなか幸せにさせてくれない幻想を抱く。
(幸せになりたいだけなのに……)
溜め息をついた私は、秀弥さんに【待ってます】と返事を打ったあと、雑踏の中に奈々ちゃんの姿がないか確認し、溜め息をついた。
**
「……どうした。元気ないな」
居酒屋で秀弥さんに声を掛けられ、私はハッと顔を上げる。
「そ、そう?」
「……会社ではいつも通りだったから、そのあとに何かあったか?」
なんでもお見通しの秀弥さんに隠し事はできないと思った私は、溜め息をつくと奈々ちゃんの事を打ち明けた。
「ふーん……」
すべて説明したあと、秀弥さんは長めの「ふーん」を言ってから頬杖をついた。
そしてしばらく何かを考えたあと、枝豆をぷちりと口に入れ、モグモグと咀嚼してから半笑いで言う。
「すげぇ香ばしい」
「……香ばしい、とな」
私は目を瞬かせて秀弥さんを見る。
「そいつ、大好きな亮クンを夕貴にとられてキレてる訳だろ。そんな奴がはたしてどれぐらいの〝真実〟を言うと思う? そいつにとっては〝真実〟であっても、主観でめちゃくちゃ歪められてる可能性は高いだろうな」
「……はぁ、……なる、ほど」
第三者の意見を聞いて、モヤモヤしていた気持ちが少し晴れた。
「そいつはさ、持てる情報のすべてを使って、もしくは情報を歪めて嘘をついてでも、夕貴を傷つけたいワケ。それに、そいつは優越感に浸って夕貴を傷つけてるつもりだろうけど、そういう奴ほどあとがないぐらい追い詰められてると思うぜ。……どうして今になって現れて、そんな事を言ったと思う? 俺との結婚が近づいてるからだろ」
確かに……、と思うと同時に、溜め息が漏れる。
「亮、私と秀弥さんの事を奈々ちゃんに言ったのかな」
「さあね。……ただ言えるのは、亮クンみたいな男って、頭の悪い女は嫌いだと思うよ。学生時代にそいつを家に連れてきたのは、本当に友達としてだろう。でも下心では、夕貴に嫉妬してもらいたいから、女友達をチラつかせた可能性はあるな」
「あー……」
それを聞いて「亮の考えそうな事かも」と思った。
そして私は亮の〝メッセージ〟に、いつも気付けずにいるのだ。
「そういう〝捨て駒〟程度の関係だったんだよ。体の関係があったのかは分からないけど、俺ならいつ自分の足をすくうか分からない女を抱かないし、大切な事も言わないな」
「……全部、奈々ちゃんの嘘だった?」
「わからんけど。……ただ、悪意を持ってる相手の言葉を、真実と捉えるのはやめといたほうがいい。たとえば、夕貴の事が好きな男がいたとして、そいつは悔し紛れに仲間にこう言う訳だよ。『長谷川さんは上司の西崎にセクハラ、パワハラを受けて断れずに付き合うようになり、妊娠して後戻りできなくなって結婚する』って」
「えっ!? なにそれ!」
あまりに斜め上の言葉に、私は目を丸くして突っ込む。
「事実なのは俺が上司な事ぐらいだろ? こういうふうに、一の話を十まで膨らませて、悪意を載せて噂を流す奴がいるんだよ」
「うわぁ……」
「そう言いたくなるだろ? 俺もさっき夕貴から話を聞いて、『わー、よくあるやつだ』って思った。……ま、気になるなら亮クン本人に聞いてみろよ」
「うーん……」
それもまた怖くて、怖じ気づいてしまう。
「亮クンの肩を持つ訳じゃないけど、好きな女に迷惑掛けるような、ハンパな想いじゃないと思うけどね。だからこそ、俺も似た者の匂いを感じたんだし。亮クンの事、一歩引いたところから考え直して、高瀬って奴が言ってたような事をする奴か、もう一度考えてみたら?」
「……そうだね」
秀弥さんに相談して良かったと思った私は、今日帰ったら亮に聞いてみる勇気を絞り出した。
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