波乱

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 亮は私の肩を抱き、しばらく黙って座っていた。  涙が止まったあと、亮がティッシュの箱を渡してきたので洟をかむ。  しばらく二人とも黙っていたけれど、亮がぽつんと言った。 「……嬉しかったんだよ」  今までの会話とは違って柔らかな声で言ったので、私は彼の顔を見た。 「〝家族〟になりたての時、たった二つ年下の〝弟〟に、夕貴は『食べたい物ある?』って姉として振る舞ってくれた」  そんな事に喜んだのかと、私は目を見開く。 「ぶっちゃけ、中一当時の俺は、親父の再婚を仕方ないと思いつつも、母さんへの想いがあるゆえに内心では反発してた。食事会をして『えらく美人な人だな』って夕貴に惹かれたけど、こんなに歳が近い思春期の子供同士、うまくやれるはずがないって思ってた。でも、ガキ扱いされてキツく当たられる事も予想してたのに、……夕貴は姉として、家族として振る舞ってくれた。本心からじゃない、フリだと分かっていても、『受け入れてくれた』って安心したんだ」  亮がそんな些細な事を喜んでいたと知らず、私は呆然とする。 「……俺、ガキの頃からモテてたし、そのモテで同性からは嫌われたし、女が嫌いだった。母さんだけは別だったけど、亡くなったあとは周りの女子を憎悪するようになっていった。……そんな中、夕貴だけは特別だった。年上の綺麗な女性が現れて、俺を〝弟〟にして、家族として優しく接してくれた。……それが、凄く嬉しかったんだ」  亮はフッ……と震える息を吐き、落とすように微笑む。 「夕貴が、俺に安らぎをくれた」  亮は私の肩を抱く手に、静かに力を込めた。 「だんだん女として意識するにつれて、『弟扱いされるのは嫌だ』って思うようになっていった。そう見られないために、飯を食って鍛えて体を大きくしたし、いい成績を収めていい大学に入り、尊敬してもらえるよう頑張った」  そこまで言い、亮は溜め息をつく。 「……でも、根っこには〝姉〟があるんだよな。……絶対に俺を加害しない、信頼できる家族。……でありながら血の繋がっていない他人だから、もう俺には夕貴以外の選択肢がないんだ。他の女は信用できない」  亮の言葉を聞き、彼の想いを否定できないと思ってしまった。  私は両手に二人の男性の想いを抱き、持て余している。  二人の想いは普通の恋愛ではなく、ただの肉欲でもない。  秀弥さんも亮も女性によって心に深い傷を負わされ、それを私という女で晴らしている。  そして私もまた、彼ら二人との行為を受け入れ、気持ちよくなってしまっている。 (……こんなの、……どうしたらいいの)  溜め息をついた私は、――――胸の奥に深い罪悪感を抱えながら、亮の頭をよしよしと撫でた。  言葉では、何も言えない。 「ごめんなさい」も、代わりに差し出せるものもないのに「ありがとう」も、何も言う事ができない。  だから、ただ黙って彼の頭を撫でた。  それが〝姉〟としての私にできる、ただ一つの事だった。 **  夕貴から高瀬の話を聞いた俺は、凄まじい怒りに身を焦がしていた。  高瀬とは私立の中高エスカレーター学校からの付き合いで、最初は普通のクラスメイトとして仲良くしていた。  中学生になる前には実母を喪っていた俺は、周囲の友人たちのように無邪気に学生生活を送る事ができずにいた。  何をやっても『こいつらは家に帰れば母親の作った飯を食ってるんだよな』と思うと、やりきれなくなって、すべてが面倒になる。  父は悪い人ではないが、仕事で多忙にしていた。  母の事を深く愛していたものの、容態が急変して息を引き取る瞬間に間に合わず、正直『何やってるんだよ!』という怒りを抱いていた。  母を喪い、俺と父の関係はギクシャクしてしまい、家でも親子の会話はほぼなかった。  父が気を遣ってあれこれ話題を振っているのは分かっていたが、当時の俺にはそれに応えられる心の余裕がなかった。  学校に行けば『長谷川くんって格好いいよね』と言われたり、スカウトを受けた事がないのかとか、どうでもいい話をされる。  そんなふうにもてはやされている奴を、同性が好む訳がない。  俺は男子生徒から無視され、どうでもいい女子からチヤホヤされるという、地獄の学生生活を送っていた。  そんな中、少しだけマシだと思えたのが高瀬だった。
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