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「この家が絶対に高瀬に見つからないとは言い切れないけど、マンションは一軒家よりは特定しづらいと思う。でも物事に〝絶対〟はないよな。そしてそういう奴は俺たちの想像の斜め上をいくから、中途半端なところで安心しないほうがいい」
「……確かに、そうかも」
「んー……」
秀弥さんは私の手を握ったまま、長めにうなって考える。
「理想としては高瀬の事を片づけてから結婚したいな。……いや、そいつのために延期するつもりはないけど。なるべく早い段階でなんとかしたい」
私は秀弥さんに寄り添い、肩に頬をつける。
「亮くんってさ、高瀬がどこの会社に勤めてるか知ってる?」
「ちょっと聞いてみる」
返事をした私は、スマホを出してメッセージアプリを立ち上げる。
【さっきの今で悪いけど、奈々ちゃんが勤めてる会社、分かる?】
【黒鋼商事、営業部】
シンプルな返答のあと、亮はそれ以上は何も送ってこなかった。
【ありがとう】
私も余計な事は言わずにお礼だけ送り、内容を秀弥さんに伝える。
「よし、じゃあ明日、殴り込みに行く」
「えっ!?」
まさかそこまで攻めの姿勢になると思わず、私は目を丸くして彼の手を引っ張る。
「やっ、そ、そこまでは……」
けれど秀弥さんはケロリとして言う。
「そうでもしねぇと、話せないだろ」
「でも! 危険じゃない?」
「カフェとか人目のある所で二十代前半の女性と話して、危険だと? 凶器を持ち歩いてる訳でもあるまいし。それとも、高瀬って大柄で格闘技でもやってる系?」
「そうじゃないけど、わざわざ刺激しなくても……」
「向こうだって、自分がした事を暴露される可能性を理解した上で夕貴に接触した訳だろ。何も仕返しがないと思っていたなら甘い。それに黒鋼商事っていったら、かなり立派な会社だ。表向きバリバリ働いてる立派なやつなら、プライドも高いし頭もいいから、一応冷静な話し合いができると思ってる。そいつの認知の歪みは置いといてな」
「うん……」
秀弥さんは頭の回転が速いし、その場の立ち回りがとてもうまい。
奈々ちゃんと直接話をつけるっていうのは、ここでゴチャゴチャ考えるより、一歩進んだ行動ではあるんだろう。
「亮くんの話を聞いて、高瀬を怖がる気持ちは分かる。物凄い化け物に思えるよな。……そういう奴の気持ちを考えたくないし、分かりたくない思いも理解する」
秀弥さんに言われ、私は頷く。
「ただ、相手も人間だ。本物の化け物じゃない。亮くんの話にあったように、高瀬は厳しい家庭環境から心を歪ませてしまった、ある意味被害者だ。あいつのした事を許す訳じゃないし、『可哀想だから仕方がない』というつもりもない。でも理解するとっかかりがあるなら、そこから対話ができると思ってる」
「……秀弥さんは凄いね」
「別に凄くねぇよ。人は自分の頭の中で、ネガティブな印象を持った奴をどんどん肥大化させてしまう傾向がある。分かり合えるとは絶対に言わないが、相手も自分と同じ人間だと思えば、特に怖れる必要はない」
「……そうやって冷静に考えられるの、凄いよ」
言うと、秀弥さんは私の背中をポンポンと叩いてきた。
「お前にとっては弟の学友として知っていた年下の女の子だし、『こんな子だと思わなかった』というショックが大きかっただろう。それは分かるよ。だからこそ、お前は高瀬と対峙するのに向いてないし、トラウマのある亮くんが立ち向かうのも駄目だ。強がって『今の自分なら大丈夫』と思っていても、心につけられた傷はそう簡単に癒えてくれない」
私は小さく頷く。
「俺も、親父と一緒にあの女が消えて、身の回りに怯えずに済むようになるまで三年はかかった。三年経っても調子の悪い時は最悪な気分になるし、酒を飲んで誤魔化していた。……十年近く経った今でも、まだ魚の小骨みたいに残ってるし、夢に見る事がある。まだ傷が癒えきっていない亮くんには重荷だ」
「……確かに、そうかも」
「だから、高瀬とはまったく関わってない俺が適任だ。俺は夕貴の婚約者だし、高瀬と話をつける正当な理由がある。……伊達にお前より六歳年上じゃないよ。相手をへたに煽って怒らせたら、お前達が被弾すると分かってるし、慎重に話す。だから信じてくれ」
秀弥さんの丁寧な説明が終わった頃には、ざわついていた気持ちがだいぶ落ち着いていた。
「……じゃあ、お願い」
「ん」
彼はクシャクシャと私の頭を撫で、額にキスをしてきた。
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