〝話し合い〟

1/8
前へ
/105ページ
次へ

〝話し合い〟

 それが木曜日の出来事で、俺は金曜日の昼休みに〝根回し〟をしておいた。  夕貴はソワソワしていて、親友の上田さんともコソコソ何かを話し、落ち着かない様子だ。  まぁ、あれだけの事があったら仕方がないか。  仕事中に不安げな彼女と何度か目が合ったけれど、「安心しろ」というように頷いておいた。  定時になったあと、あらかじめ用事があると課長に伝えていた俺は、板橋駅近くからタクシーに乗って、六本木にある黒鋼商事に向かった。  夕貴とは今朝、俺が高瀬に話をつけに行っている間、上田さんと飯を食いに行ってほしいと伝えた。  すぐに上田さんにメッセージを送った彼女は、『OKだって』と言っていたので安心した。 (さて、鬼退治といきますか)  黒鋼商事の前でタクシーから降りた俺は、六本木交差点近くにある高層ビルを見上げる。  ビルは低階層が商業施設になり、中階層がオフィスフロア、上はマンションになっている。  俺は〝関係者以外立ち入り禁止〟の立て札の横を通り、エレベーターホール前の壁にもたれて高瀬を待つ。 〝根回し〟した時、相手から現在の高瀬の写真を送ってもらったので、相手の容姿は分かっている。  定時を回ってエレベーターで職場から下りてくる人が増え、俺は高瀬を見逃さないように、一人一人を確認する。  やがて十六時半近くになった頃、高瀬がエレベーターから下りてきた。  彼女は俺の顔を見ると驚いたように目を見開き、立ち止まる。 「こんばんは」  俺はゆったりと高瀬に近づき、微笑みを浮かべた。  彼女は顔を引きつらせ、周囲の人に縋るような目を向ける。 「……た、助けてください。この人、ストーカーです!」  高瀬は近くにいる人に訴え、周囲の人はギョッとしたように俺を見る。  だがそう反応されるのも了解済みだ。 「それは君のほうじゃないか? 君がした事を今この場で大きな声で言ってもいいんだぞ」  少し脅すと、今度は高瀬が不審げな目で見られる番になった。  彼女は青ざめ、それから真っ赤になり、ヒステリックに叫ぶ寸前のような顔になったあと、俺の手首を掴んだ。 「……っ、来なさい!」  高瀬はそのままズンズンと表に出てしばらく歩いたあと、振り返って俺を睨んだ。 「なんのつもり?」  高瀬は夕貴や亮くんに対して優位に立っているつもりだろうが、こうして逆に攻められる事に慣れていないようだ。  弱さを抱えている者こそ、攻撃される前に誰かを攻撃しようとするし、自分は正しい事をしていると思い込んでいるから、責められる立場になると想像していないんだろう。  苛立った様子で尋ねられた俺は、パッと両手を上げて敵意がない事を示し、微笑む。 「……話をしないか?」  そう言われ、高瀬は疑い深く俺を見る。 「さっきは敵意を見せられたから、俺もそうせざるを得なかった。それでなければ、俺が一方的に悪者扱いされて、対話できずに終わってしまう。……だが俺は君と、責任能力のある大人として冷静な話し合いがしたい。内容は長谷川姉弟についてだ。俺が何を言いたいか予想しているだろうけど、一方的に君を責め立てるんじゃなくて、君側の話をちゃんと聞きたいと思ってる」  落ち着いた声音で言っても、高瀬の目の奥には強い警戒心がある。 「……君はずっと想いを押し殺してきただろう? ろくに知りもしない奴に話す筋合いはないかもしれないけど、俺はあの二人の関係者として君の気持ちを知りたい。お互いコソコソ動くのはやめて、それぞれの主張を知って、どうしたいのか要求を伝え合う、大人の話し合いをしよう」  俺はあえて、高瀬のプライドに刺さりそうな言葉を選んだ。  高瀬は認知を歪ませているいっぽうで、優等生で、一流の商社に勤める能力を持っている。  彼女には〝できる女〟という自負があるだろうし、雑踏の中でみっともなく言い合いをするなんて、プライドが許さないはずだ。  加えて自分を〝頭のおかしい女〟扱いされるのも嫌がるだろう。  だから高瀬の意志を尊重した言い方をし、〝知的な話し合い〟に誘った。  彼女はしばらく黙っていたが、溜め息をつく。 「……分かったわ。でも今後、二度とあんなふうに会社まで押しかけないで」
/105ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3985人が本棚に入れています
本棚に追加