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「はぁ……」
亮から話を聞き終えた私は、深い溜め息をつく。
黙っている間、亮は料理を続けていた。
「……じゃあそのうち、家に帰って私の口からちゃんと伝えたほうがいいね」
筋を通さないとと思って言ったけれど、彼の意見は違ったみたいだった。
「調子のいい時でいいんでない?」
「……というと?」
「今、相当参ってるだろ。会社から早退した理由はまだ聞いてないけど、『辞める』って言ってるって事は、会社でも何かあったんだろ」
図星を突かれた私は肩を落とす。
「……言ってみ。大体は予想ついてるから」
ありがたいのは、亮がいつもと変わらない調子で話してくれているところだ。
今回の騒ぎで各方面に迷惑を掛けてしまい、亮だって怒っているはずだ。
けれど感情を高ぶらせず淡々としているので、私も落ち着いていられる。
「……実は……」
私は亮がご飯を作っているのを見ながら、ポツポツと先日あった事を話し始めた。
語っているうちに追体験した感覚に陥り、感情が高ぶって泣いてしまいそうになる。
でも秀弥さんの言葉を思い出し、「ここは安全な場所だから」と自分に言い聞かせる。
けれどすべてを語ったあとは、精神的にとても疲れてしまった。
「……つらかったな」
話し終わったあと、まず亮はそうねぎらってくれた。
「……うん」
彼の言葉を聞いた瞬間、フッ……と肩の力が抜ける。
とても複雑な関係だけれど、私にとって秀弥さんと亮は心から信頼できる相手だ。
どんな時も二人が味方をしてくれるなら、これから先何があってもなんとか乗り越えられる気がした。
亮は湯がいたほうれん草をすり胡麻で和えつつ、溜め息混じりに言う。
「そういう暇な奴ってどこにでもいるんだよ。そのいつも仕事を押しつけてきた女、おおかた西崎さんの事を狙ってたんだろ? 自分より〝下〟だと思ってる夕貴が、いい思いをしてるのが気に食わないんだよ。ちょっとでも足を引っ張れる要素を見つけたら、仲間と一緒に嬉々としてはやし立てる。あたかも正しい事を言ってるというようにな」
私は彼女たちの歪んだ嘲笑を思いだし、溜め息をつく。
「でも悪口、陰口で繋がってる奴らの関係って脆いもんだぜ。ちょっとでも分が悪くなったらすぐ離れていく。巻き添えを食らうのが怖くて適当に話を合わせてる奴らも、劣勢になったら何も言わずに離れていく。……もしくは良心が痛んで、影で密告するとかな」
「……そんなふうにすぐ裏切るなら、最初からつるまなければいいのに」
まったく理解できず、私は溜め息をつく。
「弱いから一人じゃいられないんだよ。夕貴がそいつらに知らせてない〝事情〟があるように、そいつらにも〝事情〟がある。でも痛みを堪えて良い方向に進む力はなく、似たようなもん同士集まって傷の舐め合いをして、共通の敵を叩いて快楽を得てるんだ」
「……私、そこまでされる価値はないと思うけど。やっぱり秀弥さんと仲がいいからかな」
「それもあると思うし、夕貴は美人だ。本人は無自覚でも陰ながらモテてるんだろ。仕事を押しつけてもいつもニコニコしてるから、いじめ甲斐がないって思われてるんじゃないか? 『シンデレラ』を思い出せよ。ブスで性格の悪い継姉たちは、美しくて働き者で性格のいいシンデレラをいじめる。相手が自分にないものを持ってるって本能で分かってるから、攻撃するしか選択肢がなくなるんだよ。……普通の奴なら『この人いい人だな』と感じたり、憧れたら仲良くなろうと思うもんだけど」
「はぁ……」
私は重たい溜め息をつき、テーブルに突っ伏す。
「……それより、社内の噂ってどう広まったんだろうな?」
「え?」
意外な事を言われ、私は顔を上げる。
「確かに総務部から漏れたんだろうし、センセーショナルな話題だから誰かに言いたくなるだろう。……でも桧物谷食品は普段から、問い合わせメールの内容が社内全体に回るようなところか? 有益なクレームなら、改善点としてしかるべき部署に伝えられるだろう。いい感想とかもな。……それ以外の捨て置くべきクレームまで、皆に共有するものか?」
「……あ……」
亮の言う通り、今回は社員のプライベートに関わる事だから、一般的なクレームよりは興味を引かれるだろう。
メールを開封した人や報告を受けた上長などは、もしかしたら私的なところで他言するかもしれない。
けれど大体はそこで情報が止まるはずだ。
話が広まったら発生源を辿られ、誰が口を滑らせたのか追求されて責任を問われてしまう。
取り扱い注意な情報を扱っているからこそ、普通は口は固くなるものだ。
(なのに、どうして今回だけ悪意のある広まり方をしたんだろう)
疑問を持つと、正体の分からない第三者の存在が恐ろしくなってきた。
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