*2 行き詰った二人が出会った夜

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*2 行き詰った二人が出会った夜

 ナイトシンガーの動画を投稿するのは大体月に2~3本。選曲して、練習をし、撮影しつつ歌って、それを最低限の編集をして投稿する。  言葉にすると簡単そうなのだけれど、「選曲して、練習して、撮影」までが10日ほどかかるし、その間にも大学やバイトもあるし、実家暮らしなので夜中に唄って収録することは出来ないので、やれる時間が限られている。  そうなるとスケジュールが割とタイトで、他の投稿者に比べると投稿数も多くないし、その上数字も良くないので全くチャンネル登録者も伸びない。  固定で見てくれる人が少ないので新規の閲覧者も増えない。だから、ますますその他大勢に埋もれていく……という、悪循環に陥っているのが現状だ。 「だからって流行りを唄えばいい、ってもんじゃないみたいだしなぁ……」  僕の音域で唄いやすく、且つ、流行りも抑えている曲、となると選択肢が狭まってくる。唄えそうな曲は思いつく限り唄って投稿しては見たものの、結果に結びついていない。  市場調査をしろ、と言う話なんだろうけれど、僕なりに流行りを抑えているつもりなのに、何が違うんだろうか? 「それがわかってりゃ苦労しないか……」  客足の途絶える深夜25時。僕は廃棄の弁当などをチェックしながら、そう独り言をつぶやく。誰もいないのを良いことに、少しだけ、唄ってみたりもする。こういう隙間時間も、貴重な練習時間だ。今日は90年代の邦楽で流行った懐かしい曲を歌いたい気分だ。  最近の曲に比べて言葉数に余裕があって、詰め込みすぎていない感じが僕は唄い易くて好きだ。  好きな曲がちょうど店内BGMで流れてきたこともあって、それに合わせて小声より少し大きな声で唄ってみる。  女性ボーカルのも曲も僕はものによっては唄えるので、ハイトーンを口ずさもうと大きくブレスをしたその時、「どういうことだよ!!」と、怒鳴り声がどこからともなく聞こえてきた。  実は店内に人がいたのかと僕は慌ててレジの方を振り返る。しかし人影はなく、一応店内をぐるりと見る限り、僕しかいないようだ。  近くを酔っ払いが通ったんだろうか、と、再び廃棄チェックに戻ろうとした時、またしても声が響く。 「なんで俺が抜けなきゃなんだよ!」  今度ははっきりと店のすぐ近く、だけど中ではない、ガラス越しのくぐもった声が聞こえた。  どこか聞き覚えがある声だな、と思いながら声のした方へ顔を覗かせ、僕はその先に見えた光景に、思わず、「あれ、あいつ……」と呟く。 「……って言ってたじゃんかよ! だからってなんで、俺が!」  店のすぐ外で、見覚えのある茶髪のハネ髪と黒いギターケース……ナギだ、と思っていたら、そいつが持っていたなにかを地面にたたきつける仕草をした。  俯くナギに、向き合っている背の高い、青い髪の誰かが何か言っている。ナギは、全く納得している感じではないけれど。  まだ何か言おうとナギが口を開きかけた時、青い髪の相手は背を向け、傍らにいた他の同じ年ぐらいの男たちと去って行った。  残された背中は、背負っているギターよりも小さく頼りなく見え、僕はつい、見入ってしまっていた。  ナギは少し俯いていたけれど、やがてとぼとぼと歩いて店の中に入り、酒の並ぶ冷蔵庫の前に佇む。  やけ酒でもするのかな……と、引き続き目で追っていると、ナギが僕の視線に気づいたようで、こちらを振り返りかけ、僕は慌ててレジに入る。  ナギはビールとチューハイを数本ずつ抱えて持ってきて、カウンターに置いた。  その顔は目の周りが真っ赤で濡れていて、鼻もすすっていて、いかにも今しがたまで泣いていました、という感じが拭えない。まるで幼い迷子みたいだ。  それでなくとも、ナギは19を迎えたばかりの僕と同じ年のようにも見えるし、下手すると僕よりも下に、高2である妹の芽衣くらいにも見える。  だから、念のため、という意味も込めて、「えっと、身分証とかあります?」と、口にしてみた。  すると、途端にさっきまで半泣きに見えた顔が、瞬く間に怒りとわかる色で染まっていき、いつも以上にデカくてイライラする声で怒鳴りつけてくる。 「お前まで俺をガキ臭いって言うのかよ! ふざけんなよな、どいつもこいつも!」  べつに僕は彼をガキ臭いなんて思ったわけではなく、いくら常連とは言え、素性を知らない客に対して、店員として、確認を取っただけだ。それなのに……ナギは真っ赤な顔をして、それまで以上に泣きそうな顔をしてカウンターに突っ伏した。  背負っているギターがカウンターの中に入り込んで邪魔だな、と思いつつも、そんなにショックなことをさっき言われたのか、という同情の気持ちも湧いて、邪険にできず黙っていた。 「……あの、大丈夫っすか?」 「……ごめん。この酒、買う。俺、一応二十歳だから」  そう言いながらナギは身分証明書として、着ていたジャンパーのポケットからバイクの免許証を差し出す。 “日川渚(ひかわなぎさ) 200X年8月4日生まれ”  ナギ、って渚、ってことなのか……免許証を見ながら感心したのは、彼が本当に二十歳であることよりも、呼び名の方だった。  免許証の証明写真のナギは、実物よりも人相が悪くて、そっちの方が年相応に見える気がする。  ビールとチューハイを何本も買って帰るナギの背中は、やっぱり迷子のように頼りなく、ちゃんと家に帰れるか心配になるほどだった。 「なんで俺が抜けなきゃなんだよ!」  ……って、ナギは言っていたな、と、翌々日、月イチで入る昼のシフトの帰り道、思い返していた。  ナギと話合いをしていた相手は、顔は見えなかったけれど、たぶん、同じバンドのメンバーだったと思う。  抜けるのどうのと言う話をしていたってことは、ナギは、バンドを脱退させられたってことなんだろうか? あの後、酒を大量に買って帰ったり、僕に明らかに八つ当たりしたりしていたから、穏やかな理由じゃなかったんだろう。  気の毒だな、という想いもありはするものの、八つ当たりされた忌々しさがまだあるので、素直に同情はできない。  だけど、この先ナギがどうするのかは、気になりはする。バンドの脱退が事実なら、彼はソロのギタリストになるのだから。  MITEでもギターを弾くだけの動画を投稿している人もいるけれど、そのバズっている多くがプロだし、視聴者数で言うと、やはり歌ものの方が数字は跳ねやすい気がする。 「どうするんだろうな、あいつ……」  ふと、バイト先のコンビニと、自宅の間にある駅のコンコースに立ち止まると、ふと、どこからかギターの音色が聞こえてくる。きっと、誰かが路上ライブをしているのだろう。  僕が住むこの街は、首都圏のベッドタウンということもあって人通りが多く、駅前のコンコースをはじめ、昔からギターやバンドなどいろいろな路上ライブが割と盛んにおこなわれる地域でもある。昔この辺りで路上ライブをしていたり、地元の老舗ライブハウスでライブをしていたりしたバンドがメジャーデビューしたとかで、バンドキッズが多いと言う。  路上ライブをするには、集客できる人ほどいい場所を暗黙の了解で獲れるようになっているようで、馴染みの場所にはなじみのアーティストの卵が演奏している。  だけど、その音色はそう言った場所ではないところから聞こえていたのだ。  しかも、いつもここを夜のシフトの日に通りかかって聞く音色とは、少し違っているようだった。  コンコースで一番スペースの広いところにも人は集まっていたけれど、その音はそこからではなく、もっと端の、高架橋の下からだ。 「結構上手いな……誰だろ。アコギで、歌がない」  いわゆるインスト曲で路上ライブをしていると言うのだろうか。それで端の方で集客しようなんてかなり度胸あるな……と思いながら、音のする方へと歩いて行くと、僕は見慣れた茶髪のハネ髪が見えて足を停めた。  アコースティックギターをアンプラグドで奏でているからか、演奏曲はポップスと言うよりも映画のサントラのような曲が多い気がする。それでも、通りすがりの人が何人か足を停めて聞き入っていて、演奏する彼の前でパ借り得対を開けているギターのハードケースには小銭が何枚か投げ込まれている。 (ナギ、こういうギター弾くんだ……)  初めて聞く、エラそうな口調だけでない、彼の言葉とも言える音に、僕もまた聞き入っていた。  映画のサントラばかりかと思っていたけれど、ナギは邦楽だけに留まらず、新旧問わず様々な洋邦様々な曲を弾き倒す。  いまはアコースティックギターだからわかりにくいけれど、もしかしたら、ナギはエレキギターの方が得意かもしれないな……そんなことを思わせる、彼の髪型のようにハネるギターの音色だ。どこかジョージハリソンを感じさせるような、唄いたくなるギターだ。  数曲ほど弾いて拍手をぱらぱらともらったナギは、嬉しそうに微笑み、やがてとある曲の印象的なイントロを弾き始めた。 (――コンテストテンペストだ)  最近僕が歌ってみた動画で投稿したけれど、反応がいまいちだった曲であり、この街出身のバンド・シャリンバイの代表曲でもある。  地元のバンドであるシャリンバイの代表曲が始まったとあって、足を止める人は増え始め、ギャラリーが増えていく。正直、僕の動画の視聴者数より多い気がする。 (……このギターに合わせて、唄いたい)  ナギのギターは傍で聴いているだけでも歌心を煽られる。しかも今はアコースティックステージにも関わらず、まるでエレキギターで焚きつけられているようだ。  唄えよ、ほら、そう、急き立てられるように口が開く。聴くほどに体の奥の方からふつふつとそんな感情が湧いてくるのを感じ――気づけば僕は、一歩前に踏み出して口を開いてコンテストテンペストの歌詞を口ずさんでいた。  いま演奏されているのが、AメロなのかBメロなのかも確認をよくしないで飛込んで唄い始めた僕に、ナギはほんの一瞬戸惑ったように演奏の手を停める。でも、それは本当に一瞬で、すぐに僕が唄う歌詞が譜面のどの辺りなのかを把握し、ちゃんと音源と同じようにフレーズを奏で始めた。  コンテストテンペストは、投稿動画ではバズることはなかったけれど、僕としては割と得意なジャンルの曲だと思っている(だから余計に再生回数が振るわなかったのがショックではあったのだけれど)。  歌詞の言葉数を詰め込んだ早口になる中盤が見せどころで、そこでギターとどう絡んでいくかが見せ場と言える。  いま初めて聞いた相手のギターでどれだけそれが出来るかわからない。失敗する可能性の方が高いかもしれない。  でも、僕はナギとギターでなら、不可能はない気がしたんだ。 「“許せ 許せない どっちでもいい このコンテスト すべてを投げ出して てっぺんに立ちたいだけ ただそこに辿り着きたいだけ コンテストテンペスト 星より高く舞い上がれ 星より熱く燃え尽きろ”」  ナギを見ていたお客さんの目が、一斉に僕に注がれる。僕の身体中の熱が一気に跳ね上がり、カッと熱くなっていく。恥ずかしい、という気持ちが一瞬湧き、ちらりと中学の頃のあの瞬間が甦る。  だけど、その次の瞬間、一瞬だけ僕が唄い出した驚きで停まっていたナギのギターがまた始まり、ぼくらはコンテストテンペストのセッションを続ける。 (――ナギのギター、気持ちがいい。ずっと唄っていたいぐらい、すごく気持ちがいい)  唄いながらちらりと見たナギもまたこちらを見ている。その目は、「お前、やるな」というニヤリとしたもので、イタズラっぽくもこなれたギタリストの風情が漂っている。  終盤のアウトロと呼ばれる辺りはバンドならセッションをするものなのだろう。いまはギターが一本しかないので、僕がアドリブで「ラララ」と口ずさみ、メロディを飾る。  自然と手拍子が湧き上がり、ナギのギターが一層ハネて盛り上がっていく。  楽しい、もっと、楽しい……唄うことを再開して、初めて、そんな気分になった瞬間だった。
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