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常夜街の中心部には、賑やかな中国建築の町が広がっている。横浜や長崎にある中華街を思わせる、風情と活気ある町だ。
張り出した屋根の縁や建物を繋ぐ回廊には無数のランタンが下げられ、街全体を赤く照らす。町のそこかしこに大きな赤い門や立派な古廟があり、豪華な装飾や彫刻に彩られた建物が人々の目を楽しませる。
かと思えば、洋風の時計塔や煉瓦造りの建築もあり、モダンでレトロな異国情緒あふれる町並みは、日本有数の観光地にもなっていた。
大きな通りには様々な屋台が並び、観光客は出来立て熱々の餡餅や顔の倍の大きさはある鶏の唐揚げに齧り付く。
ミルク味のふわふわの氷にフルーツをたっぷり乗せた雪花冰、甘くて冷たい西瓜のジュースや香り高い中国茶が、歩き疲れ乾いた身体を潤す。
賑わいを見せる夜市を見下ろしながら、少年――王大河は、常夜街の隠れ人気スポットである『中天階段』を降りた。
地下に広がる常夜街は、深さ数百メートル、幅は数キロもある巨大な都市だ。新宿駅の真下に吹き抜けのようになった大きな空洞があり、空洞を埋めるように建物が建てられ、隙間を縫うように通路や回廊が設けられていた。
日本の九龍城とも称される、幾層にも重なる巨大な地下城塞――正確に何層あるのかは誰も知らない――を上下に繋ぐのは無数の階段だ。その中でも、建物に後から取って付けられて空中に張り出しているものは『中天階段』と呼ばれている。
細い鉄の手すりから身を乗り出し、手を滑らせでもしたら十数メートル、下手したら数百メートルも下の通りに真っ逆さま……の危険な階段だが、見晴らしの良さやスリル感があるせいか、「映える」と観光客の間で密かに人気になり、その名が付いた。
もっとも、危険すぎるためほとんどは進入禁止となっており、観光客は新宿駅から専用のエレベーターで降りるのが基本だ。実際に使うのは、体力やその他の能力に自信のある地元民くらいである。
観光客が空間を占めるエレベーターより、人の少ない階段の方が気楽だ。大河はふんふんと鼻歌交じりに、危険な階段をものともせず二段飛ばしで降りた。
辿り着いたのは、中層にある二階建ての古い建物だ。空洞にせり出した建屋の周囲には、狭い階段と通路がぐるりと張り巡らされている。
二階部分は通りに面し、店舗が構えられていた。漢方やスパイスの独特な香りを漂わせる軒先には紫色の暖簾が下がり、古びた木の看板には『蓮夢堂』と書かれている。
大河はそこを素通りし、建物を回り込む階段を降りて、踊り場にある一階部分の通用口を開けた。
「ただいまー」
狭い廊下を抜けて台所に入り、艶やかな朱塗りの円卓にエコバッグの中身を出して広げていると、後ろから頭を小突かれた。
「いてっ」
振り返ると、閉じられた扇の先端が目の前に突き付けられている。
思わず寄り目になってしまう大河の隙をついて、今度は額へと軽い一撃落とされた。ぱちっと小気味よい音がする。
「痛い!」
「遅い」
そう返す声の主は、ひどく美しい青年だった
白い肌に切れ長の黒い目、背中に垂らした射干玉色の長い髪、まっすぐな鼻筋に紅をさしたような唇。その全てが、名工が丹精込めて作り上げた人形のように整っていた。
すらりとした肢体には、紫色の地に漆黒の糸で繊細な刺繍が施された、ゆったりとした袍を纏っている。まるで清代辺りの中国時代劇ドラマからそのまま飛び出てきた役者のようだ。
彼の名は王白蓮。
この家、もとい蓮夢堂の店主である。
「物を散らかさない」
玉のように滑らかな白い眉間に皺を寄せた白蓮は、扇で散らかった円卓を指す。
大河がせっせっと物を片付けている間に、白蓮は茶器と茶葉を取り出し、円卓の隅で茶を淹れる。温かな湯気と共にジャスミンの香りが立ち昇った。
「ただの使いにどれだけ時間を掛けているのですか」
「ええー、けっこう急いだのに」
「口答えしない。ちゃんと買ってきたのでしょうね?」
「もちろん」
椅子の上に移動させたトイレットペーパー十二ロール入りを大河は指さす。
馴染みの妓楼から頼まれたもので、最近、地上の雑誌に載ったせいか人間の客が増えて、急遽足りなくなったらしい。
「後で『百花楼』に届けてくるよ。それと掃除の取り換えシート。床拭き用と埃取り用でよかったよね?」
「ええ」
普段は羽箒や手巾で丁寧に掃除する白蓮だが、大河が『これ便利だよ』と買ってきて以来、度々取り換えシートのお使いを頼まれるようになった。
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