第一話 紅包

1/9
前へ
/12ページ
次へ

第一話 紅包

 蓮夢堂は、常夜街の中層にある。  『十二層 八番南路』と書かれた通りにある店舗には、蓮の花が描かれた紫色の暖簾が掛かり、室内にもまた蓮の意匠の絵画や小物などが飾られている。  蓮夢堂で扱うのは主に薬だ。  東洋医学に基づき、壁一面の棚に納められた様々な生薬を組み合わせ、店主の王百蓮が相手の症状に合わせて調合する。  今日もまた、蓮夢堂には常連客の一人が訪れていた。 「いらっしゃいませー」 「お、今日は小虎(シャオフー)君が店番かい」  目元の皺を深めて笑うのは、斎藤という初老の男だった。二年前に常夜街に移住してきた人間の一人である。  定期的に訪れる彼用の薬はすでに用意してあった。白蓮から言われていた通り、大河はカウンターの端に置いていた紙袋を二つ手に取る。 「ええと、こっちがいつもの煎じ薬。朝晩に煮だして飲んでね。それと、これは追加の丹薬」 「ん? 追加かい?」 「斎藤さん、一昨日、白蓮に会ったでしょ? その時に陰の気が強くなってて、気が乱れていたからって。夜に一粒、二週間分ね。それでも調子悪かったら来い、だってさ」 「ありゃあ、白蓮さんにはお見通しだったか」  斎藤は、つるりと禿げた頭を一撫でして苦笑した。  常夜街には、陰の気が満ちている。  観光する数日程度であればそこまで影響は無いが、長く暮らすと、たいていの人間は陰陽の気のバランスが崩れ、体調不良や精神異常を引き起こす。特に下層に行くほどに陰の気は濃く強くなるため、最下層に住む人間はまずいない。  蓮夢堂では、人間向けに陰陽の気を整える薬や茶を処方していた。常夜街で暮らす人間にとって、まさに生きていくために必要な店だった。  斎藤はふうと息を吐く。 「これでも、地上じゃあ一端(いっぱし)の霊能者だったんだけどなぁ。テレビに出たことだってあるし、政府のお偉方もお得意さんだったんだぜ? ……とはいえ、常夜街はやっぱり違うわなぁ」  斎藤はある寺の僧侶で、悪霊に悩むたくさんの人々を救ってきたそうだ。  これはペテンでも何でもなく、本当のことだ。何しろ、本当に力のある人でないと、ここでは暮らせないのだから。 「ま、隠居生活には面白い街だけどな」  自分と同じ景色が見えて、同じ力を持つ者。それ以上の力を持つ、むしろ人でない者がわんさかいる街だ。人との違いや偏見の目を気にしなくて済む。  斎藤の話を聞きながら、大河は煮出してあった熱い茶を淹れた。香ばしい香りのそれは、焦げ目がつくまで炒った玄米の茶だ。 「美味いな。玄米茶か?」 「うん、焦がし玄米茶。これも陽の気が増えるんだって」  玄米は生命力あふれる穀物で、地上の自然の力を豊富に含んでいる。それゆえ神経を整えて毒を出して、熱を取ることができる。さらに火を入れて焦がすことで、陽の気も増す。手軽で身近な薬だ。  大河が玄米茶を斎藤と共にちびちびと飲んでいれば、急に尋ねられた。 「小虎君はいつも元気そうだけど、白蓮さんに薬を処方してもらっているのかい?」 「薬は無いけど、いつも白蓮の淹れるお茶飲んでるよ。あとは……慣れかなぁ。小っちゃい頃は下層にずっといたし。……あ、白蓮の話だと、俺、普通より陽の気が多いらしいよ」 「ああ、なるほど確かに。大河君がいると、何だかぱっと明るくなるからなぁ。眩しいって言うか」 「ええー、斎藤さんの頭よりは眩しくないよ」 「おう、言ったな」  軽口を叩きつつ、斎藤は薬とは別に焦がし玄米茶を追加購入した後、「それじゃあまたな」と帰って行った。   ***  次の客が訪れたのは、その十五分後だった。 「こんにちはー、ごめんくださーい、陰陽局(おんみょうきょく)の鈴木ですー」  のんびり間延びした声と共に、暖簾を手の甲で上げて顔を出したのは、中年の男性だ。  ひょろりと細い体躯にスーツを着て、丸い眼鏡を掛けた彼は、いつもどこか草臥(くたび)れた印象がある。 「げ、(くら)さん」  大河が思わず口にすると、蔵さんこと、鈴木蔵之介が大げさに顔を顰めてみせる。 「『げ』とは何ですか。失礼な」 「だって蔵さん、いつも面倒事持ってくるしなぁ……」  鈴木は陰陽局の一員で、常夜街の担当者であった。  陰陽局は、古くは陰陽寮と呼ばれた組織だ。時代と共に衰退して一時は消滅したものの、百年ほど前に復活した政府の公的機関である。  何しろ、常夜街では人間の作った法律や常識は通用しない。日本政府の唯一の対抗措置として陰陽局を復興させ、常夜街の治安を守るための警察的な役割を担わせているのだ。  だから陰陽局は、常夜街で人間絡みの問題が起きれば対応する。しかし時折……というかしばしば、鈴木は面倒な事案を蓮夢堂に持ち込んでいた。  それは昔から、白蓮が常夜街で仲裁役をしていたからだ。顔が広く、何かと皆から頼りにされる白蓮に鈴木は目を付け、陰陽局では対処しきれない問題を丸投げしていた。  まあ、ボランティアではなく陰陽局の委託先としてきちんと経費は出るので、悪い客ではない。  大河は(うなじ)を搔きつつ、気を取り直して「いらっしゃいませ」とちゃんと挨拶をした。 「じゃあ、失礼しますよー。……あ、どうぞどうぞ、入って下さい」  暖簾を潜って入ってくる鈴木の後半の台詞は、彼の後ろにいた人物に掛けられていた。  鈴木と共に店に入ってきたのは小柄な若い女性だ。綺麗なブラウスとスカートを着て、髪は綺麗に巻かれているが、その顔色はひどく悪かった。  伏し目がちの女性の横で、鈴木が尋ねてくる。 「いやー、白蓮さん、いらっしゃいますかね? 今日は頼み事がありまして」 「今日もでしょ」  大河が間髪入れず返すと、鈴木は悪びれた様子も無く「そうですねぇ」と返す。 「実は、このお嬢さんからの頼み事でして」  鈴木に促され、おずおずと前に出てきた女性は、バッグから何かを取り出した。ハンカチに包まれたそれを、震える手で差し出してくる。  白いハンカチの隙間から見えたのは、鮮やかな赤色。 「……常夜街で、赤い封筒を拾ってしまったんです」  ――紅包(ホンパオ)。  中身が分かり、あちゃあ、と顔を顰めてしまった大河は、女性の不安そうな目に慌てて表情を取り繕って、白蓮を呼ぶために立ち上がった。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加