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茉衣子は地上に戻った後、入手困難な男性アイドルグループのライブチケットが欲しいと願った。その翌日に、願いは叶った。
グループが関東限定ツアーを発表し、そのチケットの抽選が行われたのだ。いつもは全然繋がらないサイトにすんなり繋がり、なんと希望日すべてのチケットを獲得することができた。
さすがにおかしいとは思ったが、これもラッキーアイテムの力なのかもしれない。あるいは単なる偶然で、ツイていただけなのかもしれない。
それでも何となく、もやもやとした得体のしれない不安を茉衣子は覚えた。
それを裏付けるように、ある夜、不安は形となって表れる。会社から自宅のマンションに帰って鞄の中を見ると、見覚えのある赤い封筒が入っていたのだ。
『えっ……』
驚きのあまり、茉衣子は鞄ごと取り落とした。
開いた鞄の口から、中身が床に零れ落ちる。それらの一番上に、存在を主張するかのように紅包が鎮座していた。
常夜街から持ち帰って以来、机の引き出しの奥にずっと入れておいたのに。
どうして、鞄の中に。
誰かが別のものを入れたのかと思い、紅包を入れていた引き出しを急いで確認すると、中には何も入っていなかった。
自分で鞄に移した覚えが無く、茉衣子は困惑し、それ以上に恐怖を覚えた。
――願いが叶う紅包。
どうして願いは叶ったのか。
中身を見てはいけないのはなぜか。
考え出すと、無性に中身が気になって仕方なくなった。
本当は触りたくないのに、身体が勝手に動く。震える指で紅包を拾って、封に指先を掛けると、予想以上の軽さで封は開いた。
照明に照らされた赤い紙に包まれていたのは、血塗れの爪と、血の付いた髪の毛だった。
『ひっ‼』
慌てて紅包を投げ捨て、床に落ちたそれを呆然と見つめていると、インターホンが急に鳴った。
音に肩を跳ね上げながらも、助けを求めるように、無意識にインターホンの表示ボタンを押す。すると――
わあっという歓声と共に、大きな拍手の音が聞こえてきた。
『茉衣子さん、結婚おめでとう!』
『おめでとうー‼』
インターホンの向こうから、大勢の声が響いてくる。
画面のエントランスにいるのは、十人を超える人の影。皆、顔が塗りつぶされたように真っ黒な影になっていた。
『うちの死んだ息子との結婚、おめでとう!』
『息子は死んでいるけれど、よろしく頼むわね!』
『おめでとう!』
『結婚おめでとう!』
『結婚おめでとう!!』
『おめでとうおめでとうおめでとうおめでとう――』
パチパチパチパチパチパチパチパチ……。
気づけば拍手の音はインターホンだけでなく、玄関の外、そしてベランダから聞こえていた。
『な……何よ、これ……』
茉衣子を取り囲むように鳴り響く拍手の音と歓声に、震える手でインターホンを切って後ずさる。それでも止まない音が恐ろしくて、両手で耳を塞いだ。
――『規則を守らない場合、何が起こっても一切の責任は負いません』
脳裏に浮かんだのは、常夜街の決まり文句。
その時初めて、茉衣子は常夜街が恐ろしい場所であり、自分はルールを破ったのだと実感した。
茉衣子はその後すぐに新宿駅にある常夜街の受付に向かった。
そこで偶然にも鈴木に出くわし、彼女が巻き込まれたトラブルが陰陽局関連のものだと分かり、こちらに連れて来た――というわけである。
「常夜街で販売している物以外は、決して持ち帰らない……が基本なんですがねぇ」
さすがに苦言を呈する鈴木に、茉衣子は項垂れるばかりだ。
白蓮は、いつの間にか取り出していた扇の先端で、机に置かれた紅包を示した。
「……中を拝見しても?」
茉衣子がこくこくと頷き、白蓮が扇で紅包に触れた。途端、扇の先で、小さな光がばちっと弾ける。
「きゃっ⁉」
「……ふむ」
突然の光に茉衣子は驚くが、白蓮は平然とした様子で扇を放し、傍らの大河に言う。
「私がやると壊してしまいますね。大河、開けなさい」
「是」
躊躇いなく大河は紅包を手に取り、封を開いてテーブルの上で逆さにした。かさりと軽い音ともに、中身が零れ出る。
途端、大河は顔を顰め、白蓮もまた目を細めた。
中には茉衣子の言った通り、爪と髪の毛が入っている。もう何日も経っているだろうに、爪についた肉片はてらりと赤い血に濡れて、つい先ほど剥いだばかりのようにも見えた。髪の毛も同様で、長い黒髪はどれだけの力で引き抜いたのか、毛根には血がついている。
「うげ……生爪剥いだやつじゃん。痛そう……」
「……」
「おやおや大河君、そんな怖いこと言わないで下さいよー?」
鈴木がやんわりと窘めると、大河は茉衣子の顔を見て「あ、ごめん」と急いで謝った。
白蓮は顔色一つ変えずに、ぱちりと扇を鳴らしながら、茉衣子に尋ねる。
「お金は入っていなかったのですね?」
「……はい……」
「つまりは、願いを叶えることが金銭の代わり。願いが叶えば、代償の支払いがある。中身を見たときから、それは始まる……浅川さん、あなたの願いは叶えられた。ならば代償を支払わなくてはならない」
「……」
白蓮の静かな、しかしきっぱりした言葉に、茉衣子はとうとう堪えきれなかったようで泣き出してしまった。
鈴木は慌てて彼女を宥める。
「あああ、大丈夫ですよ、浅川さん。蓮夢堂さんが何とかしてくれますから!」
「勝手に安請け合いしないで下さい、鈴木さん」
鈴木の軽い言葉に白蓮は釘をさして睨むものの、その視線はすぐに紅包へ移る。
「……とはいえ、これは悪質です。引っ掛かった者にまったく罪が無いとは言わないが、このような罠を仕掛ける方が罪深い」
白蓮は空になった赤い封筒の横を、とんと扇で叩いた。
「『常夜街の者は己や身内を守る目的以外に、人間に手を出してはならない』――これもまた、常夜街の規則。ましてや、地上にいる人間に仕掛けるのはもってのほか。……我々が対処すべき事案ですね」
目を細めた白蓮は、鈴木を見返して答える。
「この件、引き受けましょう」
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